小堀桂一郎氏明けて令和7年は大東亜戦争の停戦80周年の記念年といふことで「終戦の大詔」奉戴(ほうたい)記念日を中心に諸種の記念行事や追悼の催しが予定されてゐる様子である。その記念年に1年先立つて本年の10月25日は日本軍の特別攻撃作戦実施80周年の記念日に当る。 関行男大尉の特攻から80年昭和19年10月、米軍のレイテ進攻作戦と此れを迎へての日本軍の対応戦闘記録には詳細な分刻みの日録が遺(のこ)されてゐる。特攻作戦開始の認定に厳密を期するとすればその日付と隊名に異説は生じ得るのだが、定説としては10月25日朝7時25分にルソン島のマバラカット基地を発進した関行男大尉指揮の爆装零式戦闘機5機(敷島隊)の戦果がそれである。特攻作戦の創案者とされる大西瀧治郎中将の命令といふよりは諮問に近い構想に実行決意を言明したのが関大尉だつたのであるから、この定説にはそれ相応の立派な根拠がある。