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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/zoot32 (13)

  • 「問題は、躁なんです」/春日武彦 - 空中キャンプ

    春日武彦新刊(光文社新書)。うつ病とくらべて、注目されることのほとんどない「躁(そう)病」。わたしも躁病のことはあまり知らなかった。おもしろ人間の観察がライフワークとなっている春日が、怖いもの見たさと好奇心まるだしで書いた一冊。春日の解説を通して、躁病の実際を知ることができた。医学的な解説というよりは(春日は精神科医である)、躁病を通して人生のもの悲しさをふと感じさせる、味わいぶかいエッセイのような趣もあり、春日ファンのわたしはたいへん満足でした*1。 春日によれば、うつ病が「心のかぜ」なら、躁病は「心の脱臼」だという。あり得ないぐあいに関節が曲がり、糸の切れた操り人形のような途方もない動きを示す脱臼のような症状。心の箍(たが)が外れ、秘められていたあらゆる欲望が全開となり、自己抑制がゼロになり、見る者に異様な印象を与える。うわっ、なんだこの人は。このに書かれた躁病の症例をひとつひとつ読

    ken_wood
    ken_wood 2008/05/14
    >うつ病が「心の風邪」なら、躁病は「心の脱臼」、まるで書き割りの舞台で陳腐な演劇でもやっているような人生。躁は不安と絶望に裏打ちされている。きちんと自分と向きあわないと、死ぬまで仮装パーティーみたいな
  • ささやかな旅 - 空中キャンプ

    サユミちゃんと知りあったのは、たぶん八年くらい前で、その当時はよく遊んでいたが、今ではもう連絡を取っていない。サユミちゃんは以前に、とあるものまねタレントとつきあっていた。僕もその人を何度かテレビで見たことがある。なんだか派手っぽい人だなとおもったことを覚えている。僕が知りあったときには、すでに彼女とそのものまねタレントとの関係は終わっていたのだが、飲んで気分がよくなったときなんかに、かつて恋人だったその相手について話してくれることがあった。 ものまねタレントには二種類ある。たくさんのものまねレパートリーを次から次へと披露していくタイプと、ある特定のひとりのものまねだけをひたすらやるタイプだ。サユミちゃんのつきあっていた相手は後者で、服装や髪型もすべて人と同じにして、人の名前をもじった芸名を使って活動していた。今ではどうしているのかわからない。僕はテレビをまったく見なくなってしまったし

    ken_wood
    ken_wood 2008/02/09
    >サユミちゃんはものまねタレントとつきあって仕事を手伝っていた。地方営業が重なって三週間ぐらい西日本を回ったと。(略)「もう完璧だった。終わり方もサイアクだったけど、あの三週間だけは冷凍保存したい」。
  • カート・ヴォネガットの「品川心中」 - 空中キャンプ

    このすてきな惑星には、男と女という二種類の生きものがいて、おおよそ男は79年、女は86年ほど生きることができる。宇宙の創造主がお染に与えた時間は、あと56年と8ヶ月ぶん残っていたが、お染には、残り時間を有効に活用しようという意志がなかった。なぜなら、生まれてからあるていど時間の経ってしまった生きものには、あまり価値がないというしきたりが、この惑星にはあったためである。彼女は、自分が生物としていちばん輝いている時間をすでに終えてしまったと考えていた。お染の職業は芸者だった。若い芸者たちが、自分のクライアントを次々に奪っていった。芸者とは、現金と引き換えに、しばらくのあいだ、歌や踊りや会話で男を楽しませる職業である。 残り時間を使い切るのがめんどうになった者には、自分のスイッチを切るという方法があった。みずからスイッチを切るのは、よくないことだといわれていたが、この惑星では、毎日たくさんの人が

    ken_wood
    ken_wood 2008/01/18
    >この惑星では、毎日たくさんの人が自分のスイッチを切っていた。お染の考えた心中は、「クロスナイフ二点同時切断」と呼ばれるものだった。─かくしてふたりは創造主の元へ戻っていくことになる。ハイホー。
  • 空中キャンプ - あたりまえのこと 2007-09-20

    いぜん、心理学者の岸田秀が書いたエッセイを読んでいて、とてもおもしろいとおもったのは、彼がまだ若かったころ、ある日「世の中にはつまらないがある」という事実を発見した、という文章だった。岸田は、この世の中につまらないがあるなどとはかんがえもしなかったのだという。かわりに岸田はこうかんがえていた。というものが、人手と時間をかけて作られている以上、その中には有意義な内容が込められているに決まっている。出版社がわざわざ印刷をし、書店に並べるからには、もちろんその中身はしっかりと吟味されているはずだし、無内容な、つまらないを、手間をかけて出版するなどということはありえない。どんなでも最後まで真剣に読み通す習慣のあった岸田青年は、かたくなにそう信じていたわけだ。 ところが岸田は、あるタイミングで発見してしまう。この世界には、つまらないというものがあると。読んでもいっこもいいことがない、た

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    ken_wood 2007/09/21
    >「あたりまえのこと」を理屈ではなく、腑に落ちるように実感するという体験は、なかなか人と共有できない。中島らもは思春期、「女の子にはそれぞれ個性があり、感情がある」という事実を発見し、震撼したという。
  • 空中キャンプ - 2007-09-07 とりあえずなにか言ってみる

    いぜん通訳の学校にかよっていたとき、もちろん学期の最後には評価があるんだけれど、評価の項目のひとつに、「自信」(Confidence)という欄があって、これはおもしろいなとおもっていた。どれほど文法的に正しくても、発音がきれいでも、びくびくしながら話していては評価が下がるのである。逆に、時制も構文もめちゃくちゃで、発音もひどいんだけど、いったんディスカッションがはじまると、マーティン・ルーサー・キングばりの演説をぶち上げるタフな女の子とかいて、彼女はけっこう高評価だった。わたしは、どうにか Confidence のスコアを上げようと、すこしテンポを落としてゆったりと話すようにしたり、語尾に I think(…とおもうんです僕) とか I guess(たぶんですけども)とかつけるクセをなくすように工夫していた。このあたり、努力や学習というよりは、ほんらいの性格とか度胸の問題になってきて、いま

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    ken_wood 2007/09/10
    >通訳学校の評価項目に「自信・Confidence」があって、どれほど文法的に正しくても、発音がきれいでも、びくびくしながら話していては評価が下がるのである。逆に、時制も構文も発音もひどいんだけどマーティン・ルーサ
  • 2007-08-24 - 空中キャンプ

    「普通の人々」はとても有名な映画で、八〇年度*1のアカデミー賞をとっている。わたしは過去の映画作品についてあまり詳しくないのだが、この映画はとても好きで、何度も繰り返し見ている。見るたびに、すごくいい映画だなーとおもう。長男をボート事故で亡くした家族と、事故後の生活を描いた作品。 人はとても些細なこと、ほんの小さな原因であっても、時には立ち直れないほどに傷ついてしまうものだということが、この映画を見るとよくわかる。人をほんとうに深く打ちのめすのは、いっけん取るに足らないようなできごとだ。あるタイミングで人が見せる、ちょっとした表情や仕草、無意識のうちに言ったひとこと。それが、「普通の人々」(Ordinary People)をこれ以上ないほどに痛めつける。たとえば、わたしが過去に、他人に言われて傷ついた言葉、または態度。おもいだしてみれば、それは決して大げさなものではなかったような気がする。

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    ken_wood 2007/08/27
    >普通の人をほんとうに深く打ちのめす、いっけん取るに足らないようなできごと。そのリアリティを発生させる繊細きわまりない描写がとてもいい。:感強く泣き崩れる人・力強く実務を行う人両方必要だ、感謝しよう。
  • 空中キャンプ ■「『人間嫌い』のルール」/中島義道

    中島義道という人のはふしぎである。読むとイヤな気持ちになる。でも、どこか説明のつかないおもしろさもあって、つい読んでしまう。それは「真実を抉るのはえてして不快である」ということの証左なのかも知れないけれど、やっぱり読後感はわるいのね。彼の「ひとを愛することができない」(角川文庫)というは、今年読んだ中でいちばん後味のわるいものだったのだけれど、このについてなにかを書こうとおもったら、それだけでがやってきて止めた。ちょうになったの。中島は偽善やタテマエを嫌うし、ある種の共感を強制されることをどこまでも拒否する。それが徹底しているので(葬式で泣く人を見ると不快だ、とまでいう)、こんなこと書いちゃっていいのかしら、すごいなあ、とおもいながらわたしは彼のを読むことになる。「人間嫌いのルール」(PHP新書)も、かなり身も蓋もない内容でしたが、なるほどとおもいつつ読みました。 中島の人間嫌

    空中キャンプ ■「『人間嫌い』のルール」/中島義道
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    ken_wood 2007/08/13
    >中島義道は「共感ゲーム」のルールを拒否しているが孤独ではない。人間好き、人間嫌いの二つのカテゴリーでは不十分なのではないか。そこで表を作ってみた。縦軸が人間を好きか嫌いか、横軸が社交技術の有無。
  • 2007-05-24 - 空中キャンプ

    最近、巷でちょっとだけ話題になっているアダルトビデオ、「もしも朝の通勤電車ががっついたベロキスをするカップルで満員だったら。」を見ました。これはレンタルされていないので、見るためにはDVDを買うほかなく、わたしは3,800円だして買ってきました。いくらか割高感がありますが、もう、すごく見たかったの。たまらないほどに。だから、渋谷の高架下にあるエロDVD屋さんの店内を、きわきわの集中力で探して、見つけてきました。監督は、二村ヒトシさん。名著、「モテるための哲学」*1の著者ですね。わたしは二村さんのにかなり傾倒しているので、このビデオもとてもたのしみにして見ました。いったいどういう内容か、DVDのパッケージにある説明文を転載します。 「身動きできない朝の通勤電車の中で、まず一組のバカップルが、人目もはばからずイチャつき、やがて濃厚な接吻を開始した。迷惑そうな、うらやましそうな周囲の人々。やが

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    ken_wood 2007/05/25
    >アダルトビデオは、基本的に単純かつ即物的で男性原理の世界である。だからこそたのしいんだけど、対するオルタナティブとして、女性にとっての性欲とはなにか?視線を含んで作られるのはすごくおもしろくていいと
  • 2007-05-14 - 空中キャンプ

    今年になってから、あまり日映画を見ていない。むしろ避けているような気がする。世間は日映画バブルだというし、邦画の興行収入が洋画を超えて、年間1,000の新作(DVD作品含む)が撮られているとか。でも見てないの。今年に入ってから、六だけです。外国映画は、四十くらい見たのに。なぜか日映画を見たい感がない。バブルなわりには、ぶくぶく泡立つ感じがしないのはなぜかしら。これはいったいなんだろうなあとおもって、今現在、劇場で公開している日映画を調べてみた。 さくらん、眉山、東京タワー、アンフェア the movie、大帝の剣、ゲゲゲの鬼太郎、北斗の拳、神童、あしたの私のつくり方、クレヨンしんちゃん、アルゼンチンババア、赤い文化住宅の初子、蟲師。今やっているのって、このくらいかな。で、今挙げたのって全部、漫画もしくは小説テレビドラマの映画化なのである。調べてみておどろいた。こんなにたくさ

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    ken_wood 2007/05/15
    >日本映画バブルなわりには、ぶくぶく泡立つ感じがしないのはなぜか。オリジナル脚本がほとんどない。すでにできあがった企画を、映画フォーマットに流し込んでいるだけ。頭ひねって自前の脚本で発表ができない。
  • ごめんなさいね、男がこんなで。

    このところ、スポーツクラブの休憩室で、よく anan を読んでいる。自由に閲覧させてもらえるのだ。占いダイエットの号はあまりすきではないが、やはり人間関係や恋愛にかんしての特集はおもしろい。つい読み入ってしまう。「利き手と逆の手でドアを開けると、そのちょっとぎこちない仕草が男性に好印象」などという記事を読んでいると、せつなさを通りこして、逆にぐっときますが、それより興味ぶかいのは、女性誌が男性にたいする不満を中心に記事を組み立てることがおおいという点である。 一部の男性は、もう恋愛というゲームそのものから降りてしまっている。そこが女性にとっては不満なわけだ。女性の側から誘いだそうと手をつくしても、ゲームに参加する意志がなくなっているのである。女性としては、それでは困るわけで、どうにか同じ土俵に上がってもらおうと工夫するのだが、だからといって女性からあからさまに誘うこともできない。のらりく

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    ken_wood 2007/01/23
    >よくanan を読んでいる。人間関係や恋愛の特集はおもしろい。女性の側から誘いだそうと手をつくしても、一部の男性はゲームに参加する意志がないわけで。「そこがいいんじゃないの、ややこしくてたいへんなところが」
  • ■日本人にとって、電車は部屋だ - 空中キャンプ

    いぜん、イギリス人の女の子と話していたときに、とても興味ぶかくおもったのは、日人が電車で寝るのは信じられないといっていたことだ。平気なのかしら、電車で寝るなんて。ふしぎそうな顔つきをして、そう訊いてくる彼女に、わたしはどう答えていいのかよくわからなかった。 「それは、なにかを盗まれたり、乱暴されたりするかもしれないっていうこと?」「それもあるけど、うーん、若い女の子とかがすやすや寝ているのを見ると、なんだかこわいの。ねえ、ここ電車だよ? っていいたくなる」「イギリス人は、電車で寝たりしないんだね」「しない。そんな人いないよ」。彼女のいわんとしていることは、なんとなくわかる。これはおそらく、電車に対するイメージのちがいなのだ。日人は、電車を、部屋のようなイメージでとらえているのかも知れないと、そのときかんがえた。そうでなかったら、寝ないんじゃないかなあ。 イギリス人にとっての電車とは、見

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    ken_wood 2007/01/06
    >イギリス人にとって電車は見知らぬ他者が行き来する「外」なのだろう。電車内で携帯を鳴らしただけで暴発的に怒るおっさんは、公共圏におけるマナーというより、俺の部屋でうるさくするな、という私憤ではないかと
  • 空中キャンプ - 女性の会話には正解があるらしい

    My first jump! I really really adore you more than anyone follow my Twitter account

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    ken_wood 2006/02/24
    なかなかうまく行かんよね。相槌だけ打とうとするつもりがいつの間にか議論にしちゃったりするし。
  • 空中キャンプ:きみとパラダイス

    わたしがあまり積極的に人に話さないことのひとつに、宇多田ヒカルがすき、というものがある。別に、いわないけどね。呑み屋とかで。宇多田いいよねー、みたいなことは。でも、わたしは宇多田ヒカルがすき。日でいちばんたくさんCDが売れたミュージシャンがすき。だから地味に応援している。そして宇多田ヒカルはいい曲を書くなーと当に思う。 彼女のいいところは、なんといっても、二人称が「きみ」であることだ。女の子が、恋人のことを「きみ」と呼ぶ。そのちょっとダサい感じがなんともあまずっぱい。あんまりいわねーじゃん、日常生活とかで。女の子が、「きみはね…」とかさ。でも、楽曲の中だと実にこう、いい塩梅にかわいらしい。宇多田が、歌詞の中での二人称を「きみ」で統一しているのは、すごくいいセンスを感じる。 たとえば、女の子がうたをうたうとき、一人称を「あたし」にするパターンがある。「わたし」ではなく、あえて「あたし」に

    ken_wood
    ken_wood 2005/10/13
    >宇多田の「きみ」とは、性別とかあまり問われないような、もうすこし広くて見通しのいい場所にいる響きが
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