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ブックマーク / ikedanobuo.livedoor.biz (8)

  • 心情倫理と責任倫理 : 池田信夫 blog

    2010年11月23日22:31 カテゴリ法/政治 心情倫理と責任倫理 北朝鮮韓国を砲撃した。今のところ局地戦にとどまるようだが、政権移行にともなう不安定な状況は予断を許さない。まさに国家が暴力装置に他ならないことを示す事件である。思い出して、学生時代以来ひさしぶりにウェーバーを読み返してみた。問題の記述は、岩波文庫版では次のようになっている:国家とは、ある一定の領域の内部で正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である。国家以外のすべての団体や個人に対しては、国家の側で許容した範囲でしか物理的暴力行使の権利が認められない[・・・](p.9 強調は原文)ここでウェーバーが「物理的」と書いているように、このGewaltは殺傷能力であり、間接的な「強制力」ではない。念のためいうと、彼は「暴力装置」という言葉は使っておらず、これはレーニンが『国家と革命』(1917)で使った

    心情倫理と責任倫理 : 池田信夫 blog
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2010/11/24
    「国家の本質が暴力の独占にあることは左翼思想でも何でもない。」ナポレオンもビスマルクも西郷も同意するに違いない
  • 自衛隊は「暴力装置」である : 池田信夫 blog

    2010年11月19日00:08 カテゴリ法/政治 自衛隊は「暴力装置」である 仙谷官房長官の「自衛隊は暴力装置」という国会での発言が問題になり、撤回して陳謝したが、撤回する必要はない。自衛隊はれっきとした軍隊であり、軍隊とは暴力装置に他ならない。これに抗議している自民党は、自衛隊を災害救助隊だとでも思っているのか。正確にいうと、暴力装置は国家である。マックス・ウェーバーは、主権国家を「合法的な暴力の独占」と定義した。これは『国家と革命』におけるレーニンの定義で、最初に提唱したのはトロツキーだとされる。 レーニンは、国家を物理的な暴力(Gewalt)と心理的な権威(Macht)によって成り立つブルジョア階級の統治機構と考え、そのコアにあるのが軍事力だと考えた。この規定が正しかったことは、彼の革命が成功したことによって確かめられた。その後のロシアが悲惨な運命をたどったのも、レーニンの掌握した

    自衛隊は「暴力装置」である : 池田信夫 blog
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2010/11/19
    「「平和憲法」の建て前によって、武官をいかに統制するかという重大な問題が欠落しているのだ。これを機会に、暴力装置としての自衛隊などをどう統制するのか、あらためて考えたほうがいい。」
  • 中国が世界をリードするとき : 池田信夫 blog

    2010年09月25日15:36 カテゴリ法/政治 中国が世界をリードするとき 書はイギリスのジャーナリストが書いたもので、タイトルはいささかセンセーショナルだが、内容はまじめなものだ。今回の事件との関連でおもしろいのは、中国が西洋世界の「法の支配」に挑戦しているという話だ。通説では、西洋が近代化によって中国を追い抜いたのは、財産権や契約などのガバナンスがしっかりしていいて市場や株式会社などの人的関係に依存しない組織ができたからで、中国も成熟すれば西洋化すると西洋人は考えているが、著者はこれに異を唱える。イギリスが近代化に成功したのは、産業革命によって工業化した結果であって、その逆ではない。西洋が世界を制覇したのは、慢性的に戦争を繰り返し、常備軍や歩兵を自前でもつために市民権や財産権を与えたからだ。主権国家の質は、休戦ラインで国境を画す「軍事国家」であり、中国には国境という概念はなか

    中国が世界をリードするとき : 池田信夫 blog
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2010/09/25
    そのうち人口問題(少子高齢化)と環境問題に足首つかまれるんじゃないか(希望的予測)
  • 「ネット世論」という幻想 : 池田信夫 blog

    2010年09月17日15:27 カテゴリメディア 「ネット世論」という幻想 ツイッターで「ネット世論なんて、ごく一部の偏ったサンプル」だと書いたら、意外に多くの反発があったので、自明のことだが書いておこう。 菅原琢氏も指摘するように、「ネット世論」なるものは、特定のウェブサイトに集まる人々が1人で何度もクリックできる人気投票で、データとしての信頼性はまったくない。かつての「麻生人気」も幻想だったし、今回の「小沢人気」も選挙結果には反映されなかった。これを「新聞社の調査もごく一部の声では?」と同列に置くのは、統計学を知らない妄言である。実際の選挙結果には後者のほうがはるかに近く、今回の代表選でもそうだった。 両者に大きな差があるのは、「ネット世論」にバイアスがあるからだ。たとえばニコニコ動画に小沢氏が出演したあとの人気投票で彼が78.5%を取ったのは、もともと彼に好意をもつ視聴者が小沢氏の

    「ネット世論」という幻想 : 池田信夫 blog
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2010/09/17
    「ネットユーザーは自分たちが世の中を動かしていると思いたいので、自分に都合のいい特殊なサンプルを一般化する傾向が強い」そして当てが外れると陰謀論に走る
  • 浜田先生の思い出 : 池田信夫 blog

    2010年06月25日22:02 カテゴリ経済 浜田先生の思い出 浜田宏一氏は私の学生のときのゼミの教官であり、彼が書で激しく攻撃している日銀の白川総裁は、同じゼミの先輩である。したがって、この記事は客観的な書評ではなく、個人的な感想だと思っていただきたい。 浜田先生は人格高潔で、理論ばかりでなく実証研究でも日のケインジアンの中心的存在だった。しかし私が浜田ゼミに入ったころから、空気は変わり始めていた。FriedmanやLucasの論文が発表され、その衝撃が世界に広がり始めていた。ケインズ政策が役に立たないことがはっきりし、大学院生はSargentの教科書でマクロ動学を勉強し始め、ケインズ理論で論文を書く研究者はいなくなった。 浜田先生はそういう状況に怒り、「上野公園には失業者があふれている。フリードマンにはそういう人々への思いやりがない」と批判していた。ゼミではBlinder-So

    浜田先生の思い出 : 池田信夫 blog
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2010/06/26
    ハマコー先生とラスベガスでケンカした話かと思ったら
  • 検察は「暴走」したのか : 池田信夫 blog

    2010年02月11日00:28 カテゴリ法/政治 検察は「暴走」したのか ネット上には、検察や記者クラブを批判して「反権力」を気取る手合いが多いようだが、ネット世論のいい加減さはマスコミ以上だ。たとえば上杉隆氏は「日は推定無罪の原則を持つ法治国家であるはずだ。だが、いまやそれは有名無実化している。実際は、検察官僚と司法記者クラブが横暴を奮う恐怖国家と化している」と検察とマスコミを攻撃しているが、小沢氏を有罪と推定したメディアなんか存在しない。問われているのは刑事責任ではなく、政治責任である。胆沢ダムをめぐる談合の仕切りが収賄罪に問えなくても、政治的に責任がないわけではない。 むしろ小沢氏以外の政治家のスキャンダルが闇に葬られてきたことが問題なのだ。大物政治家の事件は、2004年の日歯連事件以来6年ぶりだが、これは一審では無罪判決が出て批判を浴びた(最高裁では有罪)。判決も指摘する通り、

    検察は「暴走」したのか : 池田信夫 blog
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2010/02/11
    「小沢氏を有罪と推定したメディアなんか存在しない。問われているのは刑事責任ではなく、政治責任である。」まことにごもっとも
  • マスコミの「立件バイアス」 : 池田信夫 blog

    2010年02月03日21:23 カテゴリメディア マスコミの「立件バイアス」 きょうは「検察が週刊朝日に出頭要請した」とかいうガセネタがツイッターをにぎわした。今のところ、この話で当事者に取材した報道はJ-CASTニュースだけだが、それによれば特捜部が週刊朝日の編集部に抗議のFAXを送ってきただけだ。朝日新聞東京社も同様の事実を確認している。 こういう噂があとを絶たないのは、検察取材をしたことのない上杉隆氏が「検察がマスコミを自由自在に操っている」と思っているからだろうが、事実は逆だ。マスコミにとっても事件報道はベンチャー投資のようなもので、100のうち1も報道できない。NHKにはグリコ=森永事件について部屋いっぱいの資料があり、NHKスペシャルまで編集したが放送しなかった。犯人と目された人物の逮捕を警察が見送ったからだ。 もちろんこれは人権を考えれば当然だが、政治家や公人に疑惑がある

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    kurokuragawa
    kurokuragawa 2010/02/04
    まあそんなものかと
  • 天皇は超法規的存在ではない : 池田信夫 blog

    2009年12月20日11:31 カテゴリ法/政治メディア 天皇は超法規的存在ではない 中国の習近平国家副主席と天皇の会見が、大きな政治問題に発展している。特に小沢一郎氏の記者会見が反発を呼び、「天皇の政治利用だ」とか「戦前の軍部と同じだ」といった批判が、産経から赤旗までそろって出てくるのには驚いた。特に週刊文春の見出しは、「小沢と鳩山は天皇に土下座して謝れ」。文藝春秋は、菊池寛が戦争協力の先頭に立った栄光ある歴史をもっているが、その反省もないのだろうか。 問題の「1ヶ月ルール」なるものは、法律でも政令でもなく、閣議決定さえ行なわれていない。このルールは法的拘束力のない慣例にすぎず、首相の指示がそれに違反したからといって、内閣の下部機関である宮内庁が指示を拒否することはできない。小沢氏がゴリ押ししたとかしないとかいう話は、手続き的な瑕疵がない限り、拒否の理由にはならない。法治国家とはそうい

    天皇は超法規的存在ではない : 池田信夫 blog
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2009/12/20
    権力が恣意的に(党派的利益のために?)これまでのルールを捻じ曲げたのが批判されているのです
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