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資料と工夫に関するm25moriのブックマーク (2)

  • 小説を書くのに、どれくらいの知識があれば良いのか?|津籠睦月

    学生時代の自分には「完璧主義」的なところがあり… よく「この程度の知識ではこの小説は書けない」「もっと知識を集めてからでないと、書いてはいけない」と、自分で自分にストップをかけ、小説を書くのを躊躇ためらっていました。 ネットで書評やブックレビューを見れば「作者の知識不足」をつつくコメントがあちこちに散見されます。 「商業で書籍化されたプロですらこの有様なのだから、自分なんてもっと駄目に決まっている」…そんな思いが、小説を書けなくしていたのです。 ですが、今は違います。 なぜなら「知識」とは、掘れば掘るほどさらにディープな知識が見つかる、底の見えない「底なし沼」。 どんなに深い知識を得ても、それより「さらに深い知識」を持った人がどこかに必ずいるという、「上には上がいる」世界。 極めようと思えば際限がなく、それだけに一生を費やしても足りないくらいです。 「もっと知識が無ければ書けない」などと言

    小説を書くのに、どれくらいの知識があれば良いのか?|津籠睦月
  • 歴史を「平面」ではなく「立体的」に捉える|津籠睦月

    歴史小説を書く際に、個人的に大切にしていることがあります。 それは、歴史を「平面的」に見るのではなく、「立体的」に捉えるということです。 たとえば、日の古代をモチーフにした小説を書く際、皆さんはどんな資料を探しますか? 有名どころの歴史書と言えば「古事記」「日書紀」の、いわゆる「記紀」があります。 地方の歴史を扱ったもので言えば、いくつかの「風土記」が残されています。 しかし…公的に編纂された歴史書だけが「日歴史」でしょうか? 歴史は、歴史書以外にも、様々なところに残されています。 たとえば古い神社の「縁起」には、その地方の信仰や神々の「歴史」が刻まれています。 古くからある地名には、その土地が「どんな土地だったのか」――その由来が秘められています。 そもそも歴史を見る術は「文献」だけではありません。 人物や建物、器物の「埴輪」は、古代の日人が「実際に目にしていたものたち」を「形

    歴史を「平面」ではなく「立体的」に捉える|津籠睦月
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