> 太平洋戦争中、硫黄島やサイパン島などミクロネシア諸島の島々で日本軍が玉砕したが、その司令官が部下を残して逃げたという例は1つもない。 > 司令官は、突入攻撃か自決して果てるまで戦場にいて軍隊としての統率を指揮していた。 戦前の将官を武人と理解したらトンでもない買い被りで、彼等の本音は出世競争と派閥抗争に尽きていた。 腰に軍刀をぶら下げた姿は武人そのものだが、実態はノーパンしゃぶしゃぶを満喫した大蔵官僚と変わらない。 例えばフィリピンに派遣された陸軍の第四航空軍司令官、富永恭次中将。 「諸君だけを死なせるのではない。 この富永も最後の一機で、必ず突入する。 どうか、安んじて出撃してもらいたい」 「多くの部下を特攻に出してしまった以上、自分はマニラから離れるわけにはいかない」 と大風呂敷を広げた軍司令官は、ルソン島エチヤゲ基地で持久戦を全うするはずだった。 1945年1月17日、