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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (113)

  • 夜間中学問題に見るこの国の体質 - Arisanのノート

    今朝の毎日新聞に、大阪府が続けてきた夜間中学に通う人たち(そのなかで所得が低い人たち)のための就学援助制度を打ち切ることへの批判が議会で(自民・共産など)相次いだ、という記事が出ていた。 これについては、やはり毎日新聞に、先日以下のような記者の意見記事が載った。 記者の目:「就学援助」廃止方針の橋下府知事http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20080701ddm004070200000c.html 同感だが、少し補足する。 就学援助の責務履行を別途、国に求める道もあったはずだ。憲法が記す「義務教育の無償」は、国による教育機会の保障をうたったものだ。夜間中学生の多くが、国の戦争で義務教育を奪われたのだから。 戦争で義務教育が受けられなかった、ということも重要だが、現在多くの高齢の人たちがこうした教育を必要とする状況になってるのには、他にも過去

    夜間中学問題に見るこの国の体質 - Arisanのノート
  • 犠牲に供されるもの - Arisanのノート

    原発での給水作業やその他の作業はすすめられており、このまま最悪の状況の回避がもたらされるのであれば、そのこと自体は、喜ばしいとしか言いようがない。決して「最悪の状況」がもたらされてはならない。そう思う。 もちろん、作業によって死傷したり被曝している人たちの存在は、無視も正当化も美化もされてはならない事実として、目の前にある。 何度も繰り返すが、原発の存在は、それが「正常」に稼動している日常から、こうした現場の労働者や周辺住民の「犠牲」のうえにしか成立しないものであると思う。まして、このような大事故が起これば、なおさらそのことが露呈する。 最も基的なことを言えば、「想定」では自然などの現実には対処できない部分が残る。その現実が起きたとき、「想定外だった」と言ってすませるには、核エネルギーはあまりにも破壊的でありすぎるのだ。異常が起きたときに制御できないような力を、われわれは利用しようとして

    犠牲に供されるもの - Arisanのノート
  • 小泉氏の脱原発発言 - Arisanのノート

    小泉元首相が脱原発を語り始めたことが、日米のマスコミを賑わせたり、巷や、また国会でも話題になってるようである。 小泉氏の名を聞くと、いつも思い出すことがあるので、書いておこう。 どの選挙だったか忘れたが、小泉首相の人気が絶頂の頃、僕の住む町にほど近い駅前に、国政選挙の応援演説にやってきたことがあった。 その駅は、郊外を走る私鉄の各停しか止まらない小さな駅で、そんな地味な場所に、連日ニュースやワイドショーの画面を席巻しているあの人物が来るとは俄かに信じがたかった。僕は当時も今も、根っからの反小泉を自認しているのだが、それ以上にミーハーなので、一目物をこの目で見ようと、いそいそと出かけて行ったのである。 着いてみると、駅前の小さな広場は、すでに人で埋め尽くされていて、演説用の選挙カーの正面には入りこむ隙間もなかった。それで仕方なく、僕は選挙カーの裏側の、薄暗い小さなスペースに立つことにした。

    小泉氏の脱原発発言 - Arisanのノート
  • 家永三郎『戦争責任』 - Arisanのノート

    戦争責任 (岩波現代文庫―社会) 作者: 家永三郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2002/01/16メディア: 文庫 クリック: 6回この商品を含むブログ (10件) を見る 家永三郎というと、僕らの世代にとっては歴史学者という以上に教科書裁判の主役という印象が強く、正直、堅苦しい人のようなイメージがある。しかも、このテーマである。文庫にしては随分な分厚さということもあって、買いはしたものの、ページを開くのはあまり気が進まなかった。 だが読み始めてみると、最近になかったほどに引き込まれて、あっという間に読み切ってしまった。その大きな理由は、市井の庶民である戦争体験者や兵士たちによる回想・証言・手記の類、また軍人、政治家、侍従らによる、やはり回想や記録といった、きわめて豊富な資料の引用という、書のスタイルにある。 このは学問的・ないしは道徳(倫理)的な論究の書というにとどまらず

    家永三郎『戦争責任』 - Arisanのノート
    maangie
    maangie 2013/08/26
    ハル‐ノート。七三一部隊。石井四郎。足尾鉱毒事件。澤地久枝。東久邇宮稔彦。カール・ヤスパース。丸山真男。上坂冬子。
  • 家永三郎『太平洋戦争』 - Arisanのノート

    太平洋戦争 (岩波現代文庫―学術) 作者: 家永三郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2002/07/16メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 5回この商品を含むブログ (9件) を見る 満州事変から対米英戦争にいたる、日の15年間の戦争の過程を、国内の情勢と、外地や戦場の状況を叙述しながら振り返り、なぜあの戦争が止められなかったか、またそれがいかに破壊的な結果をもたらすものであったか、そしてその経験が戦後にどのように継承されたか(あるいはされなかったか)を、時代の体験者であり歴史学者である著者自身の倫理的関心に基づいて考察したである。 吉田裕による文庫版の「解説」には、書の特徴がきわめて適切にまとめられているのだが、その一つに、『諸領域を総合した、体系的な通史という叙述のスタイルをとることを最初から意識的に放棄していること』が挙げられている。 このような姿勢は、初版の序や第

    家永三郎『太平洋戦争』 - Arisanのノート
    maangie
    maangie 2013/08/26
    吉田裕。荒木貞夫。ノモンハン事件。自由民権運動。秩父事件。飯田事件。ABCD包囲網。
  • サルトルの「自己欺瞞」論 - Arisanのノート

    『存在と無』(ちくま学芸文庫)のなかの第一部第二章では、「自己欺瞞」という心理現象の分析をとおして、人間の意識のあり方に迫る試みが行われている。 この部分がたいへん面白いと思ったので、ここにメモしておきたい。 まず、これはとても重要なことだが、サルトルはここで、嘘や虚構と、自己欺瞞とを明確に分けている。 嘘をつく人の内心の気持ちは、肯定的である。つまりその気持ちは、肯定的判断の対象ともなりうる。嘘をつく人は、だます意図をもっているのであり、この意図を自分に隠そうとはしないし、意識の半透明性をおおい隠そうともしない。(p173) 虚偽は一つの超越的な行為である(p174) この「意識の半透明性」というのがよく分からないのだが、まあいいだろう(「無」が関係してるのだろう。)。 ともかくサルトルがここで問題にするのは自己欺瞞であって、嘘(虚偽)や虚構ではない。自己欺瞞は、「超越的」ではない。私が

    サルトルの「自己欺瞞」論 - Arisanのノート
  • 06年最後のエントリーは、労働運動について考える - Arisanのノート

    はじめに、『冷凍フラミンゴ』さんというブログで、このブログをリンクしてくださることになったそうです。ありがとうございます。 さて、先日、tu-taさんから、コメント欄でこちらの記事をご紹介いただいた。 公務員の労働運動の今後の方向性について書かれたもので、まことにもっともと思われる内容である。 それに関して、12月21日のコメント欄に少し意見を書いたのだが、ここではもうちょっと基的なところを考えてみようと思う。 労働運動という言葉には、搾取されている貧しい労働者たちが、資家や権力者たちに対抗して自分たちの生活と権利を守るために団結してたたかうもの、というイメージがぼくにはあり、実際そういうものとして多くの人に自覚されながら行われてきたんだろうと思う。 それが経済成長により社会が全体として豊かになってくると、「働く者」とひと括りには出来なくなってくる。もともと出来なかったのだろうが、出来

    06年最後のエントリーは、労働運動について考える - Arisanのノート
  • 誇りと分裂 - Arisanのノート

    『日が誇るべきこと、省みること、そして内外に伝えるべきこと〜「慰安婦」問題の理解のために』 http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130525-00025178/ このインタビューの中で大沼氏が語っているように、個々の被害者の在り方は当然ながら多様であり、そのなかにはきっと、「女性基金」のような形でも救済(謝罪や補償)に応じたいという方たちも居られたであろう。 その人に関しては、たしかに両国の国家の理屈や国民的な論理といったものからは、こぼれ落ちてしまうことになるだろうと思う。だから、このような民間の形をとってでも救済することは、時には必要であったり、貴重な人間的な尽力であるのだろう。 そこまではよい。 だが問題は、そのこと(「女性基金」のような民間の活動)が、もし来国家が為すべき謝罪や責任の明確化や補償といったことの、免責や曖昧化に

    誇りと分裂 - Arisanのノート
  • 橋下発言が露呈させたもの - Arisanのノート

    慰安婦問題、風俗業をめぐる橋下氏の発言要旨(朝日新聞デジタル) http://www.asahi.com/politics/update/0514/OSK201305130144.html 今回の橋下の発言を最初に知った時、まず思ったことは、この言葉自体がひとつの凶悪な暴力であり、元「慰安婦」の人たちはもちろん、性暴力や差別を被ってきた人たちにとっては、セカンドレイプに等しいものだろうということだった。 そして、そんな暴力が許容されるどころか「口外しないほうがよい音」として暗に肯定されてしまうという、この僕らの社会の醜悪さを、彼の発言に同調もしくは黙認する者たちの言動(例えば「不用意な表現は国益を損う」!)を介して、橋下発言は被害者達を含む我々のすべてに突きつけた。 この意味で、この暴言の(暴露的であると同時に)脅迫的な効果は二重なのだ。 橋下は、日が「レイプ国家」呼ばわりされることを

    橋下発言が露呈させたもの - Arisanのノート
    maangie
    maangie 2013/05/21
    とらばも
  • 橋下発言と日本の性差別 - Arisanのノート

    http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130516/waf13051611240010-n1.htm 日維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は15日夜、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の司令官に米兵の性的欲求の対応策として風俗業の活用を進言したことに関し、記者団から市職員のわいせつ事件の抑止対策として風俗業の活用が有効か問われ、「僕は(有効策に)なり得ると思う」との見解を示した。 橋下氏は「何の罪もない人のところに行くくらいだったら、認められている範囲のところでちゃんとしなさいよ、というのが来のアドバイス」と述べた。 すべて性労働を消費する人は、それが法的に認められたものであろうとなかろうと、他人の性的身体を商品として扱って自分の欲望を満たしているという点で、倫理的には何がしか不正義であることを免れないはずである。しかもそれが、社

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  • 国家による暴力の論理への抵抗を - Arisanのノート

    さる24日日曜日、大阪市内で行われた「朝鮮学校ええじゃないか!春のモア・パレード」に参加した。 これは、朝鮮学校への「高校無償化」適用や、自治体補助金の再開・復活を求めて、行われた集会とパレード(デモ)で、朝鮮学校の学生や関係者、それを支援する人たちなど2000人近くが参加して行われたもの。 パレードは扇町公園を出発して西梅田公園の解散というコースであったが、まずその終盤近くに起きた出来事について書く。 僕は全体の前の方の隊列に居たのだが、西梅田公園に入るとすぐに、大音量のスピーカーで「朝鮮人」を口汚く罵倒する車が何台か(はじめは2台、その後他にも現れたようだ)公園横の道路に現れ、公園内は騒然となった。 この日は、御堂筋で「日韓断交」を趣旨にしているらしい排外主義団体のデモ行進が行われ、さらに夕方からは梅田のJR大阪駅前で街宣が行われる予定だった。それらに参加するのであろう人々によるパレー

    国家による暴力の論理への抵抗を - Arisanのノート
  • 鶴橋の排外デモ・水路を開く者 - Arisanのノート

    自分は行けなかったので、詳細が分からないのだが、24日日曜日に、大阪の鶴橋で在特会によるかなりの規模(100人ぐらいという説もあるが、もっと多かったのかも)の排外デモがあり、それに対する有志による抗議の行動も行われたそうだ。 抗議行動に参加した方たちには、心から賞賛とお礼の言葉を送りたい。 この日のデモでは、「朝鮮人」という言葉が大声で連呼され、ゴキブリ殺せとか、死ねとかいうような絶叫がそれに重ねて繰り返されてたらしい。 ヘイトスピーチとか言葉の暴力といった言い方さえふさわしくないような、直接的な憎悪と脅迫の撒き散らしである。 最近は東京の新大久保でも、同様の在特会など排外主義者によるデモが、毎週だか毎月だか行われていて、やはり「朝鮮人を殺せ」だとか「ガス室に送れ」だのというシュプレヒコールやプラカードが掲げられ、コリアタウンの営業にも大きな支障が出ていると聞いていたが、東京に比べるとこう

    鶴橋の排外デモ・水路を開く者 - Arisanのノート
  • 瓦礫受け入れ問題再論 - Arisanのノート

    被災地からの瓦礫受け入れへの反対ということについては、今まで何度か書いてきた。 反対の理由について書けば、おおむね次のようになる。 放射能汚染を拡大しないということは、当然の原則であって、来なされるべきなのは、「被曝の恐れのある(場所に住んでいる)人々の数をいかに減らすか」という事であるはずなのに、各地で瓦礫を受け入れることは、それとは逆の方向性の行為である。 いわゆる除染ということの効果が極めて疑わしい以上、汚染と被曝に関しての真の被災地支援の第一とは、高度に汚染された地域から出来るだけ多くの人に避難してもらう、そのための条件を作っていく、それ以外のことではないだろう。 それを踏まえたうえで、政府の政策や、さまざまな事情のため、いま危険な地域にやむをえず残っている人たちのための支援が考えられねばならない。そのためには、むしろ瓦礫を(焼却しない形態を含めて)被災地で処理する方が、復興のた

    瓦礫受け入れ問題再論 - Arisanのノート
    maangie
    maangie 2012/12/22
    続きも。ぶこめも。
  • 『東日本大震災 東北朝鮮学校の記録』 - Arisanのノート

    28日の日曜日、リバティ大阪でコマプレス製作の記録映画、『東日大震災 東北朝鮮学校の記録2011.3.15〜3.20』の上映とトークの催しがあり、参加してきた。 この映画は、去年3月11日の震災の直後、発生から三日目に東北に入り、建物や設備に大きな被害を受けた東北朝鮮学校の人たちの苦難の姿を、韓国出身の朴思柔(パクサユ)さんと在日コリアンの朴敦史(パクトンサ)さんのお二人が記録したもの。 非常に貴重な記録だと思うのだが、僕は少し遅れて行ったので、映画のはじめの部分が見られなかったのは残念だった。 内容に関しては、こちらのサイトに、短いが的確な評が載っている。 http://10plus1.jp/monthly/2012/03/post-38.php 僕がこの映画を見ながら感じたのは、被災地の様子を撮った他の映像に比べて、アングル(視線)が低いように感じられる、ということだった。 それは、

    『東日本大震災 東北朝鮮学校の記録』 - Arisanのノート
  • 関電前で不当逮捕 - Arisanのノート

    金曜の夜、大阪の関電社前で不当逮捕があった。 下の映像では、最後の部分に証言が出てくる。 いわゆる「転び公防」だということ。 http://www.youtube.com/watch?v=2sMIBlHcwLA&feature=youtu.be こちらは、16分30秒頃から、最後まで、逮捕と連行の様子。撮影にも勇気が要ったと思う。 http://www.ustream.tv/recorded/25931138#utm_campaign=t.co&utm_source=25931138&utm_medium=social さらに、こちらのブログ記事でも詳しく紹介されている。 http://portirland.blogspot.jp/2012/10/hangenpatu-demo-taiho-kanden-houdou.html 最後に、この件についての呼び掛け文を転載するが、その前に少し

    関電前で不当逮捕 - Arisanのノート
  • 愚劣な言い分 - Arisanのノート

    慰安婦問題、韓国と協議中=「女性基金」正当評価を−野田首相 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2012092400007 見出しだけ読んで、一瞬何か良い進展があるのかと期待したが、最悪だ。 野田首相や日政治家にはやはり、自分たちが過去も現在も行使している暴力の質がどこにあるのか、なぜその行為や態度、言動が、アジアの人たちの不信を呼び、怒らせ続けるのかということが、まったく理解できていないらしい。 首相はインタビューで、国民の寄付などで発足した「女性のためのアジア平和国民基金」が元慰安婦への「償い金」事業などに取り組んだと指摘。「台湾やフィリピン、インドネシアで肯定的な評価を受け、韓国も当初は肯定的評価があったが、途中から変わってしまった」と不満を示し、「基金の評価をまずちゃんとしてもらわないといけない」と強調した。 国民や民間が、責

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  • なされるべきであった事 - Arisanのノート

    天皇訪韓という事柄が、はじめてはっきり提起されたのは、金大中政権の時だったはずである。当時僕は、大統領がこれを提起したのは、日との間に「現実的な」関係を作ろうとする選択をしたということだろうと思った。 つまり、植民地支配をもたらした天皇中心の日の国のあり方は、その被害をまともに受けてきた韓国にとって決して望ましいものではないが、その体質を日が自力で変えるということは、少なくとも当面は望み薄だから、それにこだわって交流を損うよりも、それにはいったん目をつぶって交流を進め、互いに利益を得ると共に、そのなかで日の国の体質も自ずから好い方向に変わってくれれば良い、というような選択をしたのだと受け取ったのである。 つまりは、日に対する「太陽政策」ということだ。 だとするとそれは、植民地支配や歴史認識に関わるような次元をいったんは棚上げにして、経済や文化や、また最近では軍事面の交流だけを進め

    なされるべきであった事 - Arisanのノート
    maangie
    maangie 2012/08/18
    金大中。
  • 『「語られないもの」としての朝鮮学校』 - Arisanのノート

    友人の著書です。 出来るだけ「さくら」記事にならないように書評を書きます(笑)。 「語られないもの」としての朝鮮学校――在日民族教育とアイデンティティ・ポリティクス 作者: 宋基燦出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2012/06/28メディア: 単行購入: 1人 クリック: 156回この商品を含むブログを見る このを読んでいて何よりも印象深いのは、朝鮮学校の生徒や先生、父兄に限らず、在日コリアンの人たちが抱えている苦悩や困難に対する、著者のまなざしの深さと繊細さである。 著者は、在日の人たちにとっては他者である韓国国の人であり、また研究者という他者的なポジションに立ってもいるわけだが、同時に植民地化による過酷な「記憶」の共有者でもある。 私は語られないものについて語りたかった。だからといって私がしたいのは、彼らを単純に代弁することではない。それは彼らを他者化してしまう暴力に過ぎな

    『「語られないもの」としての朝鮮学校』 - Arisanのノート
  • ニコンよ、恥を知れ - Arisanのノート

    こうして詳しく話を聞いてみると、いかに酷い話かがよく分かる。 Fotgazet通信・問われる表現の自由〜ニコンサロン写真展中止事件 http://www.ourplanet-tv.org/?q=node%2F1382 ニコンが、掲示板での書き込みや、もしくはそれ以外の何らかの圧力を受けて自分たちの決定を覆し、写真展を中止にしたというのは間違いないところだと思うが、それを正当化するために、「政治的な表現だから展示させない」と言っているのだという。 自分たちのいわば都合で、一度は自分たちが決定して企画した表現の場を潰しておきながら、その理由をなかなか明らかにしようとせず、司法の場に持ち込まれてやっと表明したと思ったら、まるで「(ニコン自身によって)被害を受けた側」(つまり安世鴻さん)に非があるかのように言い出す。 ここには、「慰安婦」問題が日において周縁化されてきた主たる理由である、日の企

    ニコンよ、恥を知れ - Arisanのノート
    maangie
    maangie 2012/06/21
    例えば…、ロバート・キャパが非政治的であるはずがない。
  • 大阪府の朝鮮学校補助金不支給について - Arisanのノート

    http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120319mog00m040015000c.html 大阪府は、元々補助金を支給しないですむ口実を探してたのだろうから、今回持ち出してきた理由の理不尽さに、ことさら驚くことはないのかもしれない。 「職員室から肖像画を撤去しろ」という言い分自体も難癖としか言いようのないものだったが、それが満たされると、事前に「支給する見通し」という発表を行って、「支給しないですむ理由」の公募みたいなことをやった。 その挙句に出てきたのが、この話である。まあ基、理由などはどうでもよかったのだろう。 だがそれにしても、生徒たちが自分の国を訪れたことを理由にして、補助金を支給しないというのは、この子たちの祖国訪問を日では公共に反する行為だと決め付けたのと同然で、その酷さには体が震えるほどである。 子どもらが自分の国を訪問する権利を

    大阪府の朝鮮学校補助金不支給について - Arisanのノート
    maangie
    maangie 2012/06/10
    「国のあり方と同一化することによってしか自分を尊重する気持ちがもてないような人たちを大量に作りだすことで、この日本という国は統治されているのが現実」ふーむ。