日本軍の捕虜政策 作者: 内海愛子出版社/メーカー: 青木書店発売日: 2005/04/01メディア: 単行本 クリック: 2回この商品を含むブログ (5件) を見る 先週末購入したのだが、三連休中は休日出勤したり親の家に行ったりしてあまり時間が取れなかった。通勤時に読むにはかさばりすぎる本なので、前半部分と目次を見て興味をそそれられた部分をつまみ食いした程度である。その代わりというか同時期に購入した同じ著者のスガモプリズン―戦犯たちの平和運動 (歴史文化ライブラリー)を通勤時には読んでいた。 「日本軍の捕虜政策」でまっさきに興味を引かれた部分はやはり石毛通冶氏の証言を詳細に記述したP341以降の部分だ。 石毛氏は予備士官学校の出身*1だが、実質6ヶ月の教育しか受けていない。消耗品としての将校を速成するための予備士官学校では国際法の教育はまったく受けていなかった。「俘虜取扱規則」を初めて読
浅草の伝法院の通りを通りかかったら、見知らぬ店ができておりました。ここが以前何やさんだったのか、どうも全く覚えておりません。こういう見慣れない店ができたときは、一年間は昔ここはどんな店だったのか表示しないといけないとでもいう条例でも作ってくれないってぇと不便でしょうがないですなぁ。必ず横を歩いている奴に「おう、ここはなんだっけな?」「さぁなぁ・・なんだっけなぁ・・・」と終わろうというものでございますよ。 で、何やかと思ったらなんと宝くじ売り場だてんです。年末ジャンボの最終日ですから今日はあっちでもこっちでも声をからしての大宣伝で、行く先、行く先の宝くじ売り場はどこもかしこも人の列ができておりましたです、はい。 それにしてもこんなところに宝くじなのかぁ、と伝法院の皆さんに文句のひとつもいいたくなったんだけれど、よぉ〜くみると店の上の方にこんな札が三枚乗っかっているんです。これ、三枚とも落語に
マリア・テレジアといえば、有名なオーストリー・ハプスブルグ家の女王です。 彼女の在位は1740〜1780年でした。 この女王の像を刻んだ銀貨が、不思議なことに、東アフリカとアラビア半島の一部で異常な人気を呼びました。 「人気」という言葉はふさわしくないかもしれませんが、その実質的な価値以上の価値をもって取引されたのです。 エチオピアの西部にあるカファ地方は、コーヒーの語源にもなったところです。 コーヒーを買うためには、他のどんな貨幣でも受け入れられず、マリア・テレジアの銀貨だけが使われたのです。 何と200年近くもです。 マリア・テレジアの1ターレル銀貨 表:マリア・テレジア像 裏:楯紋章を胸に掲げた双頭の鷲 表から裏に続く銘文:M・THERESIA・D・G・R・IMP・HU・BO・REG・ARCHID・AVST・DUX・BURG・CO・TYR・ (ローマ帝国の女帝にして、ハ
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
永井均、『フィリピンBC級戦犯裁判』、講談社選書メチエ、2013年 著者が岩波から2010年に刊行した『フィリピンと対日戦犯裁判』の方は未読。ゆえに本書が岩波本の一般向け簡略版なのか、それとも新たな観点や問題意識が加えられているのかについてはいまのところ不明。今後調査してご報告します。 日本の右派が中国、韓国と対比して「反日じゃない」と引き合いに出す国の一つ、フィリピン。そのフィリピンにおける戦後しばらくの対日感情が極めて厳しいものであったこと、アメリカから裁判権を引き継いだ戦犯裁判の特徴、有名なモンテンルパ・ニュービリビッド刑務所での処遇、そして受刑者たちの恩赦、帰国に至るまでの経緯が紹介されている。タイトルは『〜BC級戦犯裁判』だが、内容的にはむしろ裁判後の経緯に重点が置かれている。 フィリピン人の対日感情を示すエピソードの中でも特に印象的なのは、降伏した日本軍将兵らにしばしば「バカヤ
これ、岡本太郎さんの字(絵?)です。 1967年、小田実さんや開高健さんや鶴見俊輔さんたちが発起人になって、ワシントンポストに反戦広告を出したとき、その広告のために岡本さんに描いてもらった字(絵?)です。当時はベトナム戦争のまっ最中で、アメリカに「そんな戦争はやめろ」と呼びかけた広告なんですね。 すごいなあ。とにかく、『殺すな』っていうコピーがすごい。 「戦争反対」なんてことばが、なんだかまどろっこしく感じられてくる。 と同時に、その言葉に「息」というか、「肉声」というか、「身体」を与えた岡本さんの「字」がすごい。これはもう「字」というより「声」であり、「叫び」であり、「音の絵化」ですね。この種の広告のビジュアルに、これ以上のものはちょっと考えられないんじゃないでしょうか。 ことしも先日の憲法記念日に、この字(絵)を使った市民意見広告運動の意見広告が、朝日新聞に出ましたね。こういう意見広告
一、人類歴史は統制主義の時代にある フランス革命は專制主義から自由主義えの轉換を決定した典型的自由主義革命であり、日本の明治維新もこの見地からすれば、自由主義革命に属する。自由主義は專制主義よりも遙かに能率高き指導精神であつた。しかるに第一次大戰以後、敗戰國もしくは後進國において、敗戰から立上り、或は先進國に追いつくため、自由主義よりも更に能率高き統制主義が採用された。ソ連の共産黨を含み、あらゆる近代的社會主義諸政黨、三民主義の中國國民黨、イタリアのフアツシヨ、ドイツのナチ、遲れ馳せながらスペインのフランコ政權、日本の大政翼賛會等はいづれもこれである。依然として自由主義に止つた諸國家も、第二次大戰起り、ドイツのフランス、イギリスにたいする緒戰の壓倒的勝利、さてはドイツの破竹の進撃にたいするソ連の頑強なる抵抗を見るにおよんで、自由主義をもつてしては到底統制主義の高き能率に匹敵し得ざることを認
18才の時の防衛大学の面接で、「陸上自衛隊と、海上自衛隊、将来どちらを志望しますか?」と聞かれ、私は躊躇なく「海自です」と答えた。太平洋戦争開戦について、米国などの実態を把握し戦争を回避しようとした海軍と、日中戦争からずるずると日本を泥沼のような世界大戦にひきずりこんだ陸軍という認識を持っていた。戦略的思想が陸軍には感じられなかった。いや、まてよと思ったのが、今年4月以降訪問した中国の大連、旅順、インドネシア、シンガポール、ベトナムのアジア諸国での体験だった。 旅順のソ連占領 (本文) - HPO:機密日誌 東京圏が十数年でできちゃった! - HPO:機密日誌 ポツダム宣言受諾であって日本国の無条件降伏でなかったこと - HPO:機密日誌 各国に行って、日本軍を植民地支配からの救世主と認識し、各国の独立を助けてくれたと少なくとも一部のアジアの人々が感謝している事実を実体験した。国として戦争
映画「陸軍登戸研究所」公式ツイッターページはこちらから ポレポレ東中野 楠山忠之(くすやまただゆき)監督トーク日程とゲスト出演者 15日(土)斎藤充功(さいとうみちのり):ノンフィクション作家「陸軍中野学校の真実‐諜報員たちの戦後」他 16日(日)近藤昭二(こんどうしょうじ):NPO法人731部隊・細菌戦資料センター代表 17日(月)小岩昌子(こいわまさこ):風船爆弾の紙張りに動員 19日(水)中島光雄(なかじまみつお):名古屋造兵廠で風船爆弾の検査役 20日(木)太田圓次(おおたえんじ):登戸研究所勤務 風船爆弾を試験放球 21日(金)宮永和子(みやながかずこ):元“登研”保存の会 風船爆弾レプリカ作成 22日(土)宇佐照代(うさてるよ):アイヌ口琴ムックリ演奏 23日(日)石原たみ(いしはらたみ):スタッフ:インタビュアー 24日(月)北野英子(きたのえいこ):東京・日劇で挺身隊として
こういう発言がありました。 町山智浩@TomoMachi ローザ・パークス以前にも白人席に座った黒人は何人もいた。しかし何も起こらなかった。パークスの行動は、キング牧師によって人種隔離廃止運動へとつながったから、歴史に残った。実際に世の中を変える運動にしないなら、意味がないですよ。RT @claw2003: ローザ・パークスは https://twitter.com/TomoMachi/status/346046862878470145 ローザ・パークスとは、アメリカ・アラバマ州モンゴメリーでバスに白人優先席があった1955年、黒人だからという理由で白人に席を譲らされることを拒否したために逮捕された女性です。この事件の裁判を機会に、女性政治会議(WPC)が黒人にバスのボイコットを呼びかけ、全米黒人向上協会(NAACP)もこれを支持しました。黒人社会全体がボイコットに協力し、翌1956年1
花岡事件とは 太平洋戦争中日本の労働力不足補給のため中国から強制連行された中国人は約4万人に達する。そのうち同和鉱業花岡の下請け鹿島組に配されたのは986名でうち7名は輸送中に死亡している。この人々は姥沢の中山寮に入れられ酷しい監視の下に苛酷な労働と劣悪な生活条件のため続々と死者が出た。1945年6月30日夜、生き残った全員約800名が人間の尊厳を守り日本軍国主義に一矢を報いようと一斉蜂起し獅子ヶ森に拠った。日本の憲兵・警察・在郷軍人会・警防団等に包囲され激しい戦闘の後殆んど全員捕らえられ共楽館の庭に繋がれ炎天の下三日三晩食も水も与えられず拷問取調べを受け次々と倒れた。7月の死者100名と記されているがその悲惨さは言語に絶するものがあった。・・・・ 共楽館跡碑々文より 1944(昭和19)年8月8日の昼頃、よれよれの作業着を身にまとった弱々しい男の集団が、歩くのもやっとといった、疲れ切
このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日本のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。
1940年締結の日独伊三国同盟は,日本が破滅への道を辿る分岐点の一大モニュメントであった.東京裁判の国際検察局による尋問調書の中にあって長年注目されず埋もれていたドイツ人外交官らの証言を手がかりに,同盟成立にまつわる謎に新たな光を当て,「松岡外交」の舞台裏とその内実を鮮烈に描き出す歴史ノンフィクション. ■内容紹介 日独伊三国軍事同盟は1940年9月に締結され,日本がアメリカ,イギリスなどを相手に破滅の戦争へと踏み出す大きな要因となった.時の外相松岡洋右は調印までの外交交渉のすべてを密室で一人で進め,公式な記録を残すこともなく,成立までの過程は厚いベールに覆われ実態は不透明なままだった. その成立から70年余,外交交渉の当事者たちの証言がそろって出現した.東京裁判のために設けられた国際検察局(IPS)が作成しながら,裁判には提出されなかった尋問調書や捜査資料.眠っていた日本とドイツの外交官
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※註(2009.3.24.補足):この記事に続く関係記事は以下の通り。 ・秦郁彦・西尾幹二「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」評 続き」 ・『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」評 蛇足的まとめ ・『諸君!』秦郁彦・西尾幹二対談評への西尾氏のコメントについて ※註(2010.12.31.補足):この一連の記事が西尾氏の著書に引用されました。 ・『西尾幹二のブログ論壇』をご恵贈いただく~ぜんざいの塩 先日新聞の社会面を見ていて、文藝春秋社の雑誌『諸君!』が休刊するということを知り、驚きました。創刊40年になる保守系のオピニオン誌で、かなり有名な雑誌ですから。更に、昨今の世相からすれば、『諸君!』の論調は世間に対する受けはむしろ良い(少なくとも逆風はない)はずなのでは、という疑問が浮かびました。 時事ドットコム「雑誌「諸君!」休刊へ=文芸春秋」によると、「最高部数は2006年の8万5000部、
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