タグ

ブックマーク / nishiha.blog43.fc2.com (9)

  • 戦争を語り継ごうブログ 中国大陸打通苦しみの行軍

    今日15時10分から、NHK・BS2で放送されました「証言記録 兵 士たちの戦争中国大陸打通苦しみの行軍1500キロ』」を観まし た。 <「大陸打通」。第二次世界大戦で、米軍の前に敗北を重ねていた日 が、南方との陸上交通路を確保すべく広大な中国大陸縦断を目指し た陸軍史上最大の作戦。それは参謀部内でも中止論が出るほど無謀 なものだった。静岡県出身者で編成された陸軍歩兵第34連隊は、そ の先陣部隊として参加。兵士たちは、コレラや赤痢に倒れ、弾薬が尽 きるなか突撃していった。静岡34連隊の元兵士たちの証言を基に、 中国大陸打通作戦の実態を描く。>(NHKの番組紹介) この作戦は、大営の第二作戦課長・服部卓四郎大佐らが机上で計画 したもので、途中で「インパール作戦の轍を踏むな」と中止論が出る ほどでいたが、服部課長の面目を保つため続行されました。しかし約 8カ月かけてやっと目的地を占領し

  • 戦争を語り継ごうブログ 樺太先住民族の戦争(上)

    MLのオフ会で神戸護国神社を訪ねた際、建ち並ぶ戦友会の慰霊碑 の中で、ひときわ大きく、異彩を放っている「北方異民族慰霊之碑」 というのが目を引きました。 この「北方異民族」というのは、かつて日の領土だった南樺太(現 サハリン)の先住民族であるウィルタ人(オロッコ人)やギリヤーク人 のことを指しています。戦前・戦中はそう呼称していたのでしょう。 戦前から日陸軍はソ連軍の動向を探るため、国境を接した南樺太に 陸軍中野学校出身者を中心とした特務機関を設けていました。戦争が 激しくなってきた1942年、樺太の陸軍特務機関は先住民族の青年を召 集、対ソ連の諜報活動に従事させました。 日の敗戦後、彼らは置き去りにされ、そしてソ連によって戦争犯罪 人としてシベリアに送られ、多くの人が強制労働や飢えのため亡くな りました。幸い生き残った人の中には、故郷サハリンへ帰ることが叶 わず、国籍もないまま日

  • 戦争を語り継ごうブログ 田母神前空幕長独占手記

    月刊誌 WiLL の09年新年号に、「田母神前空幕長独占手記」が掲載さ れました。最初の4ページが下記で“立ち読み”できます。 http://www.zassi.net/mag_index.php?id=228&issue=24510 そのうち、04年に田母神氏が中国を訪問した際の中国軍幹部と会談に 関する部分が、下記ブログに引用されていますので、お読みください。 「中国軍幹部と歴史討論  ( 『 Will 』 田母神前空幕長独占手 記より )」 これによりますと、田母神氏は「日中国を侵略していない」とい う例の歴史観を、中国軍幹部に滔々と述べています。事もあろうに中 国軍との公式の場で政府の方針と違う意見を述べたということは、下 手をすると外交問題にも発展しかねず、当然懲戒に値する行為で、当 時の防衛庁・政府の監督責任も問われるべきでしょう。 彼はまたこの手記の中で、<自衛隊北朝鮮

    maangie
    maangie 2008/12/01
    江川紹子。一応、リンク先も読んだけど…。トホホ…。
  • 戦争を語り継ごうブログ 田母神論文に対する批判の声

    田母神俊雄航空幕僚長が発表した「日が侵略国家だったとはぬれぎ ぬだ」などと主張する論文についての識者などからの批判を、今日の 新聞の紙面からご紹介します。 「小学校、中学校から勉強し直した方がいいのでは」と都留文科大 の笠原十九司(とくし)教授(日中関係史)は話す。空幕長の文章は 旧満州について「極めて穏健な植民地統治」とするが、笠原教授は 「満州事変から日中戦争での抗日闘争を武力弾圧した事実を知らない のか」と批判。「侵略は一九七四年の国連総会決議で定義されていて、 日の当時の行為は完全に当てはまる。(昭和初期の)三三年にも、 日は署名していないが『侵略の定義に関する条約』が結ばれ、でき つつあった国際的な認識から見ても侵略というほかない」と説明。 「国際法の常識を知らない軍の上層部というのでは、戦前と同じ。ひ どすぎる」と話す。 「レベルが低すぎる」と断じるのは纐纈(こうけつ)厚

    maangie
    maangie 2008/11/01
    笠原十九司。纐纈厚。小林節。水島朝穂。梁石日。小川和久。平野喜三。近藤一。秦郁彦。
  • 戦争を語り継ごうブログ 「村山談話継承」発言にネトウヨ失望噴出

    麻生首相は2日の衆院会議で、「村山談話」を踏襲する、と発言し ましたが、ネットではいわゆるネトウヨ(ネット右翼)たちが「失望 した」「裏切られた」「次は民主党に入れる」などと、いっせいにこ れを非難しています。 「首相の『村山談話継承』発言 ネット麻生ファンに失望感噴出」 ( J-CAST ニュース、3日) 過去の日が、朝鮮や台湾を植民地支配し、中国などを侵略して、多 大の迷惑をかけたことは疑うべくもない事実であり、首相の盟友で、 自民党保守派の代表格でもある中川昭一財務相ですら、村山談話につ いては「朝鮮半島を植民地支配したのは歴史的事実。中国に対しても 宣戦布告をせずに奥地まで戦線を拡大して侵略した 」とかつて語っ ています。 こういう「ネトウヨ」諸君は、歴史をまったく学ばず、ただ情緒的に 「日は正しかった」と信じ、「強い日」にあこがれているだけだ ということがよく分かります。

  • 戦争を語り継ごうブログ 御国の旗をばおし立てて

    今日の産経新聞のコラム「正論」に作家の深田祐介氏が、「北京五輪 と国旗の似合う美女」という一文を書いています。 深田氏は、北京オリンピックで日選手団の旗手を務めた福原愛さん の姿から、戦時中の国策映画に出演した入江たか子や高峰秀子の凛々 しい姿を連想し、往時の「美しい国、日」を思い起こしています。 そして愛ちゃんの堂々たる行進の感想を次のように述べています。 < 福原愛さんは、日中交流の最前線に立っているという自覚があり、 どちらの国からも支持されているという強い自信があるのだろう。 それで彼女の堂々の旗手ぶりは一般日人の胸を打ち中国人観衆の 罵声(ばせい)、罵倒(ばとう)のこだまも「まあ、あの美人と笑顔 に免じておおめに見てやろう」という範囲に踏みとどまったのではな いか。 どんどん中国が安定を失いつつあるのは間違いない。オリンピック もいつなにが起るか判らない危うさに満ちていた。

    maangie
    maangie 2008/08/26
    「皇国」を「御国」と間違ったのか。わざとという気もする。
  • 戦争を語り継ごうブログ 映画「靖国」問題についての稲田議員の弁明

    映画「靖国」の試写を文化庁に要求したとして批判されている稲田朋 美衆議院議員が、今日の産経新聞のコラム「正論」で「要求はしてい ない」と弁明しています。 < 朝日新聞が報じたような「(私が)事前の(公開前)試写を求め た」という事実は断じてない。助成金を問題にする前提として対象と なる映画を見たいと思うのは当然であり、映画の「公開」について問 題にする意思は全くなかったし、今もない。「事前の試写を求めた」 という歪曲(わいきょく)について朝日に訂正を求めているが、いま だ訂正はない。> 「【正論】文化庁の映画助成 衆議院議員、弁護士・稲田朋美」 既報のように、去る6日のテレビ朝日番組「サンデープロジェクト」 で、配給会社「アルゴピクチャーズ」の岡田裕社長が稲田議員からの 要求はあったと証言しています。 この放送の録画が YouTube で視聴することができますので、ご覧に なっていない方は

    maangie
    maangie 2008/04/10
    動画は消えているが…。
  • 戦争を語り継ごうブログ インドネシアの歴史教科書

    「大東亜戦争はアジア解放のためだった」とか「日が戦ったおかげ で東南アジアの諸国が独立できた」と主張する人たちがいます。 それでは東南アジア諸国の歴史教科書が太平洋戦争や自国の独立をど のように書いているかについて、かつて話題になったことがありまし たが、このほどインドネシアの歴史教科書の日語訳を掲載している サイト教えていただきましたので、ご紹介します。 ●高校歴史教科書「日軍占領時代」 ●中学社会科教科書「独立準備の過程」 高校教科書のほうは、日の占領統治時代についてかなり詳しく書い ており、日軍による占領政策が、後のインドネシア独立に与えたイ ンパクトを認めつつも、「日による占領時代は、インドネシア史 上最悪の時代であった」と批判しています。 以下同書の書き出しと結びの部分をご紹介します。 <1942年の1月・2月、日軍はインドネシアへ侵攻した。スマトラと カリマンタン

    maangie
    maangie 2008/03/16
  • 戦争を語り継ごうブログ 「自決」した隊長、「逃走」した隊長

    昨日の朝日新聞東京社版「声」欄の特集「語り継ぐ戦争」に、「逃亡を許した部隊長は自決」という投書がありました。 筆者は戦争末期北朝鮮で臨時召集され、元山でソ連の大軍に包囲された時、部隊長が「お前たちは全員召集兵である。家にはも子もあろう。よって逃亡を許す。責任は自分がとる」と訓示しました。そこで筆者はすぐ逃げ出し、半島南部経由で無事帰国しました。しかし部隊長は責任を取って割腹自殺したとのことです。 これをを読んで、当時の北朝鮮駐屯部隊にも、ビルマ戦線のミートキーナの水上源蔵少将のような部隊長がおられたのかと感銘を受けました。 ところで北朝鮮の元山といえば、「予備学生の墓場」といわれた海軍特攻隊の基地があった所です。この隊の司令・青木泰二郎大佐は、戦況不利と見るやいち早く8月11日に家族ぐるみで元山の海軍基地から日に脱出しました。彼はミッドウエー海戦で撃沈された空母「赤城」の艦長でしたが

  • 1