今日は、早起きしたので、なんとなくだらだらと文章を書いてみたい。 この間からのテーマは差別である。というか、むしろ差別という言葉があまりに蔓延し、それは物事を本当に考えていくのを邪魔しているのではないか、みたいなのが私の問題意識。 サルトルの「ユダヤ人」という本について確か有田とかいう哲学研究者が書いた論文上・下があって下を先に読んだ。*1 a/「ユダヤ人め!」と発語するだけで、人は偉大なるフランスの伝統と一体化する自己という効果を、パフォーマティブに獲得する、といった話。「朝鮮(人め)!」と発語するだけで、人は偉大なる日本の伝統と一体化する自己という効果を、獲得するといった話、と直ちに読み替えることができる。 b/ ユダヤ人は他者にアイデンティティを決め付けられる。 民主主義的であるところの分析の精神からみると、結局「ユダヤ人は存在しない」ことになる。これではユダヤ人を守ることはできない
『存在と無』(ちくま学芸文庫)のなかの第一部第二章では、「自己欺瞞」という心理現象の分析をとおして、人間の意識のあり方に迫る試みが行われている。 この部分がたいへん面白いと思ったので、ここにメモしておきたい。 まず、これはとても重要なことだが、サルトルはここで、嘘や虚構と、自己欺瞞とを明確に分けている。 嘘をつく人の内心の気持ちは、肯定的である。つまりその気持ちは、肯定的判断の対象ともなりうる。嘘をつく人は、だます意図をもっているのであり、この意図を自分に隠そうとはしないし、意識の半透明性をおおい隠そうともしない。(p173) 虚偽は一つの超越的な行為である(p174) この「意識の半透明性」というのがよく分からないのだが、まあいいだろう(「無」が関係してるのだろう。)。 ともかくサルトルがここで問題にするのは自己欺瞞であって、嘘(虚偽)や虚構ではない。自己欺瞞は、「超越的」ではない。私が
岩波新書に入っているサルトルの『ユダヤ人』は、1956年出版ですが、原書の出版は1946年です(ただしこの本第一部は1945年に雑誌に発表され、さらにその一部は1944年にすでに書かれていたようです)。というわけで、げんざい、このサルトルの文章が書かれてから65年ほどたったことになります。とうぜん、時代がおおきく変わっているので、古くなっている……はずなのですが、とても60年以上前に書かれたとは思えない部分も多いです。というわけで、この本をすこし読んで見ようと思います。 ちなみに、サルトルのこの本は、とても評判が悪い本というめんもあって、私が知るかぎり、現代思想(別名ポスト・サルトル主義)系の人からはたいてい「ダメ本」あつかいされています。反ユダヤ主義研究が専門のうちだ・たつる氏も、『私家版・ユダヤ文化論』という新書でたしか、この本については「どこがダメか」というところだけ書いていました。
1月25日京品ホテル強制執行 京品ホテル強制執行 飛ぶ怒号届かぬ声 「強制執行反対」「警察官は帰れ」。解雇後も自主営業を続け、強制執行に抵抗する元従業員ら。執行官に同行した警視庁の機動隊員は、力ずくで元従業員や支援者を排除していった。東京・品川駅前の京品ホテルは25日、騒然とした空気に包まれた。「必ず職場に戻る」。元従業員らは法廷闘争を続ける方針だが、職場復帰できるかどうかは厳しい情勢だ。 ホテル玄関前には東京地裁による強制執行に備え、午前五時ごろから、元従業員や元従業員が所属する労働組合「東京ユニオン」の組合員らが集結。「従業員の生存権を奪わないで」と書かれたゼッケンを着け、腕を組んで「人間バリケード」をつくった。 警視庁の機動隊員も続々と到着。午前七時ごろ、執行官が警備員とホテル内への立ち入りを試みたが、失敗。いったんは組合側との話し合いに応じたが、午前九時ごろ、機動隊員を伴って強制排
東浩紀のカール・シュミット読解は誤読が多いとずっと思っていた。 例によって速記者が正しければだが、 http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081205/p1 カール・シュミット『政治的なものの概念』を何回か取り上げた 何を言っているか 政治は友と敵を分けることだ 友と敵を分けることが政治 誰かが自分の存在を抹殺するかもしれないから相手を抹殺 精神的な意味でも隠喩でもない 「政治は友と敵を分けることだ」とはシュミットは言っていない。 政治的なものは、特有の意味で、政治的な行動がすべてそこに帰着しうるような、それに固有の究極的な区別のなかに求められなければいけない。 (『政治的なものの概念』p14) カール・シュミットにとって「政治」とは、「道徳」や「経済」とははっきりと分けられなければいけない、「友」と「敵」の区別において見出されるものなのである。それは具体的・存在論的
facebookでとても面白いイラストが紹介されていました。これです。 左は「平等equality」で、右が「正義justice」です。 左の「平等」は、つまりこういうことです。「みんなに平等に一個ずつの箱じゃないか」というわけです。しかし、そんな「平等」が、ニセものの「平等」であることは明らかです。一方、右側の「正義」は、三人の箱の数が違います。そういう意味で一見「不平等」にも見えるかもしれませんが、しかしむしろこちらのほうがほんとうの「平等」です。平等とは、どの子もみんな試合を見る権利が「平等にある」ということだからです。箱の平等は、そもそもこの子たちが何を目的としているのか、とか、この子たちの権利とは何か、という根本的なことからすると、まったくどうでもいいものです。むしろここでの「箱の平等」とは、「権利の不平等」を隠蔽するために使われています。サルトルに言わせると、これは、ニセの普遍
まず、原告側冒頭陳述は2点ある。最初の1は、被告らの悪質性と民族教育の重要性とその損害を述べたものである。2は被告らがレイシズムゆえに事件を引き起こしたものとしている。どちらも今後の立証計画を述べたものである。 さらに言えば、これは原告第一準備書面、第二準備書面で述べられた民族教育の人格権と、人種差別事件として認定を司法に求めた訴えを推し進めたものと思われる。これこそ原告の訴えの根幹をなすものであり、広く世に問う事の意味と価値があるものと筆者は考える。 そして、これを基に原告側は今までもそうであったが、今後も、証人尋問において、書面において、証拠物にわたるまで、これを裁判で立証する運びとなる。 なお、証人氏名の伏せ字は原文ママ、人物紹介は筆者の責でおこなっている。 原告・冒頭陳述1 原告が、証人等により証明しようとする事実は以下のとおりである。 1 被告ら本人及び代表者尋問により証明する事
それにしても思うのは、なぜ、民主主義国は、 秘密投票 を採用しているのだろうか。なぜ、このことの理由を明確に示す人がいないのだろうか。 二〇〇二年五月のフランス大統領選挙第二回投票の直前、論争が起こった。第一回投票で社会党のジョスパン候補をはじめとした左翼候補が敗退し、第二回投票はシラク大統領と極右政党国民戦線のルペン党首との間で行われることとなった。左翼は、極右の台頭を阻止するためにシラク大統領に投票する以外の選択肢がなくなった。彼らは、その「不本意」を表明するために、投票の際に、洗濯ばさみで鼻をつまんだり、ゴム手袋をして投票するという運動を企てた。 内務省は、「この種の行動 initiatve は、投票作業を妨害しない限り、それを禁止するものはなにもない」としていた。しかし、憲法院は、次のような見解を表明した。 「一定の選挙人が、大統領選挙第二回投票の際に、これ見よがしに、さらには人を
橋下大阪市長が、新しい仮想敵として、「学者」を設定している。「学者は現実を知らない」というのがスローガンである。学者なんてカテゴリーは、本来はあまり意味をなさない。在野の学者もいるし、運動に加わっている学者もいるし、国際政治の裏側で動いている学者もいるし、アカデミズム内の政治ばかりしている学者もいる。けれど、橋下さんは、そうした現実を捉えるわけでもなく、なんとなく世の人が抱く「学者は暇そうで、好きなことばかりしていて、専門バカ」というイメージと、それに対する怒りや反発、嫉妬をつなぎ合わせて、見事に「学者がダメだから世の中ダメなんだ」という気分を盛り立てている。 学者の側が苦しいのは、半分は本当だからである。現場のことを知らず、放言している学者は山ほどいる。私の学者に対する恨みは、橋下さんの比ではないくらい深い。だけれども、私は「学者が学者だから」問題があるのではなく、大学という制度が問題を
ローマ・カトリック教会では、トリエント公会議の後に禁書目録の作成の方法を定め、1564年に規範となるべき禁書目録Index librorum prohibitorum を作成した。禁書目録は1948年まで作成され(ただし追加は続き、例えばアンドレ・ジイドは1952年、サルトルは1959年に禁書目録に追加されている)、1966年6月14日の教理省宣言および同年11月15日の同省教令まで、教会法としての効力を持ち続けた。 禁止される事項は、読むことはもちろんのこと、出版 、閲読 、保持 、販売 、翻訳 、他人へその存在を教えることなどを及んでいた。もっとも、禁書目録に載ったものだけが禁じられた書ではなく、他にも多くの書物が、自然法および旧教会法典(1917)の一般規定(第1399条)によって禁じられていた。 また、1966年の通告には,禁書目録は、教会法的効力を有しないにせよ、自然法が要求して
哲学者サッカー・ワールドカップ こちらはモンティ・パイソンのかの有名なスケッチ「哲学者サッカー・ワールドカップ」にちなんで、各国の哲学者チームのラインナップを勝手に妄想するページです。もとはブログのほうでやっておりましたが、結構好評だったのでhtmlにまとめました。 まず、本家本元のモンティ・パイソン版哲学者サッカー・ワールドカップ決勝のラインナップをご覧下さい。 ドイツのラインナップ↓ 1 ライプニッツ 2 カント 3 ヘーゲル 4 ショーペンハウエル 5 シェリング 6 ベッケンバウアー 7 ヤスパース 8 シュレーゲル 9 ヴィトゲンシュタイン(えーっと、ひょっとしてオーストリア人じゃない?しかもイングランドに住んでた。) 10 ニーチェ 11 ハイデッガー 補欠:マルクス 監督:ルター メンバーの間の仲が大変悪いそうです。この面子では当たり前… 対するギリシャチーム。 1 プラトン
Pinkydragonの品川入管前抗議行動に さんかして きました。 東京入国管理局(とうきょうにゅうこくかんりきょく:にゅうかん)に いくのは はじめてです。 たてものは りっぱで、がんじょうそうでした。 ほかの さんかしゃの はつげんにより、はじめて しったことも たくさんあります。 たとえば、品川だけで、700にんもの ひとびとが しゅうようされている。 それにたいして いしゃが ひとり。 こうぎ・ようせいこうもくの ひとつは、3月22日に 成田で なくなった ガーナこくせきの アブバカル・アウドゥ・スラジュさんについてのことでした。 じけんは、きょうせいそうかんの ひこうきないで、りりくまえに おきました。エジプト航空MS965便です。 よくじつの 各紙には、ほぼ コピペのように にかよった プチきじが のりました。 それによると、スラジュさんは ひこうきないで 「暴(あば)れ」、
年の瀬なので――遅ればせながらかつ手短になるけれど、書いておく。 ⇒はてなブックマーク - macska dot org » 在特会と通じる性質を見せる「反在特会」の取り組みと、「上から目線のエセインテリ」 ⇒はてなブックマーク - http://twitter.com/toled/status/6928448649 mujige 「在特会をやっつけた、ばんざい!」なんて思っている人は少なくとも私が知る限り(特に直接の被害者側には)いない。ともかく集会が無事開けてほっとしているという程度ではないか。ネット上ではそう見えるのか? はてなブックマーク - macska dot org » 日本の左翼や社会運動の問題点/不十分点を指摘するために、朝鮮学校に在特会が押し掛けた事件をネタに使ったつもりはなかったんだけれど、どうもそういう流れになってしまっている件について。 mujige 前田さん
戸塚ヨットスクールはこれまでに ふくすうの 若者を虐殺してきました。*1このたびの 18歳の女性の死について、マスコミは ほぼ全社が「自殺」という前提で報道をしています。しかし、「自殺」とはなんでしょうか? 安重根が伊藤博文をハルピンで撃ったとき、成否にかかわらず、安の死は確実なものでした。そして彼はそれを選んだのです。 過去に戸塚宏らが有罪になった事件でも、「ヨット船から自ら飛び降りた」少年の死について犯罪性が認定されています。拙速に「自殺」と決めつけることで、戸塚ヨットスクール、ひいてはそれを容認する日本社会の犯罪が不問にふされることを強く危惧します。 そこでまず、所轄警察署に対して徹底的な捜査を求めることが重要であると考えます。私は、先ほど愛知県警半田警察署に対してこれを要望する電話を行いました。電話番号は、0569-21-0110です。 これは、戸塚ヨットスクールという「ならずもの
竹内洋先生が『諸君!』に連載している「革新幻想の戦後」(3月号)で、初めて、なぜ福田恒存があんなに清水幾太郎を罵倒したのか分かった。それはそうと、1960年代だろうが、竹内先生が「福田恒存もいいぞ」と言うと仲間たちから白眼視され、女子学生など「この人、右翼よ」と言ったという話が書いてある。そういう時代だったのだ、というのだが、私が学生の頃にもまだそういう感じは残っていて、カナダ留学前にアテネ・フランセの英会話に通っていたら、ふと早稲田の英文科の女子学生と話す機会があって、私が松原正を知っていると知った女子学生は「えっ、松原、知ってるんですか。あの人、右ですよ!」と勢いこんで言ったのである。 まだ私のことをよく知らないうちからそういうことを言うのはどういうものか、と私は思ったが、1989年頃だったろうか。あと、比較文学の大学院へ入った頃、英文科の研究室へ行くと、Mという同期生が「比較は右翼だ
今から20年前の1989年11月、東西ベルリンを隔てていた「ベルリンの壁」が崩壊しました。実際にこれが歴史的な事件であったことは事実ですが、「西」側のメディアは、この「壁の崩壊」という事件を、「社会主義の崩壊」を象徴する出来事として宣伝しました。「壁」というのは、東西ベルリンの人々の行き来をへだてる物理的なものであると同時に、「東」側の社会主義体制の「不自由」を象徴するものとみなされました。壁が崩壊した、ということは、「自由」と「民主主義」を求める民衆によって自由を抑圧する社会主義体制が打ち倒された、ということとほぼイコールの出来事として理解され、ベルリンの壁崩壊の映像は、その後もテレビなどでしつこく繰り返して使われました。 というわけで、「社会主義崩壊以後」の世界、とは「壁崩壊以後の世界」であり、すなわちそれは「自由と民主主義の勝利した後の世界」であるかのようにみなされたわけです。しかし
年末にちょっとほのぼのエントリーネタ。 ・はてなインテリ、公園で自分の限界を知る http://d.hatena.ne.jp/toled/20081231/p1 わはは。羽根木プレーパーク行ったのね。常野さん。 ・羽根木プレーパーク http://www.playpark.jp/pp_hanegi.html 特定非営利活動法人プレーパークせたがや 設立趣旨書 1975年、7月。 我が子の遊ぶ様子からその環境に疑問を抱いた一組の夫妻が中心となり、 世田谷区経堂の烏山川緑道計画地の一角に夏休みだけの特別企画、 冒険遊び場『こども天国』を開設した。イギリスの冒険遊び場にヒントを得たこの遊び場は、 77年には場所を桜丘に移し、その地域の住民を巻き込み15ヶ月にわたり取組まれた。 住民によるこの手づくりの遊び場は、子どもから絶大な支持を受けた。 翌79年、世田谷区は国際児童年の記念事業にこの冒険遊び
変わらない米メディアのイスラエル擁護報道 (金平茂紀) http://www.the-journal.jp/contents/ny_kanehira/2009/01/post_1.html まず最初にズバリ言っておきますが、アメリカのブルジョア新聞のレベルは、信じられないくらい高いです。 たとえばニューヨークタイムズを、朝日新聞の英語版、みたいにイメージしてはいけません。 たとえて言うならば、スープヌードルとラーメン二郎、くらいの違いがあります。 おなじ「新聞」というカテゴリーに分類すること自体、ためらわれるほどです。 さて、金平さん。 ふむふむ。ニューヨークタイムズがひどいんだね。 そらあ、ひどいさ、ブル新だもの。 けどね、じゃあ問いたい。 なんであなたごときに、ひどいということが見抜けてしまうの? 社説の言葉尻をとらえてる場合じゃないですよ。 記事を読んでください記事を。 素直に読めば
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