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political thoughtとreligiousに関するmicrotestoのブックマーク (20)

  • 近世の終末論に関する文献 - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    9月5日に行った再洗礼派勉強会は、また例の如く非常に面白かったのですが、打ち上げの席で近世にはメルキオール・ホフマンやベルンハルト・ロートマンの終末論の影響を引き継いだ思想家が数多くおり、しかも「新しきエルサレム」が国家となって地上に実現するという、ナショナリズムと千年王国論が一体化した論があるという話を聞いて、非常に面白いと感じました。エストライヒの「社会的規律化論」でおなじみのリプシウスも、Family of Love というメルキオール・ホフマンやミュンスター再洗礼派の系譜を引くセクトの一員でした。バーナード・マッギンは、『アンチキリスト』の中で、近世以降の終末論を形骸化したものとして扱っていますが、案外そうでもなかったのかとも思います。 そのため、少し近世の終末論に関する文献を調べてみました。 John Christian Laursen, Richard Henry Popkin

    近世の終末論に関する文献 - ミュンスター再洗礼派研究日誌
  • ひきつづき「新しい無神論者」エントリへのコメントにお応え(2) - *minx* [macska dot org in exile]

    a-geminiさんが早速お返事くださっています。 アメリカとイスラム国家の対立の「原因」として、「 国際的な経済体制や過去の植民地主義、貧困や米国の軍事政策」を無視するのは馬鹿げたことですが、ドーキンスが論じているのは、そのような対立の「原因」ではなく、自爆テロのような過激で狂信的な行動に走らせる「原因」であると解釈するのが自然だと思います。 http://a-gemini.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/mascka_ed74.html わたしもそのつもりで書いていたのですが、書き方がまずかったでしょうか。 そのうえで、自爆テロのような行動に走らせる最後の後押しの部分だけに注目して、そもそもどうしてそこまでかれらが思い詰めているのかを無視することの(まるで宗教がなければ思い詰めることもないかのような)政治性を批判しています。 無神論者の「非寛容性」に対する

    ひきつづき「新しい無神論者」エントリへのコメントにお応え(2) - *minx* [macska dot org in exile]
    microtesto
    microtesto 2008/04/30
    >>社会の方向としては宗教が果たしている社会的機能が哲学や文学や芸術などによってとってかわられればいいなぁ<< この辺りラディカル・デモクラシーの影響を受けているのかな。宗教を代替え出来るのは教養だよね。
  • 反宗教運動関係の文献を買う: Murasakino Calling

    「日の古屋」サイトを通じて、1930年代の日における反宗教運動関係(反・反宗教運動を含む)の文献を購入する。 ○ 反宗教闘争同盟準備会編『反宗教闘争の旗の下に』(共生閣、昭和6年7月8日発行) ○ 永田廣志・秋澤修二『現代宗教批判講話』(白揚社、昭和10年2月10日再版) ○ 宇野圓空編『反宗教運動批判』(近代社、昭和7年4月10日) 近代日の反宗教運動は、1930年前後の「マルクス主義と宗教」論争(とくに三木清と服部之総)によって格的に理論的なレベルでまず始まり、ついで1931年以降の反宗教闘争同盟準備会(共産主義系)と日反宗教同盟(社会民主主義系)の活動によって、実践レベルでも取り組まれていくことになる。 反宗教闘争同盟準備会は、「反宗教闘争は階級闘争の一翼であると云ふ見地に立ち、総ての勤労大衆をあらゆる形態の宗教的観念より解放し以てマルクス=レーニン主義的世界観を獲得せし

    反宗教運動関係の文献を買う: Murasakino Calling
  • 一神教か多神教かではなく - Living, Loving, Thinking, Again

    先ずhttp://d.hatena.ne.jp/eirene/20070407/p2にて、「「一神教は争いを引き起こす」という言説について」というエントリー*1を知る。これは石原慎太郎の「宗教の無力」というエッセイ*2を踏まえたもの。 石原慎太郎のエッセイについてはコメントしない。ただ、そこで引かれているニーチェの所謂神は死せりの理解が凡庸且つ間違っているということは指摘しておこう。ニーチェを直接読まずに引用しているだろう。それはともかくとして、「一神教」と「多神教」の対立である。ここで言われているように、「一神教」と「多神教」を単純に対立させる言説はありふれているといえるだろう。思ったのは、何故その対立それ自体を疑わないのかということ、また「一神教」/「多神教」という対立が諸宗教を分類(理解)する上で或る有効性を持っているにしても、はたしてそれは最重要な区別(特徴)なのかどうかということ

  • Turning in the Widening Gyre - 「現世肯定主義」特有の生きにくさ

    私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています 芥川賞作家の新井満が作曲し、秋川雅史が歌う「千の風になって」。良い曲ですね。 私はこの曲は最近のJ-Popの中では最良のものに属すると考えているし、新井満は良い仕事しているなあと思うけれども、新井満が訳した歌詞に関してはおそらく普遍的なものではないな、という気がしている。 この曲の歌詞が、現代の欧米や日で受容されやすいのは、現世を肯定しようとする考えが現代においては主流だからであろう。この考えを便宜的に私は「現世肯定主義」と呼びたい。 (私はキリスト教以外の宗教には詳しくないので、とりあえずキリスト教の話になるが)例えば、ローマ帝国からの迫害に苦しむ原始キリスト教徒が『千の風になって』のようなことを考え得たであろうか。江戸時代、長崎で隠れながら信仰を

    Turning in the Widening Gyre - 「現世肯定主義」特有の生きにくさ
  • 社会科学基礎論研究会〜張江洋直書評:大谷栄一『近代日本の日蓮主義運動』

  • 「原理主義」というマジック・ワード - 張江洋直のホームページ別館

    microtesto
    microtesto 2007/04/09
    非常に面白い議論が交わされております。興味のある人はこちらも。 http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/ReCPAcoe/otani31.pdf
  • ★ イスラム女性は、なぜ学校でスカーフを着用してはいけないのか? 工藤庸子 『宗教 VS 国家 フランス<政教分離>と市民の誕生』 講談社現代新書 (新刊) - 書評日記  パペッティア通信:楽天ブログ

    Mar 21, 2007 ★ イスラム女性は、なぜ学校でスカーフを着用してはいけないのか? 工藤庸子 『宗教 VS 国家 フランス<政教分離>と市民の誕生』 講談社現代新書 (新刊) テーマ:社会関係の書籍のレビュー(95) カテゴリ:政治 ▼    すばらしい。 ▼    「つまらないしか出さない講談社現代新書」、という私の偏見を吹き飛ばしてしまう快著である。 このブログを読んでいる人は、ぜひとも屋で購入して欲しい。 ▼    マザー・テレサが人権のシンボルであることは、日人にとって自然でも、欧米人にとって奇異であるのは何故なのか。 なぜイスラム女性は、フランスの学校で、「スカーフ」を着用してはならないのか。 そもそも、アメリカドイツ・イギリスでは、宗教教育が盛んなのに、どうしてフランスではかくも厳しいのか?  その淵源について、文学作品を使いながらたどってくれる、すばらしい19

    ★ イスラム女性は、なぜ学校でスカーフを着用してはいけないのか? 工藤庸子 『宗教 VS 国家 フランス<政教分離>と市民の誕生』 講談社現代新書 (新刊) - 書評日記  パペッティア通信:楽天ブログ
  • 大谷栄一『近代日本の宗教運動の政治的機能に関する実証的研究』 - 張江洋直のホームページ別館

  • 2007-03-29

    梶井基次郎『櫻の樹の下には』 櫻の樹の下には(さくらのきのしたには)は、梶井基次郎の短編小説。主人公が、桜の樹が美しいのは下に死体が埋まっているからであるという空想に駆られ、死体に象徴される惨劇(死?)への期待を深める物語。 この作品は全編に渡り主人公のモノローグという手法で以って描かれる。主人公は一般的に満開の桜の樹に代表されるように心の澄まされる美しい情景の直視に堪えられず、それらに負、即ち死のイメージを重ね合わせる事で初めて心の均衡を得ることが出来ると語る。美しいものと対峙した時、自らが劣等感を負う事を回避せん為にこうした不快を敢えて求めようと云う奨めであると解釈する。(日語版Wikipedia) (青空文庫⇒桜の樹の下には) 梶井基次郎といえば『檸檬』(過去日記)が思い起こされるでしょうが、この「桜の木の下には死体が埋まっている」という言葉も(梶井の名とともにではなくとも)人口に

    2007-03-29
  • 世俗化のパラドックス、あるいはブッシュとブレア(とアル・カイーダ)の宗教 - Living, Loving, Thinking, Again

    少し前のものだが、http://d.hatena.ne.jp/eirene/20060312/p1経由で、IHTに載った Phillip Blond and Adrian Pabst “The twisted religion of Blair and Bush” http://www.iht.com/bin/print_ipub.php?file=/articles/2006/03/10/opinion/edpabst.php を知る。 ブッシュやブレアは戦争の遂行に際して、自らの宗教的信念を引き合いに出す。それは彼らとは敵対するアル・カイーダも同様だ。しかし、”Unfortunately for liberals, the origins of Bush's and Blair's religious convictions lie not within Christianity bu

    世俗化のパラドックス、あるいはブッシュとブレア(とアル・カイーダ)の宗教 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 難しい問題 - finalventの日記

    あるAUM信者に対して、「テロをしたくてオウムに入信した人は居なかった」とは概ね言えるだろうと思う。 ただ、ここで難しい問題がある。あえてプラクティカルに問えば。 教義の結果が必然的にそうなる理路の可能性がなかったのか。 AUMが操られていた可能性は無かったのか。 直接的な市民社会への危害としてのAUMと各種の薬物(幻覚剤や毒物)の関係は解明されたのだろうか。 この難問は、AUM信者なら解けるというものでもないだろうと思う。また、恐らく、その問いがAUM信者に問われるというものでもないだろう。 個人的な印象では、すべての元信者に、林郁夫のようにあれ、とするのも違うように思う。 1については、大乗の乱や度脱、あるいはもう少し込み入った教義(悪の顕在化)との関連をどう考えるか。というか、この問いは、恐らく仏徒に問われている。 ⇒大乗の乱 - Wikipedia ⇒性と呪殺の密教 : 講談社BO

    難しい問題 - finalventの日記
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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  • 03-314_05.indd

    79 特集/スピリチュアリティと平和 戦前期日の日蓮仏教にみる戦争観 南山宗教文化研究所所員   大谷 栄一 はじめに 私は宗教社会学の観点から、近代日の日蓮主義運動を対象として「国家と 宗教」「政治と宗教」「地域社会と宗教」の関係を研究しております。私自身の もともとの問題関心として、宗教の持つ社会変革可能性に興味があります。い わば宗教に社会を変える力があるのか、あるいはないのか。また、今日の研究 会のテーマである内面的平和と外面的平和両方の実現の可能性、まさにこの問 題に興味関心を持って研究を続けてまいりました。 最近は、社会主義的な仏教運動を実践した妹尾義郎(1889 1961)の研究に 取り組んでおります。妹尾は大正時代から昭和初期、そして戦後にかけて活動 をされた方なので、今や妹尾の運動に関わられた方でご存命の方がなかなか少 なくて、妹尾さんの関係者や運動のメンバーの関係

    microtesto
    microtesto 2007/02/09
    非常に面白かった。日蓮主義の戦前戦中における政治へのコミットを検証。キーポイントは終末思想なのだねぇ。
  • fenestrae - 仏:公教育での宗教的標章に関する法律をめぐって

    フランス人人質−− 誘拐犯が3条件に48時間の猶予 Otages français: les ravisseurs donnent 48h pour répondre à 3 conditions 月曜日、イスラム過激派のサイトに、イラクでのフランス人誘拐犯のものとされる声明が発表。フランス政府に対し、人質と引き換えにフランス政府が、ビンラディン提案の休戦条約の受諾、身代金の支払いなど3条件を受け入れるよう要求。声明が物かどうかは確認されていない。 DUBAI (AFP - 16:36) - Un site internet islamiste a diffusé lundi un communiqué attribué aux ravisseurs de deux Français en Irak, demandant à Paris de satisfaire trois condi

    fenestrae - 仏:公教育での宗教的標章に関する法律をめぐって
  • 2004-07-06

    すでに5日の日記でtemjinusさんがポイントを紹介しているが、7月6日付けル・モンドは、ゲットー化していく都市郊外区域での共同体への閉鎖的回帰現象を具体的に報告した内務省の調査を一面トップで大きく伝え、社会面、社説もこの問題に割いている。日でコミュニティといったときのほのぼのとした響きと違って、フランスでこういう文脈で使われる「共同体の(communautaire)」という言葉は、「共和国(res-publica ミンナのコトガラ)の 」という語と対置され、後者の基盤を危うくする閉じた民族共同体、宗教的共同体を問題にしている。具体的には特にイスラム教、特にイスラム原理主義への回帰、それもユダヤ教徒との対立におけるその過激化が目下の重要問題である。社会問題・経済問題がそれに覆いかぶさっている。 7月5日のテレビのニュース、複数のネットニュースでは、イスラム・ヴェールに対する複数のイスラ

    2004-07-06
  • ユダの福音書: 極東ブログ

    昨日キリスト教に関するトリビアみたいなニュースが日でもちょっと話題になった。例えば、読売新聞”ユダ裏切ってない?1700年前の「福音書」写解読”(参照)。 米国の科学教育団体「ナショナルジオグラフィック協会」は6日、1700年前の幻の「ユダの福音書」の写を解読したと発表した。 イエス・キリストの弟子ユダがローマの官憲に師を引き渡したのは、イエスの言いつけに従ったからとの内容が記されていたという。 解読したロドルフ・カッセル元ジュネーブ大学教授(文献学)は「真実ならば、ユダの行為は裏切りでないことになる」としており、内容や解釈について世界的に大きな論争を巻き起こしそうだ。 とのことだが、多少聖書学を学んだことがある私の印象としては「真実ならば」というのはありえないと思う。というか、それ以前に、ユダの裏切りとされている行為そのものが史学的には確立してないと思うのだが、昨今のこのあたりの新

    microtesto
    microtesto 2006/12/19
    wikipediaが意外と充実してることに驚いた。
  • 聖書学云々 - finalventの日記

    ⇒極東ブログ: ユダの福音書 よろしければ、聖書学を学ぶきっかけについてお聞きしたいです。そして学ぶことで内部的になにがどうなったのかに興味があります。 これは語る時によっていろいろ変わったりします。喧嘩をどっち側から見るかみたいな相の問題。 今思うと、私は、他の領域でもそうだけど、いい加減なウソ教えられると根に持つんですね。それを自分なりに解決しようと。 昨今ではそうでもなくなったけど、私が青春のころまでは、近代日の倫理の一つの型にキリスト教があったんですよ。そしていろいろな形でそれが浸透していた。その決着で聖書学も勉強しました。たいしたことはしてないんですが、実家の書架からギリシア語聖書やラテン語聖書、辞書なんかごろっと出てきてぞっとするくらいは勉強しました。 あと山七平、遠藤周作、森有正とか好きだったしとか。 で内部的にどう変わったか。これはよくわかりません。 学問として面白い面

    聖書学云々 - finalventの日記
    microtesto
    microtesto 2006/12/19
    聖書学は難度が高くて敬遠してたのだけれど面白そうですな。
  • カール・シュミットと反ユダヤ主義

    竹島博之『カール・シュミットの政治──「近代」への反逆』が刊行された。竹島氏の博士論文であり、力作である。初期の『政治的ロマン主義』(一九一九年)、ヴァイマール期の政治的秩序構想、ナチズム期の『トマス・ホッブズの国家論におけるリヴァイアサン』(一九三八年)、『リヴァイアサン』をめぐるシュミットとシュトラウスの思想史的葛藤、そして戦後の『大地のノモス』(一九五〇年)とラウム理論等を、「近代批判」という視角から分析することによって、シュミットの思想的根源性が提出されている。そこには「オポチュニスト」シュミットという一面的な思想像は存在しない。シュミットの近代への反逆も、シュミットが一貫して法や政治の根源的基礎を探求しようとした論理的帰結とされる。日は、シュミットの訳書の数では世界一である。にもかかわらず、格的な研究書の数はいまだ少ない。その意味でも、この著作が一人でも多くの方々に読まれるこ

  • http://www.bund.org/interview/20050115-1.htm

    microtesto
    microtesto 2006/09/19
    いい指摘もあるが中道には受け入れ難い表現もある。現世利益を信仰するという選択肢が表面化しないことが問題。
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