タグ

religiousとtheologicalに関するmicrotestoのブックマーク (22)

  • 「神様が気付いてくれなかった」 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 『読売』の記事; 「石は神様気付かない」消火器投げ込み男、再逮捕 大阪、兵庫など4府県でプロテスタント系教会や付属施設に消火器などが相次いで投げ込まれた事件で、大阪府警捜査1課は23日、無職池田康政容疑者(29)(逮捕)を、別の教会に対する器物損壊容疑で再逮捕した。 池田容疑者は、既に計72件の犯行を認めており、「初めは石を投げ入れていたが、神様が気付いてくれなかったので、(消火剤が噴霧する)消火器を使った」などと供述。大阪地検は同日、1件目の事件について処分保留とし、近く正式な精神鑑定を行う方針。 発表によると、池田容疑者は、4月27日午前5時頃、大阪市此花区のプロテスタント系教会に併設された保育園に消火器を投げ込み、窓ガラスを割った疑い。 (2010年7月23日19時21分 読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/national/news/201007

    「神様が気付いてくれなかった」 - Living, Loving, Thinking, Again
  • Dr. Waterman's Desk: Biblical Junk Themes

  • ボンヘッファー『現代キリスト教倫理』 - heuristic ways

  • Dr. Waterman's Desk: Ratzinger's "Jesus of Nazareth"

  • カトリック中央協議会

    最新のお知らせ 日のシノドスのつどい(2024年3月7−8日)が開かれました[2024/03/15] 会報2024年3月号[2024/03/15] 2024年4月29日~30日 第36回「校長・理事長・総長管区長・司教の集い」[2024/03/01] 【報告】第35回「校長・理事長・総長管区長・司教の集い」[2024/03/01] 広島教区報1月号に殉教者関連の記事が掲載されました[2024/02/21] 会報2024年2月号[2024/02/14] 第2回謝恩価格フェアが開催されます 2/22-24[2024/01/29] お知らせ一覧 最新の文書 教皇フランシスコ、2023年8月20日「お告げの祈り」でのことば[2024/03/13] 「福島原発事故を忘れない 能登半島地震の現状を直視し、原子力発電の撤廃を直ちに実現しましょう」(日カトリック正義と平和協議会)[2024/03/1

    カトリック中央協議会
  • 『死の棘』島尾敏雄 夫婦の「受難」の道行き - あんとに庵◆備忘録

    痛い腹を抱えて眠れぬ夜に読み終えた。 死の棘 (新潮文庫) 作者: 島尾敏雄出版社/メーカー: 新潮社発売日: 1981/01/27メディア: 文庫購入: 7人 クリック: 82回この商品を含むブログ (128件) を見る 思いやりの深かったが、夫の「情事」のために突然神経に異常を来たした。狂気のとりことなって憑かれたように夫の過去をあばきたてる、ひたすら詫び、許しを求める夫。日常の平穏な刻は止まり、現実は砕け散る。狂乱の果てにはどこへ行くのか?―ぎりぎりまで追いつめられた夫との姿を生々しく描き、夫婦の絆とは何か、愛とは何かを底の底まで見据えた凄絶な人間記録。 愛憎は表裏一体。ミホの裏切った夫への憎悪は南国の夜のねっとりとした闇のようにトシオにまとわりつく。殺意の籠るその憎悪の相貌と、ただ一人、夫をのみ見つめ続ける深き愛の相貌と共に、西欧の一月の神のごとく、二つのペルソナが絶えず入

    『死の棘』島尾敏雄 夫婦の「受難」の道行き - あんとに庵◆備忘録
  • 殉教者の足跡・2 - 司教の日記

  • 神はいるか?2 - あんとに庵◆備忘録

    昨日のエントリの続き。 アメリカにおける不可知なものを信じる数字は、もう一つの要素があることを忘れていたが、アメリカの場合、日では考えられない知的格差がある。またブッシュが政見を握ってから急速に宗教的なものいいが多くなった気がする。それに追い討ちをかけるように911テロが起きた。 創造論を信じるファンダメンタリストの多くは社会から疎外されたと感じる白人層だったり、あるいはアメリカに於いてはヨーロッパと違い、ローマ・カトリックも保守的な考えをするところが多いと聞く。多くは南米からの移住者でもあり、やはり教育、つまり科学的に、論理的に考える訓練をしていない層が、ブッシュ政権を支えるファンダメンタルな層と同じようにいる。彼等にとっては、神は自明であり、疑う対象ではなく、聖書の記述が世界であったりする。 日の場合「分らない」と答える人の数が一番多いのは、「神」という不可知なもの故に「わからない

    神はいるか?2 - あんとに庵◆備忘録
  • RFKへのちょっとしたキリスト教的考察 - nihongoのブログ

    3月30日のエントリーがあまりに長いので、ある部分を翌日分にしてみました。それだけです。 キリスト教に関心のない方は無視してください。 RFKを見ていて思うこと。 それは、人は誰でも、イエスに似た人になるよう招かれているということです。イエスが体現していた愛、憐れみ、正義などを一人ひとりが、各自が神から与えられた個性に従ってこの世に現すように招かれている。ボビーはボビーのユニークさに従ってそれを表現しましたが、私も私らしくユニークな形でそれを生きるようにと招かれているのです。 RFKは、私にとってイエス・キリストを連想させる人です。これは彼を理想化しているつもりではなく、キリスト者はみんなイエスをこの世に示す人になるよう招かれているわけで、そう意味で彼を透かしてイエスを見ることが出来るような気がする。 そして、RFKはイエスの片鱗を示すと同時に、イエスは彼をはるかに超える存在なのだというこ

    RFKへのちょっとしたキリスト教的考察 - nihongoのブログ
  • 神はいるか? - あんとに庵◆備忘録

    はてなの注目エントリにこんなん見つけた。 ●痛いニュース 「人類は神が創造した」 米国民の半数が回答…「神の関与なし」は13% 1 名前:ククリφ ★ 投稿日:2007/04/01(日) 19:13:34 ID:???0 ?DIA(113080) 米国人の半数近くは神が人類を創造したと考えている−−。米誌ニューズウィークは3月31日、人類の進化に関する米国人の考え方についての世論調査結果を発表した。 それによると、神が人類を創造したとみなす人は48%。人類は長年かけて進化し、この過程で神の役割はなかったと考える人は13%で、進化の過程を神が導いたと考える人は30%だった。 また91%が神を信じ、信仰する宗教は全体の82%がキリスト教で、そのほかの宗教の信者は5%だった。3月28、29の両日、18歳以上の約1000人に聞いた。(ニューヨーク共同) http://www.mainichi-ms

    神はいるか? - あんとに庵◆備忘録
    microtesto
    microtesto 2007/04/03
    神の一撃とか脱魔術化していない部分が神の領域という理解だったのだけれど違うのか。信仰とは難度高いなぁ。
  • 汝の隣人のブログを愛せよ | LOVELOG

    au one netのブログサービス 『LOVELOG』は2014年6月30日をもちまして提供を終了致しました。 永らくのご利用、誠にありがとうございました。 引き続きau one netをご愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※お手数ではございますが、新ブログにて閲覧の皆さま向けにブログURL変更等をご周知いただけますよう、お願い申し上げます。

  • ヨナ記というのがある、ピノキオの元みたいな - finalventの日記

    クリスチャンならたいてい知っているだろう。すまん、「ヨナ書」だった。 こんなのもあるけど⇒「 鯨の中のジョナ(字幕): ビデオ: エルダ・フェリ,ロベルト・ファエンツァ,ヤノース・ケンデ,ジャン=ユーグ・アングラード,ジュリエット・オウブリィ,ルーク・ペターソン,ジェネー・デル・ヴェッチオ,ヨナ・オバースキー,エンニオ・モリコーネ」 ウィキペディアでは⇒ヨナ書 - Wikipedia 物語 ヨナ書の主人公はアミタイの子、預言者ヨナ(イオナ)である。ヨナは、神から、イスラエルの敵国であるアッシリアの首都ニネヴェに行って「(ニネヴェの人々が犯す悪のために)40日後に滅ぼされる」という予言を伝えるよう命令される。しかし、ヨナは敵国アッシリアに行くのが嫌で、船に乗って反対の方向に逃げ出す。このため、神は船を嵐に遭遇させた。ヨナがそれまでの神との事情を船乗りに話すと、船乗りたちはヨナが神の怒りに触れ

    ヨナ記というのがある、ピノキオの元みたいな - finalventの日記
  • 弱さのなかで働くもの2 - ☆★☆ 観念の冒険 ☆★☆

    microtesto
    microtesto 2007/01/29
    信仰告白
  • 弱さのなかで働くもの1 - ☆★☆ 観念の冒険 ☆★☆

    microtesto
    microtesto 2007/01/29
    信仰告白
  • わかっちゃいるけど、止められない2 - Cafe Eucharistia

    (前の記事の続き) 書物の上で、あるいは実際にこれまでに出会った、キリスト教に帰依したもののそれから離れていった人々との接触で私が理解した彼らにとってのキリスト教とは、少なからずそれがキリストの体験ではなく、思想の域を出ない、概念に過ぎないものであったのではないだろうか。言い換えると、彼らにとってキリスト教とは、ある場合に「お勉強」であったり、または彼らの社会的地位を裏付ける道具、良い人であることの確かさであったりする。一般的に日人が、日人のキリスト者をどのようにイメージするかといえば、「穏和な人(具体的には、たとえば、何か悪いことをされても、決して復讐などしそうにない人、とか)」「道徳的に正しいことを、かたくなに守っている人(それだから同時に、世間の垢にまみれたわれわれの社会の常識が、通用しない人でもある、とか)」「西洋思想かぶれ」など、その他いろいろだとは思うけれども、日人による

    わかっちゃいるけど、止められない2 - Cafe Eucharistia
  • 私は神も仏も信じない - finalventの日記

    それはただある、とか、ユンクのように言うわけでもない。 こんなこと言うなよ、今日の一言みたいだが: 私はあなたが信じる神を信じない。 というのがま私の人生の此処までところ。結論先に言うとダメだなぁと思う自分がね。ただ、孤独なんだしこうした問題は内面に正直にある以外どうしようもない。 神は人々の心の中にいて、世界の不正に対して、君の参戦を期待している、というふうに考えることは可能かとも思う。ま、よくわからない。 ただ、人に心というものはある。どうやらこの虚無の宇宙のなかに「私」はいるようだ。「私」が存在し「心」があるということはこの虚無の宇宙のなかに「命」があるということだし、命のある宇宙とは虚無とは思えない云々って考えると神がいそうだし、いてもええんでないと思うこともある。というか、汎神論ではなく、この今のすべてが神だとか言えないこともないと思う。 ただ、この問題はそんなめんどくせーことで

    私は神も仏も信じない - finalventの日記
    microtesto
    microtesto 2007/01/19
    εκκλησία η = the Church a group called out 翻訳:http://www.kypros.org/cgi-bin/lexicon/
  • Dr. Waterman's Desk: Τι εμοι και σοι, γυναι -- O woman, what have you to do with me?

  • こわれもの - ☆★☆ 観念の冒険 ☆★☆

  • なにもしない神 - good2nd

    思った以上に反応が…(びくびく)。なんで急にこんな話をはじめちゃったかというと、ニセ科学の話はもちろんあるんですが、その後書店でたまたま見かけたドーキンスのを思わず買ってしまったということもあります。今ゆっくり読んでるんですが、面白いです。テリー・イーグルトンにはボロクソ言われてるようですが(この書評もまだ途中までしか読んでませんけど)。 僕は神学論争がしたいわけでもないし(そんな能力はないです)、特定の宗教の信者を非難したいわけでもなく(好きなものを信じればいい)、よくわからないので考えてみてるわけです。まぁ、あるいはちょっと冒涜的に見えるかもしれませんが、自分としてはそういうつもりです。なのでともかく、どのあたりが自分にとって「わからない」のか、もうちょっと考えてみます。 「科学と共存できる宗教」が、科学者達がわざわざ問題視しないとか、科学に反する主張によって社会に悪影響を及ぼしたり

    microtesto
    microtesto 2007/01/14
    ドストエフスキー読むといいよ。
  • わかっちゃいるけど、止められない - Cafe Eucharistia

    を読むときは、一冊ずつ読み終えてから次に移るのではなく、数冊を同時期に読み進めるのが私の読書パターン。年末年始の時間の隙間には、植木等『夢をいつづけた男――おやじ徹誠一代記』を読んだり、新渡戸稲造の『武士道』などを読んだ。明治末期―大正―昭和を生きた、神学者ではないレイマン(平信徒)・キリスト者2人の話に耳を傾けることとなった。 1つ前の記事でも書いたとおり、『…徹誠…』を読みたかったのは、いったんキリスト者になった人がその後得度して、浄土真宗の僧侶となって生きた人から、何かを学びたいと思ったからだ。書の実際の執筆は、植木等氏とは別の人物と記されているが、内容は氏その人を髣髴させる、真面目で面白くて、温かいものだった。意外だったのは、当時の社会運動などに関する資料集めや取材が、かなり詳しかったことである。特に徹誠が関係した、朝熊闘争と呼ばれる解放運動に関する資料は、歴史的価値がかなり

    わかっちゃいるけど、止められない - Cafe Eucharistia