未知なる他者、世界に対する「正しい読み」は存在するだろうか。存在するならば、それはどのようなものか。デリダ(仏、1930―2004。代表作に『声と現象』、『エクリチュールと差異』ほか多数)の主要概念「脱―構築」に依拠…
収納箱をほじくりかえしてたら出てきましたよ、奥さん。デリダ&ハーバマス共同声明全文。id:hizzz:20081210の補講id:hizzz:20081227の補講。 …整理のつもりが逆に散らかす、お約束な正月展開。はぅう。 ジャック・デリダとユルゲン・ハーバマスによるこのエッセイは、ヨーロッパ知識人たちの共同行動の一環をなすものである。イラク戦争に対する拒否によって、ヨーロッパのアイデンティティとは何か、という問いがあらためて提起された。この問いに答えるべく、ヨーロッパのジャーナリズムには現在まで、本エッセイのほかに次のものが発表されている。「ラ・レププリカ」のウンベルト・エーコ、「新チューリッヒ新聞」のアードルフ・ムシュク、「南ドイツ新聞」のリチャード・ローティ、「エル・パイス」のフェルナンド・サバテル、「ラ・スタムパ」のジアンニ・バァッティーモ。 独 Frankfurter Allg
べつにレポートの要請があるわけもなく、ただ漫然とものを考えています。なんてゆうか、レポートの課題でさらっと作りました、っていってサッとこうゆうのを提示すると、意見と人格が切り離されてしまう。ほんとはこんなこと真剣には考えてないけど、課題だから、確信犯的に二項対立やダサい近代的思考を駆使してこんなんつくってみました。ってなスタンス。そうすると、これ以外にも豊穣な思考の地平をもっているような、この図表以外の世界も視野に入ってます感が演出できる。それはとても知的にみえる。そうゆうのはやめようと思う。ぼくが生きてきた中でかんじたたいていのことは、この図の中に収まっている。あなたがこの図表をみてかんじたことが、わたしというつまらない人間への評価なのだ。 以下メモ; ■イデオロギーとは、コミュニティをアーキテクチャより優先させる「理由」。イデオロギーはすでに失われており、その「失われた」ということ
どうも 遅れてすいません この前の授業でも言ったけど、今度「思想地図」でシンポジウムをやる 「アーキテクチャと思考の場所」1月28日 17:30〜20:30 タイトルが変わった シンポジウムの広告を出さなさなければいけないので、 浅田彰の肩書きをどうするか相談していた 浅田さんにメールを送ったら、「なし、敢えて言うなら批評家」という返事が来た そんな話し合いをしていた - フーコーの話をしていた 田村哲樹『熟議の理由』 僕と似たような年の政治学者 公共性の問題について話をしている 別の角度から議論 補助線を引いてみたい ゼロアカ系現代思想 今度思想地図にも書いてもらう どんなことを言っているか 政治学の世界では ・熟議民主主義 一生懸命話し合おう ・闘技民主主義 民主主義は戦いだ という考え方がある 熟議民主主義の擁護 それが成立する条件について書かれている 北田暁大『責任と正義』への応答
どうも遅れてすみません 例によって後でプリントが来るのでそれを待つ--プリントが来ないので授業をする 今回はテキストを読むぞ系でやっていた オタクにとって公共性とは何か 動物化とは何か ハンナ・アーレント、斎藤純一氏の一部の本を読んでいた 斎藤純一氏が読むアーレントの公共性の定義 ・現われの空間 表象の空間、固有名として尊重される空間 ・世界への関心 共通世界 この2つが公共性を定義付ける 「現われの空間」は匿名性の空間に近い だったら2chの名無しの空間がもっとも公共的になるのでは 絶対的な真実は無い いつまでも議論が続く だったら南京大虐殺はなかったという話も認めることになる もし斎藤氏の定義に基づくならそうなる 認めないなら別の要素が必要 南京大虐殺については あったという奴、なかったという奴、 それを併せ持つ形で設計されなければならない 僕はあったと思う、と何回も言ってるけどみんな
『思想地図』が出版されるようである。予告どおり、ここに完成稿を公開する。もとより勝手な「挑戦」であるから、その結果については読む方の判断にゆだねたい。 「トランスクリティークとポストモダン」 なお、これまでいささか冗長な「草稿」を公開してきたが、本稿はそれとは独立した単独の論稿である。それでも、本稿を読んで細かい議論に興味をもった方には、「草稿」と「『世界共和国へ』を読む」は参考になると思う。サルトルについては、あらためて時間をかけて取り組むつもりである。 また、本稿の完成に先立って柄谷行人氏とお会いする機会があった。後半部分は、そのときのやりとりに着想をえて書いたものである。付記するとともに、この場を借りてあらためて柄谷氏に謝意を述べたい。 鈴木 基 ポスト・モダンな言説の「嵐」は、すでに少数の学者・批評家の範囲をこえて吹きまくっている。私自身の書いたものがその原因の一端であるといわれる
はじめに 本館に対するはてなブックマークのコメントで、以下のようなものがあった。「見れなくなった記事を復活してほしい。ためになる。」id:ppp22(著)『はてなブックマーク - ポスト・ヒューマンの魔術師』はてなブックマーク(2008)、閲覧日時:2008/11/02 05:30 何の役に立つのかが不思議だったので、どの記事かを問い合わせてみたところ、以下のような返答が返ってきた。「わざわざすみません。過去にhttp://amr-i-t.com/2008/05/post-29.htmlにあった”「頭の良い人は難しい概念も簡単に説明できるはずだ」=難しい概念 - ポスト・ヒューマンの魔術師”という記事です。 」id:ppp22(著)『はてなブックマーク - ppp22のブックマーク / 2008年10月27日』はてなブックマーク(2008)、閲覧日時:2008/11/02 05:30 そん
山形浩生さんが少し前にノーベル賞について、「ノーベル賞受賞者数を政策目標に使うような発想は、ぼくはゆがんでいると思う」と書いている。 「それは自分では評価できませんという無能ぶりを告白しているに等しい。だからぼくは日本に必要なのは、ノーベル賞受賞者そのものより、研究や業績を王立科学アカデミー並みの見識と主張をもって評価できる人や組織の育成じゃないかと思うのだ。日本でも、何かノーベル賞に比肩するような世界的な賞を作ってみてはどうだろうか?(…) もちろん・・・おそらく無理だろう。日本ではそんな賞はすべて地位と経歴と学閥内の力関係で決まり、下馬評は事前にだだ漏れとなり、受賞目当てのロビイングが横行し、結果としてだれも見向きもしないつまらない賞になりはてるだろう。それが日本の問題なのだ。」(「論点」、毎日新聞、10月31日) 山形さんの言うとおりだと私も思う。 私たちの社会のたいへん深刻な問題の
『インターコミュニケーション』という雑誌の50号と51号に載っていた稲葉振一郎氏の「公共社会の基本的枠組み」という文章を読みました。50号でなされているのは主にリベラリストとコミュニタリアンの対立の稲葉氏流の整理で、「へえ、なるほどねえ」と思っただけなんですが、51号では人工環境やら道具の話が出てきて、これがきわめて面白かった。公共性を人工環境と結びつけ、その人工環境の構成素として「建物」、「乗り物」、「道具」を見出し、その重心の変化を通して公共性の条件の変化を見出していく。これは素晴らしいと思った。さらに、コミュニケーションの次元における言語の地位を相対化し、接続を自己目的とする音声のやり取りと、言語特有の形式化作用を区別しつつ、コミュニケーションの原的場面をまずは前者に見出し、後者をコミュニケーションの歴史的変遷のうちに特定の段階へと相対化する。このあたりも素晴らしいと思いました。 稲
2008年2月7日新宿にて、『PLANETS vol.4』が好評発売中の「第二次惑星開発委員会」を主宰している評論家、宇野常寛さんのロングインタビューを行いました。「惑星開発委員会」の成り立ち、論争を起している「ゼロ年代の想像力」(『SFマガジン』連載中)の背景にあるもの、そしてケータイ小説論、サブカル評論の現在まで、ここでしか読めない宇野常寛さんの発言が盛りだくさんのインタビューとなっております ■プロローグ 歌舞伎町の飲み屋から 荻上:今日は新宿、歌舞伎町の飲み屋からお伝えしてます。ということで、『PLANETS vol.4』発売、おめでとうございます! それから、『SFマガジン』での連載「ゼロ年代の想像力」も好調で、話題になっていますね。 宇野:ありがとうございます。 荻上:今日はそんな宇野さんに色々聞いてみたいと思います。個人的には、後日簡単に発表すると告知されてからさっぱり更新さ
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