ハーバーマスの「公共性の構造転換」を読んだときのまとめを倉庫においておく。 なお、この話題に関しては、 http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/hanada/hanadap1/hanadap1.htm も必須の資料。 近代という時代は、公権力の領域と私人の領域の空間的な分割・分離とともに発生する。 その前史をたどると、それら二つの領域は十六世紀に始まる封建的な諸権力の解体過程から生まれてきたものだといえる。君主や貴族は、その支配力を演出する舞台として「代表的具現の公共性」を設けていた。具体的には様々な衣装や道具を伴った儀式や祭典である。 この舞台装置によって、支配ー被支配関係が可視的に顕現され、支配者としての_体面_が維持された。ここには近代的な意味における公も私もない。 まず、教会権力に対する宗教改革は内面の自由(=信教の自由)という最初の私的自治の圏を