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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (10)

  • ■ - jun-jun1965の日記

    最近、遅ればせに子母沢寛の『勝海舟』を、夢中になって読んでいる。夢中になってどんどん読むのではなくて、もったいないからちびちび読んでいる。なぜかというに、海舟は幕府の頭の固い連中、これから先が見えない連中をよく批判しているのだが、それを読んでいると、今の大学人そっくりだ、と思うからである。 今の文学研究者とか、文藝評論とか、文藝雑誌とか、ちょうど幕末の幕府だの武士みたいなものだ。ペリー来航から十五年で幕府が潰れる、それどころか武士さえなくなるとは思わずに内部でああだこうだと争っている。高見の見物じゃなくて私は低見の見物だ。 文藝時評というのをやっていると、視野狭窄に陥って、結構な傑作があるような気がしてくるものだが、後になって考えたらなんてこともないものだ。純文学などというのは、それこそ旧幕時代のしきたりのようなものだ。 もっとも逆にいえば日では文学は武士精神の残滓として始まったともいえ

    ■ - jun-jun1965の日記
    mn_kr
    mn_kr 2009/11/15
    “私の若いころ、「下らない」と言われそうな話をする時は「つまらない話だけど」と前置きをするのが習慣になっていた。『批評空間』の共同討議でもよくそういうやりとりが行われた”
  • 原体験あり - jun-jun1965の日記

    あ、そうだ。映画『童貞放浪記』はエンドクレジットのあとまで観て下さい。 http://d.hatena.ne.jp/maasha/20090808/p1#c UBCでの博士論文執筆資格審査試験に落ちた時のことは前に書いた。その時鶴田欣也が、私の答案の非論理をいちいちあげつらったことも書いた。 しかしその中に、三島が川端について「文体がない」と書いたことについて、鶴田先生は「これは歴史がないということだ」と言い、私は「ヘーゲル的な」と呟き、鶴田はイエスと言った。 だが、のちのちまで、このやりとりが気になった。三島の「文体がない」という簡単な言を、いかなる学問的手続きによって「歴史」と解釈するのか。また、ヘーゲル的歴史とは何か。論理性を指摘した鶴田のその日の発言の中で、この個所だけが浮いていた。 帰国後、私はヘーゲルを読もうとした。しかし、歯が立たなかった。歯が立たない、ということを、一般的に

    原体験あり - jun-jun1965の日記
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    mn_kr 2009/08/09
    反哲学論
  • 川勝平太と土居健郎 - jun-jun1965の日記

    川勝平太が静岡県知事に当選したのには驚いた。何しろ新聞をとっていないから、立候補していたことも知らなかった。 しかしまあ、「新しい歴史教科書をつくる会」に入ったり、静岡文化藝術大学の学長に転じたりと、野心家、学究というよりは政治家という印象の人ではあった。何しろあの眼つきがもう、ギラギラしているもの。 まあ学者としては大した人じゃないでしょう。『文明の海洋史観』なんて梅棹の真似みたいなのもあるけど、もともとの専門は木綿商業で、しかしある時期以降は怪しげな日礼賛論でそれがどんどんバカバカしくなっていった。政治家に転じたのは正解でしょう。 - と思っていたら土居健郎が死んだ。 (活字化のため削除) - 今日届いた『遊歩人』という雑誌に、森下一仁というSF作家の書評エッセイが載っていて、あの中田喜直伝を紹介していた。始めは、作風に似合わぬ過激な嫌煙運動家としての側面を語っているのだが、結論は、

    川勝平太と土居健郎 - jun-jun1965の日記
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    mn_kr 2009/07/07
    “土居は「甘え」は全世界にあるとか言い始めたけれど、そもそも「甘え」を定義していないんだから、しまいには学問的に何の意味があるのか分からない世間話になってしまった”
  • 原罪 - jun-jun1965の日記

    高校三年生が野球の球を顔面に当てて死んだ。打ったやつはたまらんだろうなあ…。私が高校生の頃、体育の時間に槍投げをしていて、投げた時人に当たりそうな気がしてひやりとしたが、実際は遥かかなただった。ああいうのが当たって死んだら、一生の苦悩だなあ。 中村うさぎがあんな風になってしまったのは、同志社へ行ったからではないか。つまり「原罪」の思想などを植えつけられたから…。 - 細江光先生から、新著『作品より長い作品論』を送っていただいた。 http://www.bookmailclub.com/bmc/reader/search/?.command=detail&book_id=4404 前半はいわゆる作品論で、名作というのは例外的な天才によって書かれるもので、一字一句に重要な意味があると信じる細江先生の「地獄変」「大津順吉」などの論、後半はお得意の谷崎研究から、南木芳太郎についての伝、最後は「なん

    原罪 - jun-jun1965の日記
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    mn_kr 2009/05/10
    “ 中村うさぎがあんな風になってしまったのは、同志社へ行ったからではないか。つまり「原罪」の思想などを植えつけられたから…。”
  • 「国際グラフ」からの電話 - jun-jun1965の日記

    電話番号は大阪であった。男は、国際企画の「国際グラフ」という雑誌の者と名乗り、塾の塾長さんですかと言う。うちの雑誌で紹介したい、と言う。 「まあこういう、文学の塾というのは珍しいと思いまして」 「そうですか?」 検索すると、すぐに「あとで八万いくらの広告料を請求する」というのが出てきた。男は、 「塾長さんは、あの、文学とかそういうものに、以前から興味がおありだったんですか?」 と訊く。 「は? 私のことを、何もご存知ないんですか」 「ああ、ええ、ご存知・・・知らないんです。名前も分からなくて」 「小谷野です」 「くえのさん?」 「あの、何か様子が変なので、切りますけど」 「あ、はい、分かりました」 - 「淀君」は辻君などになぞらえた蔑称説を最初に唱えた小和田哲男先生、昨年10月3日の読売新聞で諸田玲子と対談「戦国の女たち」をして、 諸田 でも女性に関する確かな史料って少ないですね。小和

    「国際グラフ」からの電話 - jun-jun1965の日記
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    mn_kr 2009/04/26
    小谷野先生でさえ“「2ちゃんねるを叱る」を書いた七年前に比べると私はだいぶインターネットに対して期待を抱いている。2ちゃんねるでさえあったほうがいい。なぜならそれだけ日本のマスコミがひどくなったから”
  • メリー・ポピンズは少女か? - jun-jun1965の日記

    君、訴状の送達が遅れてすまない。見ての通り三月始めには提出していたのだが、訂正があったり、裁判所で人事異動があったりして、こんなに遅れてしまった。 ところで君が書いたものを点検していて、どうやら君がメリー・ポピンズというのを少女だと思い込んでいるらしい、と気づいた。メリー・ポピンズというのは少なくとも20代の家庭教師だよ。 - 『週刊文春』「家の履歴書」に亀山郁夫が出ていて、自分の生家について語っており、父親は優れた俳人でもあったと言っている。ほれ、そういう父親を持っていないと『カラマーゾフの兄弟』なんぞに感動しないんだよ、と言いたくなる(ダメ父を持ってこの小説に感動した人、いたら手をあげて)。それで自分はあまり偉い父になろうとしなかったが、もう息子が父親になったという。偉い父になっていないつもりか。 - フィリップ・K・ディックが死んだのは、確か東大の二度目の入試の日だった。駒場の構

    メリー・ポピンズは少女か? - jun-jun1965の日記
  • 博士号をとろうとしている人文系院生に告ぐ - jun-jun1965の日記

    (活字化のため削除) (追記:言語学や心理学は理系だから博士号はあったほうがよい) (小谷野敦) (追記:不断見ていないブックマークを見たら、 「Britty 研究 うーん場合によりけりですよね。どこに就職するかにもよるし。旧帝大はいちおう教授はみんな博士号もっている状態ではないかなあ。。」というのがあったが、持ってない人が東大でもたくさんいることは前に示した通りである。

    博士号をとろうとしている人文系院生に告ぐ - jun-jun1965の日記
  • 教育的指導 - jun-jun1965の日記

    http://d.hatena.ne.jp/kasegi/20080417 どうもこういうわけの分からん奴らがいるので、分かりきったことだがあえて教育的指導をしておく。 どうやら世間には「小説家」と「文藝評論家」を対立関係に置いて考えたがる人がいるようだが、 「小説を批評したり悪口を書いたりするのは文藝評論家である」 という命題は偽である。正宗白鳥だって川端康成だって大岡昇平だって高見順だって文藝批評はした。ただ吉岡栄一の『文芸時評』(彩流社)が言うように、1980年頃から、作家による批評はもっぱら褒め批評になっていき、今では仲間意識からか、あまり批判的なことは言わなくなった。文藝評論家対作家という構図を広めたのは筒井康隆で、『虚航船団』を栗慎一郎に「つまらない」と批判されたあたりから(別に栗は文藝評論家ではないのだが)、主として渡部直己と糸圭秀実を論敵としてそういう構図を浸透させたの

    教育的指導 - jun-jun1965の日記
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    mn_kr 2008/04/27
    “文藝評論家対作家という構図を広めたのは筒井康隆”
  • そうだったのか - jun-jun1965の日記

    宮下整の『戦前の少年犯罪』の大仰な物言いが、勢古浩爾さんの新著で批判されているのを見たが、勢古さんも、その少年犯罪の実態は知らなかったらしい。もちろん私だって知っていたわけではないが、そんなもんだろう、と思っただけだった。濱浩の「十二階下の子供たち」や里見紝『多情仏心』に出てくる不良少年少女を見たって、そんなものだろうと思うし、歴史にせよ文学にせよ、日近代を専攻して新聞などを見ている人には、さして驚くべき話ではない。 ところが、高島俊男先生が、向田邦子が描いているような家庭はエリート家庭だった、と指摘していると知って、たまげた。そんなことは常識だと思っていたからで、なに? あれを「普通の家庭」だと思っている人が、まあ若者とか、歴史を知らない低学歴者はいざ知らず、そんな人がいるのか? と思ったからである。 すると、さらに不安になってくるのだが、戦後の小津安二郎が描いたような家庭も、当時の

    そうだったのか - jun-jun1965の日記
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    mn_kr 2008/04/27
    “向田邦子が描いているような家庭はエリート家庭だった/戦後の小津安二郎が描いたような家庭も、作によってさまざまだが、だいたい娘の結婚問題でどうとかやっている映画は、中産階級エリートの家庭である。”
  • 呉智英先生、質問です! - jun-jun1965の日記

    話題になっているらしい。 イジメ自殺が社会問題となっている。新聞でもテレビでも識者と称する恥知らずたちが、おためごかしの助言を垂れ流して小銭を稼いでいる。イジメに苦しむ少年少女よ、あんなものが何の役にも立たないことは、君たち自身が一番良く知っている。唯一最良のイジメ対処法は報復に決まっているではないか。 実はイジメ自殺は何年かごとに社会問題となり、そのたびに真実の声が良識という名の愚論によって圧殺されてきたのだ。十一年前にもイジメ自殺が相次ぎ「少年ジャンプ」が悲痛な叫びを特集連載した。それをまとめた『いじめレポート』(集英社)にこんな声がある。「徹底的に体を鍛えた。復讐のために…。やられる前にやれ!」(A男)。A君は拳法、柔道で「歩く凶器」となり、イジメを粉砕した。睡眠薬自殺未遂のC子さんは、死を思う気持ちよりも「憎しみの方が強くなった」「私もガンガン殴り返す」「女でもやるときはやるんだ!

    呉智英先生、質問です! - jun-jun1965の日記
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