最近、遅ればせに子母沢寛の『勝海舟』を、夢中になって読んでいる。夢中になってどんどん読むのではなくて、もったいないからちびちび読んでいる。なぜかというに、海舟は幕府の頭の固い連中、これから先が見えない連中をよく批判しているのだが、それを読んでいると、今の大学人そっくりだ、と思うからである。 今の文学研究者とか、文藝評論とか、文藝雑誌とか、ちょうど幕末の幕府だの武士みたいなものだ。ペリー来航から十五年で幕府が潰れる、それどころか武士さえなくなるとは思わずに内部でああだこうだと争っている。高見の見物じゃなくて私は低見の見物だ。 文藝時評というのをやっていると、視野狭窄に陥って、結構な傑作があるような気がしてくるものだが、後になって考えたらなんてこともないものだ。純文学などというのは、それこそ旧幕時代のしきたりのようなものだ。 もっとも逆にいえば日本では文学は武士精神の残滓として始まったともいえ