⇒404 Blog Not Found:言葉は何を乗せているのか 弾さんらしいというべきか、まためちゃくちゃなことを書いているなぁとも思うが、批判ではないよ。まして、被害妄想にもほどがある、ほどでもないつもりなんだけど。 ま、ちょっとだけ。 この「国」が「日本語」に対して来た非道は、本書にも詳しく書かれている。この国において、日本語を虐げて来たのは他ならぬ国家であり、その走狗たる役人であり、その役人たちに一目おかれていた文学者たちであった。彼らが日本語につけてきた傷は未だ痛々しく、いまこうして我々が使っている日本語に残っている。中途半端で意味不明な漢字簡素化に新仮名づかい....私が今使っている日本語も、「傷ついた日本語」である。なぜなら私は「傷つく前」の日本語を何とか読めても、書くほどの教養がないからだ。私の名前が「彈」ではなく「弾」なのも、実はその余波である。 これはそうではないんです
いや絶対にこれ岡田さんのファインプレイでしょう。 BSマンガ夜話『よつばと!』の回にゲスト出演するはずでした。 - 伊藤剛のトカトントニズム 別に僕は、この元となった揉め事について、岡田さんや唐沢さんの方を支持するわけでもないし、その事についてはどうでも良いんですが、ただ伊藤剛さんのこの性格とか言い回しは、マンガ夜話にはそぐわないと思うんですよ、だってこの人の感じだと、間違いなく「いしかわじゅんと番組中衝突する」と思うんですよ、かつてのサエキけんぞう氏や大林宣彦氏や鴻上尚史氏が、いしかわ先生と嫌な空気になったのが、再現される危険性が僕は高いと思う。この番組は誤解している人も多いけど、マンガ批評討論番組ではなく、いしかわじゅんとその仲間達による、トークライブ公演と考えるべきで、いしかわ先生と決定的に対立したりする人がいるのは、過去の例から見ても、あんまり番組に良い結果をもたらさない。 マンガ
★『崖の上のポニョ』深夜の回の上映後の女子トイレにて、ギャル二人の会話。 ギャルA「あいつ何だっけ? 藤本? 名前ウケんだけど」 ギャルB「ウケる〜。でもさ、何かちがくない? 従来のジブリ路線とさ〜。いつもは何か深いテーマがあんじゃん。自然とか。今回はあれだよね、珍しく愛に行ったよね」 ギャルA「行ったね。でも、アタシは好きだよ」 ギャルB「でも前のジブリが好きな人は拒否反応とか示しそうじゃね?」 ギャルA「かもね〜」 ……なんかすごいメジャー感! ギャルに語られて、しかもだいたいあってるような……。私の感想は、狂った(しかもフェティッシュな、宮崎駿がずーっと昔から大好きな、水中に沈んだ都市とかの、水と光とぐにゃっとデフォルメされる描線の)イメージの洪水で始まり、そのイメージの洪水が一ミリもテンション下がらないまま延々続いて「ポーニョポーニョポニョさかなの子〜」でいきなり陽気に終わるという
加爾基 精液 栗ノ花 アーティスト: 椎名林檎出版社/メーカー: EMIミュージックジャパン発売日: 2008/07/02メディア: CD購入: 4人 クリック: 116回この商品を含むブログ (50件) を見る 椎名林檎がベストアルバムを出すとは感慨深い。ある意味ではレディオヘッドよりも感慨深い。椎名林檎が死んで5年ほど経つ。何を言ってるんだ椎名林檎なら生きてるぞ、と大半の人は言うかもしれないが僕はあれは幽霊だと思っている。ベスト盤やB面曲のコンピなどの「入門編」が次々リリースされる中、ひっそりとこのラストアルバムが再発された。発売当時流行していた悪しき規格CCCDを外した通常盤でのリリースだ。事変以降の林檎しかしらない中高生諸君よ、ベスト盤もいいが、まずこっちを買え。買うときっと後悔するだろう。しかし3000円分の元を取るつもりで我慢して聴くんだ。多感な君たちにはこのアルバムを独りで聴
今私が非常に面白がっている人物で宇野常寛さんという人がいます。この人はネット上でサブカルチャーへの評論を展開し、その文章を買われて(?)ライターとしての活動を開始、現在はSFマガジンという雑誌で評論「ゼロ年代の想像力」を連載しており、オタク評論の新たな地平を切り開いた巨人・東浩紀と敵対したり、一緒に酒を飲んだりしています。要は上の世代にもある程度期待されている新進気鋭の評論家さんです。その主張は苛烈で痛快です。「評論の世界は十年遅れている」と言い放ち、その十年を取り戻す作業が自分の仕事だと宣言しています。上の世代の評論家はすべて「現状認識できていないノスタルジー中年でもはや害悪」、萌えに耽溺するオタクは「『酸っぱい葡萄』状態のどうしようもない奴ら」と無手勝流の撫で斬りで片っ端から斬り捨てます。この人の活動の遍歴をまとめてみると面白いのでは? と思いこの記事を書いてみました。 高校生時代北海
堀 潤之 今日は、ゴダールといわゆる「ニュー・メディア」との関係についてお話ししたいと思います。21世紀も、はや三年目を迎えているわけですが、映画は相変 わらず、20世紀的な試みを反復しているだけで、真に21世紀的と言いうるようなブレイクスルーはまだ起きていない気がいたします。一方、ゴダールの『映 画史』(1988-98)は、ゴダール自身は自分が生きた20世紀の総括として作っているとはいえ、ゴダール自身がおそらく意図しなかったような仕方で、 21世紀に向けて開かれているようにも見えると思います。そういうわけで、私は、おそらくゴダールの意図を裏切って、『映画史』という作品をどういうふう に21世紀に向けて活用すればよいのかを、考えてみたいと思います。 ゴダールと「映画の死」 ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちは、過去の映画を浴びるように見て批評を書くという体験を経て、映画を撮りはじめた最初の世代
初めて梅干しを作ってみた話 今年の夏、初めて梅干しを作りました。 私梅干し大好きなんですが、自分で作るという発想がなくて…同僚が梅シロップを作っているのに影響されて去年から梅仕事を始めてみたんですが、そのときの説明書に「梅干しの作り方」というのも入っていて、えーー梅干しって自分…
テレビで『時をかける少女』が放映されたので観た。以前も書いたように、この映画は「未来」に対して果てしなく超スーパーウルトラポジティブだ。でも、やっぱり「未来」は出来る限り、常に輝いていたほうがいいなと思った。 最近、しばしば「未来」についてよく考える。といっても、自分の今後の身の振り方とかそういうのとは違って、科学とかメディアとかコミュニケーションについての「未来」。暇なときに、未来年表 | 生活総研やNRI未来年表 2007-2020、JSTバーチャル科学館|未来技術年表などを眺めては、「未来」について思いを馳せてみる。 例えば未来年表 | 生活総研で「インド」とか検索してみると、2009年に「インドのアニメーション産業が9億5000万ドル(約1100億円)の規模に拡大する」とか、2010年に「インドの携帯電話契約者数が、国民の半数に相当する5億人に達する(毎月500万人が契約)」とか、
S-Fマガジン 2007年 07月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2007/05/25メディア: 雑誌 クリック: 4回この商品を含むブログ (23件) を見る先日はてブで知った記事「さて次の企画は - 95年エヴァンゲリオン文化圏の終わり−−知的な塹壕としての「ゼロ年代の想像力」スタートと、よしながふみ「フラワー・オブ・ライフ」完結について」を読んで興味をもち、SFマガジンを買って、「ゼロ年代の想像力」を読んでみた。 はじめに、この連載の目的を簡単に説明しておく。まずは九〇年代の亡霊を祓い、ゾンビたちを速やかに退場させること。次にゼロ年代の「いま」と正しく向き合うこと、そして来るべき一〇年代の想像力のあり方を考えることである。 宇野常寛「ゼロ年代の想像力」 そして『新世紀エヴァンゲリオン』におけるシンジくんの引きこもり気分が支持されたのが90年代後半の「気分」。対する
自動的に移動しない場合はをクリックしてください。
the one and only PIER PAOLO PASOLINI !! パゾリーニ映画鑑賞の試み~ソドムの市 その1 -なにごとも規範に則って行うべきだ イントロ。またはスカトロ? さて、今回の「観賞の試み」は映画史上類をみない阿鼻叫喚地獄絵巻が繰り広げられるパゾリーニ最後の傑作<ソドムの市>についてです。 この空前絶後の傑作を「観賞」するにあたり、自分の力不足を再認識するといいますか、不甲斐なさを痛感するといいますか、なんとか考えをまとめているつもりでいながら逆に頭からこの映画にバリバリと喰われてしまう、それもまた快感だ、などといったマゾヒスティックな気持ちで一杯なのです。 この映画をどう見るか? そんなことはもはやどうでもいいことだ!と投げ出したくなることしばしばなのですが、しかし、特に日本の映画批評においてこの映画がまともに取り沙汰されていない実態、また海外においても私の知る
喫茶店にて。 麻草「森川ジョージをもっと評価しようぜ!だって『はじめの一歩』がすげえんだよ、最近」 友人「へえ」 麻草「まず沢村VS間柴ね、ここで描画に変化が出た。カミソリ、皮一枚、弾丸…そういう比喩表現をそのまま絵にしちゃうんだ、そこの描線が優れていてね、今週のマガジンでは一歩と間柴がスパーをするんだけど、鋭いジャブで一歩のヘッドギアがゼリーみたいにはじけるんだよ、でも次のコマでは元に戻ってる、つまり表現のレベルでファンタジーバトルに近い描写をしてるんだ。ファンタジーバトルが好きな、今の読者のニーズに合わせてるってわけ。もちろん前から必殺技のあるボクシングマンガではあったんだけど、それが描画に及んだってのが革新的なわけよ」 友人「ふうん」 麻草「他にも後輩の板垣って奴が超動体視力の持ち主でね、相手が止まって見えるんだ、それを数十話の中で伏線をはって、丹念に描く!やってることは地味なんだけ
本欄は、競馬サブカルチャー論・第17回:馬と『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006/07/03)を執筆するために収集した参考文献等をまとめて掲載しています。(最終「超」更新:2006/08/28現在、310件 最新追加分は+で表示中) 適当なまとめ:テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」シナリオに関する批評・考察 (総論) 小説シリーズ 論考名 総合 谷川流氏「小説で悲しいことは書きたくない。それは現実にあふれているから。」 総合 谷川流氏「“世界”とはそのまま各人が認識している現実だと言えるのではないか」+ 総合 ライトでシリアス 侮れぬ『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズ 総合 「この非日常的な日常は非常に壊れやすい、移ろいやすいものだ」という視点 総合 『ハルヒ』が、ここまで優秀な萌えオタコンテンツだったとは 総合 東浩紀氏「ライトノベルの『メタ』としての涼宮ハルヒ」 総合 「うる星やつら2〜ビューティフ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く