コーヒーの豆は遍在していながらドリップ・フィルターが近くに見あたらぬと、不意に親しい女性のお尻が見えてきたりするのはなぜか 蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第16回を「ちくま」11月号より転載します。ありふれた朝食について、パンについて、コーヒーについて、コーヒーを淹れるためのドリップ・フィルターについて、なめらかに横滑りする行文は果たして半世紀以上前のドリップ・フィルターをめぐる一場面に至りつきます。まるで映画の一シーンのような光景の鮮やかさ、艶めかしさ。そう思うと、ドリップ・フィルターの曲線も不思議なバランスで実用性と官能性を表しているようにも思えます。ご覧下さい。 朝食だけはごく几帳面に食べたいという思いは、独身だった半世紀ほど前から老齢の妻帯者となったいまにいたるまでまったく変わることはないはずだが、ひとまず「ごく几帳面に」と書いておいたのは、それがいささかも豪華なものでは