菅政権が日本学術会議の新会員候補を任命しなかった問題で、除外決定の「キーマン」とされるのが首相官邸事務方トップの杉田和博官房副長官だ。「法の番人」とも呼ばれる内閣法制局のトップだった山本庸幸・元内閣法制局長官(71)は7年前、その杉田氏から突然、長官退任を言い渡された。当時の安倍晋三首相が目指していた集団的自衛権の行使容認に向け、内閣法制局の慣行を破って長官を交代させた人事は、政権の意に沿わない人物を除外する政治手法の象徴として議論を呼んだ。「人事を主導したのは杉田氏だったのではないか」と振り返る山本氏に、菅政権へと引き継がれた官邸主導人事の実態について聞いた。【聞き手・青木純】 「参院選後に辞めてもらうことになっている」 内閣法制局長官を辞することになったのは、2013年の6月ごろだった。首相官邸で開かれた閣議の後、杉田さんから「あ、ちょっと」と呼び止められ、立ち話の形で「君には7月21