『「私」は元来「和多志」だったのにGHQに強制されて「私」になった。だから元来の言葉である「和多志」に戻そう!』 という、僕からするとサッパリわからない活動があるんですが、「和多志」でTwitter検索かけるとそういう人がたくさ… https://t.co/2zWZQnEQzJ
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かつて国宝に指定され、戦後GHQによる接収で所在不明となっていた鹿児島県の神宮の刀と特徴が一致する刀が、オーストラリアで見つかり、所有者はNHKの取材に対し、将来は返還する意向を示しました。文化庁は「おそらく本物だと考えていて、非常に喜ばしい」とコメントしています。 鹿児島県霧島市の鹿児島神宮に奉納され、戦前は国宝に指定されていた「刀 無銘則重」は、戦後、GHQに接収され、その後所在不明となっていました。 オーストラリアの愛刀家、イアン・ブルックスさんは、この刀と4年前にインターネットのオークションで購入した刀の特徴が一致していることに気付き、調査を始めました。 その結果、刃の長さや、鐔(つば)に彫られた銘が一致したほか、さやに巻きつけられていたとみられるラベルに、判読不明な2文字に続いて「・・島神宮」という文字があることがわかりました。 さらに、鹿児島神宮と連絡をとったところ、このラベル
以前、当サイトで取材した野ばら社が出版していた『児童年鑑』。 子供向けの統計年鑑だが、そこに掲載されている絵地図がめちゃくちゃよいので、紹介したい。 『児童年鑑』の絵地図とは 野ばら社に限らず、戦前から戦後の一時期までは、各出版社が「年鑑」という書籍を毎年発行していた。 なかでも野ばら社の『児童年鑑』はかなりの人気があり、野ばら社の経営を支えたといわれる。 筆者所有の野ばら社の児童向け年鑑 その児童向け年鑑の中に、各地の特産品や名物名所などを書き込んだカラーベージの絵地図があるのだが、ぼくはこの絵地図が大好きで、以前も記事内でいくつか紹介した。 こんな感じの絵地図が地域ごとに掲載されている この、児童年鑑の絵地図だが、野ばら社は現在、絵地図の部分だけを復刻して印刷し、イベントや通販で販売している。 先日行われたイベントで、そのなかのいくつかを購入したのだが、どれもめちゃくちゃおもしろい。
前回は笙野頼子がジョージ・ソロス陰謀論(ユダヤ陰謀論の一種)にハマってるのではないか?という記事を書いたわけですが やはり注目すべきはなんといってもここでしょう。 しかし性同一性の定義はまだ循環論のままです。悪用できますね?ていうか、おそらく何を作っても運用でめちゃくちゃしてきますからね。 ていうか法律に勝手に横文字を入れてはいけません。ここは日本、独立国、たとえLGBT当事者であってもGHQの支配は受けられません。 https://femalelibjp.org/nf/?p=1084 まず、「法律に勝手に横文字を入れてはいけません。」という部分についてです。 言うまでもありませんが、新しくできた法律にはすでに横文字が大量に入っています。 例えばマイナンバー法を見てみましょう。 この法律において「個人情報ファイル」とは、個人情報保護法第六十条第二項に規定する個人情報ファイルであって行政機関
ヨッピー @yoppymodel ライター/オールドルーキーサウナ渋谷店GM/お仕事や相談はyoppymodel@gmail.com もしくはDMでどうぞ! ヨッピーとは? yoppymodel.hatenablog.com/entry/2018/11/… yoppymodel.hatenablog.com ヨッピー @yoppymodel 『「私」は元来「和多志」だったのにGHQに強制されて「私」になった。だから元来の言葉である「和多志」に戻そう!』 という、僕からするとサッパリわからない活動があるんですが、「和多志」でTwitter検索かけるとそういう人がたくさん出てきて「パンドラの箱だ……!」っていう気分が味わえます 2021-01-13 15:41:06
日本国憲法の「押しつけ」の性格は否定できないが… 日本国憲法は、敗戦後の占領された日本で、GHQの作成した案をもとに帝国議会が審議したうえで制定されました。このことからすれば当然ながら、多かれ少なかれGHQによって「押しつけ」られた要素があること自体は否定できないでしょう。 ただ実際の展開としては、GHQが作成して日本政府に与えた条文をそのまま翻訳して日本国憲法にしたというわけではなく、まず1946年4月の日本初の男女平等選挙で選ばれた衆議院議員と、(選挙の対象でない)貴族院議員が審議して、(GHQの意向に反しない限りにおいて、ですが)様々な修正を加えたうえで、現在の日本国憲法が完成したのです。 戦争放棄だけの問題だったのか? そこで次の問題は、なぜ「押しつけられた」かということです。 この点、日本国憲法に批判的な論者から「憲法9条の戦争放棄で日本を非武装にするために、押しつけたのだ」とい
https://x.com/hopi369/status/1820992539329229248 まず初めに書くが「そしじ」という漢字はそもそも存在しない造語となる。というか、該当投稿が貼っている画像にも「造語」って書いてある。それはともかくとしてこの造語漢字は以前、「和多志、弥栄、氣、神運字……、スピリチュアル言霊(漢字)運動について」という記事を書いたが、これもそれに類するものと言ってよい。例えばわかりやすい例としては本物研究所の長博信という人物は2024年5月19日に次に様に書いている。 消されてしまった「神運字」とは 私ども舩井グループは今月初めよりオフィスを移転しました。新オフィスの廊下には舩井幸雄の額縁写真が飾られているのですが、実はその横にもうひとつ「額」が飾ってあります。そこには1文字が書かれているのですが、検索しても出てこない、消されてしまった文字だと言われています。 そ
日本国憲法の制定は国際法違反なの? 日本は第二次世界大戦に破れて連合国の占領を受けたあと、大日本帝国憲法にかわる新たな憲法を作ることを迫られ、GHQの与えた憲法案をもとに、日本では議会の審議を経て日本国憲法を制定しました。 このように占領中に連合国が日本に新憲法の案を与えて制定させた点については、「押しつけ憲法」論として今日まで議論になっています。(この点については本noteの過去の記事を参照ください。) https://note.com/horishinb/n/n377c6aa325c5 ところが問題はそこにとどまらず、「敗戦国に『押しつけ』をやって新憲法を作らせるのは国際法違反だ」「日本国憲法は、国際法違反のゴリ押しで作らされたのだ」などという説さえ出ていて、保守的な政治家や論者がこの説に乗ったりしています。 そこで今回は、この国際法違反という説について検討してみることにしましょう。
https://twitter.com/Daisuke_F369/status/1643647859911430149 以前、「和多志、弥栄、氣、神運字……、スピリチュアル言霊(漢字)運動について」という記事でこのダイスケなる人物について少し触れましたが、今度はGHQによって「あおうえい」が「あいうえお」になったとか馬鹿げたことを言っていたわけです。全文は長くなるので引用しませんけど(本題とは別で1ツイート4000字なげえ)、GHQ以外のネタはネットの言霊スピリチュアル系信仰の話を寄せ集めたもので特に新規性がある話をダイスケはしてません。あえて言うならばGHQを絡めたのがダイスケのオリジナリティ。しかし困ったことにそれなりにバズって信じてしまった人間がいるようで検索にも出てくるように。 「魂の目覚め」はただのツイート貼り記事なので置いといて、「言靈が意図的に封じられている?」というnote
「タイタンの妖女」「スローターハウス5」などで知られる作家のカート・ヴォネガットが考案したボードゲーム「GHQ」が2024年8月に市販されました。海外メディアのPolygonが、「GHQ」がどういう経緯で開発されたのかを解説しています。 Kurt Vonnegut’s lost board game finally published | Polygon https://www.polygon.com/board-games/467103/kurt-vonnegut-ghq-lost-board-game-publisher-interview ヴォネガットは1922年にインディアナ州インディアナポリスで生まれました。1940年にコーネル大学に入学し、生化学を学んでいましたが、在学中にアメリカ陸軍に徴募され、1944年に第二次世界大戦の欧州戦線に参加。この時の経験が「スローターハウス5」に
憲法議論で多くの人が勘違いしていること 今年は日本国憲法が1947年に施行されてから75周年にあたります。さらにコロナ問題やウクライナ戦争などもあって、憲法のあり方についての議論が例年よりも盛んにおこなわれるようになっています。 ただ、憲法についての議論の中には、かなり乱暴で大ざっぱな印象論も混ざっていることは否定できません。 例えば「日本国憲法は国民の意向に関係ないGHQの『押しつけ』だった」とか「わずか1週間でアメリカ人たちが作った」とか、さらには「外国から押しつけられた憲法ではなく、日本国民の意思で自主憲法を制定しよう」などという声がよく聞かれます。 果たして日本国憲法は「押しつけ」だったのでしょうか。また、日本国民の意思が何も反映されずに制定されたのでしょうか。実際の経緯を確認してみましょう。 「GHQ案=日本国憲法」ではない まず結論から言ってしまうと、日本国憲法は、敗戦後の占領
「上の図形に含まれるすべての四辺形を列挙せよ」という小学生向けの問題です。 答えはあえて書きませんが、率直に言って相当の難問です。私自身は日曜の夜に考え始めてそのまま眠ってしまいました。 朝改めて系統だって解を作り、模範解答を準備したところで、ここでも「出題」しています。 この問題が載っているのは、日本近代教科書の最高傑作として名高い緑表紙「尋常小学算術」4年生用のテキストです。 この問題を解くのに「数式」は必ずしも要りません(ただし、実際に解いた感想としては数式を使った方が遥かに楽でした)。 しかし「必要かつ十分」にすべての解を挙げ尽す論証は極めて論理的、数理的で、現実の生活にも役立つ示唆が数多く含まれています。 ロジカル・シンキングやアルゴリズムのお手本のような、でも小学生にも出題可能な良問です。 今回は、ここ25年来、東京大学で情報、数理、物理、統計などを教えてきた一教官の観点から、
「升田幸三がGHQを論破した! だから将棋は禁止されなかった!」 そんな調子の話が、ネット上では周期的にバズるようです。事実なのか。それとも創作なのか。最初に筆者の見解をまとめると、次の通りです。 ・1947年に升田幸三八段(当時、のちに名人)がGHQに呼ばれたのは事実と見るのが妥当。 ・升田八段が将棋とチェスの比較論を展開し、GHQ高官たちの度肝を抜いた話は具体的かつ詳細で、大筋で本当ではないかと思われる。 ・ただし伝わっているのは升田本人の証言のみ。相手方の速記録などは知られておらず、どこまで本当かは現在のところ、確かめようがない。 ・「升田がGHQの高官たちを『論破』したから将棋は禁止されなかった」という史実はおそらくない。升田自身もそんなことは言っていない。 筆者がいま参照できる資料の限りでは、升田著『歩を金にする法』(1963年、講談社刊)での一文が、この件に関するもっとも古い記
7月13 賀茂道子『GHQは日本人の戦争観を変えたか』(光文社新書) 7点 カテゴリ:歴史・宗教7点 副題は「「ウォー・ギルト」をめぐる攻防」。GHQが終戦直後に行ったとされる「ウォー・ギルト・プログラム」を扱った本になります。 この「ウォー・ギルト・プログラム」については評論家の江藤淳がとり上げたことで世に知られました。江藤は戦後民主主義の「自由」な言論空間が実はGHQによる検閲と洗脳によってつくられたということを『閉ざされた言語空間』で主張しました。 ただし、江藤は評論家ですし、たまたま目にした資料からこの政策について論じており、その実態はどうだったのか? どの程度の影響力があったのか? といった疑問は残ります。 本書は、アメリカが日本人のどんな戦争観を問題視し、どのようにアプローチしようとしたかを分析し、「ウォー・ギルト・プログラム」の実態を明らかにしようとしています。 江藤の主張
記者会見に臨む「日本の真の独立を目指す有識者会議」の矢野義昭・元陸将補(左端)ら=6日午後、東京都千代田区(奥原慎平撮影) 保守系の学識経験者らでつくる「日本の真の独立を目指す有識者会議」は6日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、連合国総司令部(GHQ)の言論統制などをメディアが見過ごし続けた結果、自らの国をおとしめるような日本人が多数生み出されたとして、「GHQによる国民の洗脳工作に加担させられたことを国民に対して告白・懺悔すること」を求めた。代表してNHKに公開書簡を送り、4月28日までに回答を求めた。 「太平洋戦争史」と「真相はかうだ」同会議は昨春、設立された。東大名誉教授の小堀桂一郎氏が議長、大阪市立大名誉教授の山下英次氏らが副議長を務める。 GHQを巡っては、終戦直後の昭和20年12月8日、新聞各紙に連載記事「太平洋戦争史」(GHQ民間情報教育局提供)を掲載させた。日本の
この記事はミライトデザイン Advent Calendar 2024の4日目です。 3日目はブッチさんの「2024年 お世話になったAIサービス」という記事でした。 この頃海外のエンジニアの環境構築動画を見るのにハマっているため、Mapifyから試してみようと思います。 「ドキュメント読み込み機能が便利だった」にある公式ドキュメントベースで回答を生成してくれるのも便利ですね! はじめに コード管理スマートにしたい!カッコつけたい!😎 ⭐️愉快なつらみたち⭐️ GitHubリポジトリを用意するためにターミナルから離れるの...? あれ?ディレクトリどこにおいたっけ?? プロジェクトのディレクトリに移動するために長いパスを打つ苦行 プレフィックス多すぎておぼえられな〜い プロジェクトごとにコミットメッセージのプレフィックスが違う..だと..? 絵文字つけ忘れ&コミットメッセージ間違えちゃった
(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授) 現在、議論を呼び起こしている日本学術会議は、日本国が昭和や平成、令和という元号を使うことにも断固反対してきた。そのことをどれだけの人が知っているだろうか。 日本の科学技術の発展に励むべき学者たちの集まりが、なぜそんな政治的な、しかも日本国民多数の心情に反するような動きをとってきたのか? 現在の国会などでは、日本政府機関である同会議の会員候補6人の任命を政府が拒んだ理由を説明せよという主張が唱えられている。だが、そもそもこの機関がなんなのか、その実態の解明があってこその人事の議論であるべきだ。その点、この元号問題も、日本学術会議の実態を伝えるあまり語られない一面だといえよう。 今も生きている元号廃止の主張 日本学術会議は1950年(昭和25年)5月に、時の総理大臣あてに「天皇統治を端的にあらわした元号は民主国家にふさわしくな
サイクロトロンとは? 終戦直後、GHQ(General Headquarters:連合国最高司令官総司令部)は日本にあるさまざまなものを破壊しましたが、理化学研究所にあった「サイクロトロン(円形加速器)」もそのひとつです。 しかしこれは、GHQの無知といい加減さによる「暴挙」だったことが明らかになり、後に世界の科学者たちから非難されました。 事の経緯を追っていきます。 サイクロトロンとは、高周波電場と電磁石を使った荷電粒子加速器のことです。原子核物理学上の重要装置の一つでした。 原子核物理学は私たちの生活にも大きく関わる学問で、医療や農業、セキュリティなど幅広い分野で活用されていますが、1945年当時の日本にはサイクロトロンが複数台存在し、そのうち東京の理化学研究所にあったものは世界最大級のものでした。 これを製作した理化学研究所の仁科芳雄博士は、戦後サイクロトロンを使って放射性同位体を作
2022年6月16日、インターネット・エクスプローラーが終了する!! ノストラダムスはIE終了を予言していたんだよ!! な、なんだってー!? 日経新聞によれば国内では3月時点で約5割の企業がIEを使っているほか、特に公的機関のサイトでも対応が遅れている…。 俺たちはIE専用サイトを開けなくなってしまうのか。「そっ閉じ」以前にサイトが開けないなんて、どうすればいいんだよ、キバヤシ!! 俺にだって分からないことぐらい…ある…。 …ググったら分かった。俺たちはとんでもない考え違いをしていたんだ。Edgeの「IEモード」を使えばいいんだよ!! おい…待てよ…。何言ってんだよ、キバヤシ!! Edgeなのはいけないと思います!! さて、「インターネット・エクスプローラー」は必殺技のようであるが、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(ウギップ)もまた必殺技のようである。 ウギップという「こ
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米軍による広島への原爆投下で、米兵12人が死亡したと1948年に結論付けた連合国軍総司令部(GHQ)の捜査報告書が13日までに見つかった。作成者は米軍大尉で「原爆を投下した結果」と死亡理由を記述。日本の戦争犯罪を裁くため被爆した米兵への虐待の有無を調査し、捕虜だった12人について「残虐行為の証拠は得られなかった」として被爆死と断定した。専門家によると、米兵被爆死の総数が米側の公文書で確認されたのは初めて。 米国立公文書館所蔵文書の複写を共同通信が入手し、広島市立大広島平和研究所の永井均教授(日本近現代史)に分析を依頼した。広島で被爆した歴史研究家の森重昭氏(86)が遺族への調査に基づき、2008年の著書で12人と公表した独自調査が裏付けられた。 米政府は戦後長らく、原爆で米兵が犠牲になった事実を非公表としてきた。現職米大統領として被爆地を初訪問したオバマ氏が16年、広島市で行った演説で「1
GHQが戦後の議会改革を巡り、日本政府に勧告した文書。公の文書の郵便に関わる料金を無料化する特権が与えられるよう示されている=東京都千代田区で2022年6月17日 月末に当選して、在職1日で1カ月分の「第2の給与」100万円が丸々支給された――。こんな国会議員の実態が明らかになって注目された「文通費」だったが、参院選を前に閉会した通常国会で決まったのは結局、名称の変更や日割り支給とすること程度で、使途を巡る議論はひっそりと先送りされた。1947年に始まったこの制度、当初の構想は現在のような「定額の事前支給」ではなかったことが、社会構想大学院大学の北島純教授(政治過程論)の調査で判明した。根拠は、連合国軍総司令部(GHQ)が作成した一つの文書にある。なぜGHQが関係するのか。 国会議員の「第2の財布」 文通費の正式名称は「文書通信交通滞在費」。国会法で「公の書類を発送し及び公の性質を有する通
戦前・戦中の毎日新聞社 GHQが最初に焚書処分にした10冊のことを以前このブログで書いたが、そのうちの九点が毎日新聞社が発行した書籍であった。 前回の記事で書いた通り、戦前戦中に新聞社が発行した本のうちもっともGHQ焚書点数が多いのは朝日新聞社であるが、次に多いのは、意外に思われる方が多いと思うのだが、毎日新聞社なのである。(東京では「東京日日新聞」、大阪では「大阪毎日新聞」という新聞名を用いて社名もその名前を用いていたが、昭和十八年に東西両社を統合し「毎日新聞」と新聞名を改めている。) Wikipediaによると、毎日新聞の発行部数は、2020年には日本経済新聞に追い抜かれ、中日新聞にも抜かれたとあり、長期にわたり業績低迷中で今は存在感の乏しい新聞社なのだが、戦前・戦中に於いては朝日新聞社に次ぐ大手であり、当時の世界情勢などを解説する本を数多く出版していた。 なぜ日英同盟が破棄されたのか
歴史書と言っても、時代や地域によって、あるいは政治、経済、戦争、外交、文化、思想、宗教など様々な切り口で叙述されているものがある。今は出版不況のために、このようなテーマの本は、将来にわたり滅多に出版されないような内容の本が少なくなく、実際に覗いてみると結構面白い本がある。 今回は永松浅造 著『皇国海戦史 海ゆかば 』の一節を紹介したい。種子島に鉄砲が伝来した以降のことが記されているのだが、戦後の一般的な叙述とはかなり異なった内容になっている。 …喜望峰を廻って東洋に出てきたポルトガル船のうち、メンデス・ピントを船長とする黒船は、偶然のことから西暦1543年の8月、憧れのジパングすなわち日本にたどり着いた。それは、彼がインドのゴアからマラッカを経て支那の寧波(ニンポー)に赴く途中、海上で暴風雨にあって種子島に到着した時のことである。それが縁になって、彼はその後鹿児島や平戸や豊後などに来航し、
昭和14年刊『支那事変の前途は悲観か楽観か』 前回このカテゴリーで、GHQ焚書点数の最も多い野依秀市の軍部批判の論文を紹介したが、今回は野依の著作の中から、政権批判や大手マスコミ批判の論文を紹介したい。 最初に紹介するのは『支那事変の前途は悲観か楽観か』(GHQ焚書:昭和十四年刊)という本で、野依が新聞で発表した支那事変(日中戦争)に関する論説集である。野依は昭和十四年三月七日に発表した「英米の機嫌をとるべきか、それとも叩くべきか」という文の中で、支那事変の前途をかなり悲観的に見ている。 我々から見るならば、何としても、何としても、国内改革を思い切ってやらなければ、この所謂支那事変は乗り切れるものではないと堅く信じているのである。しかも近衛内閣に於いても、平沼内閣に於いても、それをやらぬところを拝見すると、結局、支那事変を軽く観ているからにほかならぬと察するのほかない。我々は毎度申す通りに
連載第1回『「江戸時代の日本人の識字率は世界イチ」という説は「嘘」だった…!882人調査から読み解く、日本の「知性格差」』 日本語が読めない大学生たち前回、日本人の大半は明治時代初期、つまりほんの数世代前までは読み書きができなかったことを資料によって確認した。読み書きの力や知的なものに触れる機会・能力はまったく平等ではなく、著しい格差があったのである。 しかし、それは明治時代の、しかも初頭の話ではある。戦後や現代ではどうだろうか? たしかに、近年は社会的な格差がよく話題になる。だが、そこで語られる「格差」の内容はほとんどが経済・金銭的なもので、文化的・知的な格差は見て見ぬふりをされている。 しかし、文化格差について研究を続けてきた社会学者が「日本社会は文化的には平等だ」という主張を「文化的平等神話」と切り捨てるように(※1)、経済以外でも重大な格差があることは、少なくとも専門家の間では知ら
”「体育座り」は悪影響が多い? 生徒から廃止求める意見、改めた学校も”という記事を受けて体育座りは戦後にGHQが日本人弱体化計画で導入したという話、言うなれば「体育座りGHQ起源説」の様なものがツイッターで流れてきたので、これを信じる輩はそこまではいないものの、しかしどうやら下記の様にグーグルのトレントを見てみると2020年近辺から「GHQ 体育座り」での検索数が増えているのでこの話が生まれた流れなどをメモ代わりに置いておきます。 それと本題に入る前に一応書いておきますが、そもそも体育座りの起源は上記記事にある様に1965年の学習指導要領によって浸透したというのがおそらく定説であり、GHQは関係ないです。 島根大大学院教育学研究科の久保研二准教授(39)=体育科教育学=によると、1965年に文部省(当時)が、学習指導要領の解説書として発行した「集団行動指導の手引き」で、「腰をおろして休む姿
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