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書評と歴史に関するquagmaのブックマーク (3)

  • 『朱子伝』 - Arisanのノート

    年末から正月にかけて読んで、あまりの面白さにびっくりした。 朱子伝 (平凡社ライブラリー) 作者: 三浦國雄出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2010/08/10メディア: 単行(ソフトカバー) クリック: 27回この商品を含むブログ (4件) を見る 大思想家とされる朱子だが、このでは、気が短く直情径行で寛容さに欠けていたり、言行不一致であったり、またそうかと思うと心を許した弟子には見っともないほどに愛着や弱音を吐露してしまうなどといった、矛盾と欠点に満ちた「人間朱子」の姿、そうした性格上の欠点をよく自覚していながら、それを十分に克服することも出来ないまま死んでいった一人の男の姿が浮き彫りにされている。 著者の深い敬意と愛情を込めて描き出された、生身の朱子像と呼ぶべきものである。 朱子の性格について、彼をよく知る人は、たとえば次のように諌めていたという。 友人であり、思想上の好き

    『朱子伝』 - Arisanのノート
  • 西川祐子『日記をつづるということ 国民教育装置とその逸脱』(吉川弘文館、2009年) - mahounofuefukiのメモ

    日記をつづるということ―国民教育装置とその逸脱 (ニューヒストリー近代日) 作者: 西川祐子出版社/メーカー: 吉川弘文館発売日: 2009/05/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 9回この商品を含むブログ (6件) を見る 何らかの歴史事象を分析するための歴史資料として日記は重く用いられるが、書は「日記を書く」あるいは「日記を読む」という行為そのものを分析対象としている。特に市販の日記帳の枠組を通して日記を書くことが国民教化(例えば家計簿と一体化した「主婦日記」が近代的なジェンダーロールの確立を促した)の機能を果たしたことを重視する一方、そうした制約がありながらも日記を書き続けることでそこからの逸脱も生じ得ることを明らかにしている。 書では史料としてよく用いられる政治家・官僚の日記は意識的に分析対象から外し、文学者の日記も「生活」に即した記述があるものに限り、その点で

    西川祐子『日記をつづるということ 国民教育装置とその逸脱』(吉川弘文館、2009年) - mahounofuefukiのメモ
    quagma
    quagma 2010/01/10
    mahounofuefuki氏、一年ぶりの更新。相変わらず鋭い。
  • 田川建三 『批判的主体の形成[増補改訂版]』・その1 - Arisanのノート

    ここ数日、このをぼちぼち読んでいる。 批判的主体の形成[増補改訂版] (洋泉社MC新書) 作者: 田川建三出版社/メーカー: 洋泉社発売日: 2009/11/06メディア: 新書購入: 1人 クリック: 43回この商品を含むブログ (10件) を見る 田川建三って、読んだことなかったけど、こういうことを言ってきた人なのか。 ここに収めてある文章は、もともとは70年代初頭に書かれたものらしいけど、今読んでもたいへん刺激的だったり、示唆に富んでいたりする。 「弱さ」への居直り たとえば、当時すでにメディアにもよく出て広く影響力のあったキリスト教徒の作家遠藤周作の思想に、正面から対決し批判した論考「弱者の論理」。 ともかく、世間一般に広く影響力を持っている思想を正面から批判するというのは、難しいけど大事なことである。 著者は、正しいことが何か分かっていてもそれを実行したり貫き通すことができない

    田川建三 『批判的主体の形成[増補改訂版]』・その1 - Arisanのノート
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