東京都砂川町(現立川市)にあった米軍立川基地をめぐる「砂川事件」で、米軍駐留を違憲とした一九五九年の東京地裁判決(伊達判決)直後に、当時のマッカーサー駐日米大使が藤山愛一郎外相と会談した内容の記録文書の詳細が八日、明らかになった。同事件の元被告らの情報公開請求に対し、外務省はこれまで「記録がない」としていたが、政権交代で従来の姿勢を転換し開示。判読作業を続けていた元被告らが東京都内で公表した。 マ大使が、伊達判決を日本の一般国民がどう受け止めたかや、翌六〇年に控えた日米安保条約改定への悪影響を心配していた様子が生々しく記録されている。しかし、二〇〇八年に米公文書で判明した判決破棄を狙ったとされるマ大使からの働き掛けには今回の文書は触れていなかった。 記録は「四月一日藤山大臣在京米大使会談録」と題する文書で三十四ページにわたる手書きの速記録。米軍立川基地内に踏み入ったとして逮捕・起訴された砂