ジラード事件(ジラードじけん)は、1957年(昭和32年)1月30日、群馬県群馬郡相馬村(現・榛東村)で在日米軍兵士・ウィリアム・S・ジラードが日本人主婦を射殺した事件。日本に裁判権がみとめられたが、のちに日米合同委員会で裁判権や刑罰について密約があったことが明らかとなった[1][2]。 経緯[編集] 当時の在日米軍群馬県相馬が原演習地(現・相馬原駐屯地)では、実弾射撃訓練が行われていた。演習地は立ち入り禁止措置がなされていたが、近隣住民は薬莢や発射された後の弾頭など金属類を拾って換金することを目的として、しばしば演習地内に立ち入っていた。 1957年(昭和32年)1月30日、薬莢を拾う事を目的に演習地内へ立ち入った日本人主婦(当時46歳)に対して、主婦の背後から第1騎兵師団第8連隊第2大隊のウィリアム・S・ジラード三等特技兵(当時21歳、イリノイ州オタワ(英語版)出身[3])がM1ガーラ