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ブックマーク / blog.livedoor.jp/guen555 (2)

  • 東人雑記:近代印刷の源流を訪ねて (3) - livedoor Blog(ブログ)

    セミナーの第一日は11月26日午後から始った。会場は上海豊田紡織廠記念館である。 だいぶ前から縁のあったここ旧豊田紡織廠は、外観が修復され昨年内部の展示ディスプレイが完了し記念館らしい姿になってきていた。 去年7月に訪れたとき、いずれこの場所をお借りして何かできるといいですねと、館長の池田さんに言ったことがこんな早くに実現するとは思ってもいなかった。 記念館にはすでに東華大学の張厚泉日語学部長、銭暁波副教授それと陳祖恩教授が到着していた。 日側は小宮山博史さんと奥様、韓国側から筑波技術大学劉賢国教授、中国側として専門的なテーマでの発表のために西安市の西北大学から孫明遠講師が来られた。 先ず、池田館長から歓迎の言葉と豊田紡織廠記念館の説明があり、続いて東華大学の張学部長の挨拶のあと最初の発表は陳教授。上海にいた日人の研究で知られる陳先生の話は、印刷分野の専門研究者には背景となる上海の人

  • 東人雑記:活版印刷の源流 上海美華書館 - livedoor Blog(ブログ)

    の活版印刷の源流が上海にあったことはあまり知られていない。 活字版印刷のわが国における歴史は、幕末時代にさかのぼる。長崎の通詞だった木昌造が、上海にいたアメリカ人宣教師で印刷技術者ギャンブルを招聘し、電胎法による金属活字の製法を修得したことに始まる。それが金属活字「明朝体」の発祥・普及につながっている。 当時、上海にアメリカ長老派教会の付属印刷部門としての美華書館があった。その印刷場ではキリスト教の布教を目的とする、聖書の中国語版を制作していた。その時、中国文字を金属活字にして印刷をする活版印刷が行われていた。木は、それを習得するためにギャンブルを長崎に招き4カ月の講習会を開いた。それが日における金属活字と活版印刷伝来の最初とされている。 後に、明治期を通してその技術は明朝体活字の普及と量産化をもたらす。明治の文明開化の流れに乗って、新聞を初め、様々な印刷情報媒体が活版印刷から生

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