番場さち子さんは、震災前から南相馬市原町区で学習塾を経営していた。原発事故発災後、当時の塾生が全員避難したこともあり、いったんは自身も県内の伊達市に避難したものの、4月に「番場先生に大学に入れてもらいたい」と帰ってきた1人の生徒を受け入れるために、南相馬に戻って塾を再開。 わずかながら避難しなかったり帰ってきたりした南相馬の子どもたちや母親、そして高齢者などの住民が共に学び憩う居場所をつくるために、高校時代の同級生と共に任意団体「ベテランママの会」を設立した。さまざまな偏見に苦しみながらも、現在南相馬に加えて東京の駒場にも拠点「番來舎」を構え、各界のオピニオンリーダーを招いて講演会などを開催している。 発災の当日、番場さんの塾には114名の生徒が在籍していた。塾のある区域には屋内退避の指示が出ており、外出時には長袖長ズボンにマスクをし、室内でも換気扇を回さないように、と勧告された。避難指示