1995年の初夏から秋にかけて、横浜の本牧埠頭の倉庫でアルバイトをしていた。当時、僕は法学部に通う大学生で、たまたま学生課の掲示板で目に留まったのが本牧の倉庫会社のアルバイトだった。時給は1000円。すでにバイトをしていたファミレスや蕎麦屋の時給が700円台だったので、何も考えずに飛びついた。家庭の事情でお金を稼ぐ必要があったからだ。もちろん、うまい話はないのは知っていた。時給の高さはハードなアルバイトの裏返しだと覚悟していた。どれだけ酷い仕事であっても「数か月耐えればいい」「無理なら逃げればいい」と割り切って面接に臨んだ。お金を目的にはじめたアルバイトだったけれども、あの1995年の夏は、お金には換えられない意味を持つ大切な時間になったのだ。 面接5分で採用決定。研修や教育はなし。「今から行ける?」と作業服を着た社員に車に乗せられ連れていかれた倉庫で「見よう見まねで覚えて」と言われて放り