好きなものを語りたくて、中学生当時、遊佐未森のCDと出会った思い出とか色々書いてみたものの、自分語り気持ち悪いからやっぱり全部消してしまった。 せっかくの出会いだと思って、ちょっと見てって。 ・代表曲「地図をください」 遊佐未森を知らない人でも、シュワルツェネッガーが青い空の下で赤い車を持ち上げてるカップヌードルのCMは知ってると思う。 あれで使われてたのが、遊佐未森の「地図をください」という楽曲。 しかも使われた部分がサビじゃなくてAメロという面白さ。 CMの雰囲気に合わせたんだと思うけど、あれはぜひ一曲通して聞いてほしい。 なんならそれだけで小旅行できちゃった気持ちになれるから。 好きだからっていう贔屓目もあるけど、今聞いても全く色褪せてないの本当にすごいと思う。 かく言う自分も、15年くらい遊佐未森という言葉を忘れていた。 子供が成長して、書斎を子供部屋に変えるということになったとき
JR東海道線保土ヶ谷の駅から南進し、相鉄線とJRに挟まれるかのような小高い丘を登っていくと、眼前に横浜港を見下ろす久保山墓地があるが、その一角に築かれた古墳のような塚が「横浜市大震火災横死者合葬之墓」である。 今からおよそ100年近く前の大正12年(1923年)9月1日11時58分、関東地方を襲った関東大震災はちょうど昼頃でもあったことから各地で火事を出し、関東の街という街を崩壊させ灰燼に帰させたことは誰もが知るところであろう。 もちろん、多くの日本人が犠牲となったのだが当時日本に多く住んでいた朝鮮人にとっても受難の日であった。朝鮮人が井戸に毒を投げた、火事場泥棒を働いた、などの噂話が出回り、各自で「自警団」が組織されて、朝鮮人を見つけ次第ことごとく縛り上げられてなぶり殺しにされたという。 横浜市震災誌第5冊にある西川春海の文章「遭難とその前後」には、以下のように詳述されている。 けさもや
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