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批評に関するtxmx5のブックマーク (504)

  • 須藤にわかさんの私に対する反論記事が、映画史的に非常におかしい件について - Commentarius Saevus

    先日アップされた私が『ダーティハリー』を批評したこちらの太田出版のエントリについて、須藤にわかさんという方が反論をしていました。 ohtabookstand.com note.com 簡単に説明すると、須藤にわかさんは私がアメリカンニューシネマ(1960年代末から70年代頃のハリウッド映画の新しい潮流をざっくり指す言葉)について嘘ばかり言っているとおっしゃっておられます。須藤さんがアメリカンニューシネマがお好きなのはわかりますが、これはまったく歴史的な経緯をふまえていない議論です。むしろ須藤さんのエントリのほうが、現在の映画批評で言われていることに比べるとだいぶ違うので、アメリカンニューシネマあるいはNew Hollywood(上記記事で触れているように、これは日語と英語では微妙にズレた意味で使われることもあると思いますが)について大きな誤解を招く可能性があると思います。私は基的に、先

    須藤にわかさんの私に対する反論記事が、映画史的に非常におかしい件について - Commentarius Saevus
  • 東浩紀伝

    東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。 私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書

    東浩紀伝
  • はっきり好きではないと思った~『関心領域』(試写) - Commentarius Saevus

    ジョナサン・グレイザー監督『関心領域 The Zone of Interest』を試写で見た。 www.youtube.com アウシュヴィッツの所長だったルドルフ(クリスティアン・フリーデル)とヘートヴィヒ(サンドラ・ヒュラー)のヘス夫を描いた作品である。アウシュヴィッツ収容所内では連日残虐行為が行われているのだが、ヘス夫はのどかで立派な田舎家に住んでおり、ヘートヴィヒは理想的な家庭を築くべく努力している。ルドルフがオラニエンブルクに転勤した際も、ヘートヴィヒはアウシュヴィッツで子どもを育てたいと言って無理矢理留まろうとするほどである。 全体的にホラーみたいな怖い映画で、評価が高いのはよくわかるし何をやりたいかも完全に理解できるのだが、私の個人的な趣味でははっきりと全然好きになれない映画だった。コンセプトを立ててをそれを実現するという点では極めてうまくやっているのだが、良いと思うかと

    はっきり好きではないと思った~『関心領域』(試写) - Commentarius Saevus
  • 濱口竜介監督「悪は存在しない」の不気味な単純さ 蓮實重彦さん寄稿:朝日新聞デジタル

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    濱口竜介監督「悪は存在しない」の不気味な単純さ 蓮實重彦さん寄稿:朝日新聞デジタル
  • 新年度向け!美術必読リスト|みなみしま

    当は必読なんてはないけど、以下は手始めに気にしておくと良いかもってです。(順不同) 2024年4月24日から始まるアートの新番組「みなみしまの芸術時評」内で、100冊から選出したベストブック10を発表しますので、まずはどこから読めばいいか分からない方は、ぜひご視聴ください。 なお100冊のリストについては過去の視聴者の特典とさせていただいていましたが、もし気で100冊読むという意欲のある方はご連絡ください。 松井みどり『アート:“芸術”が終わった後の“アート”』 山浩貴『現代美術史 欧米、日トランスナショナル』 →ぱっと読んで自分と関係のある現代アートの歴史を知ろう。そして気になるものは調べ始めよう。 デイヴィッド・ホックニー『絵画の歴史』 →作家の語る美術史というジャンルがあるんです!たぶん エルンスト・H・ゴンブリッチ『棒馬考』、『美術の物語』 →『棒馬考』が面白いよ。

    新年度向け!美術必読リスト|みなみしま
  • 『パラサイト』はなぜ社会的不平等を描いた映画ではないのか/D・グレーバー&N・ドゥブロフスキー

    『パラサイト』はなぜ社会的不平等を描いた映画ではないのか ──神の建築とクレイジーキルト デヴィッド・グレーバー&ニカ・ドゥブロフスキー (片岡大右訳) 『パラサイト 半地下の家族』Blu-ray&DVD発売中/発売・販売元:バップ Ⓒ2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED 批判、構造、希望──訳者まえがき 以下に読まれるのは、デヴィッド・グレーバーとニカ・ドゥブロフスキーによる映画『パラサイト』(ポン・ジュノ監督、2019年)のレヴューの日語訳である。段落分けは訳者と編集部の判断で原文よりも増やしている。タイトル(原文は無題)と見出しは訳者による。 ニューヨークを拠点とする文芸誌『n+1』への寄稿として執筆された稿は、コロナ禍の余波で掲載の目処が立たないために、著者らによって「みんなの人類学」のページ中に、P

    『パラサイト』はなぜ社会的不平等を描いた映画ではないのか/D・グレーバー&N・ドゥブロフスキー
  • 日本精神分析再考(講演)(2008) - 柄谷行人

    今日、私が「日ラカン協会」に招かれたのは、かつて「日精神分析」という論文の中でラカンに言及したからだと思います。そこで私は、ラカンが日について、特に、漢字の訓読みの問題について述べたことを引用しました。今日、それについて話すつもりなのですが、その前に少し経緯を説明させていただきます。「日精神分析」という論文は一九九一年頃に書いたもので、「柄谷行人集第4巻」(岩波書店)に収録されています。これは『日精神分析』(講談社学術文庫)と題するとは別のものです。後者は2002年に書いたもので、この時点では、前に書いたものに嫌気がさした、というようなことを述べています。かつて「日精神分析」を書いたとき、自分は日人論、日文化論を否定するつもりで書いたけど、結局その中に入るものでしかなかった、と。実際、それ以後、私は「日論」について一切書いていません。だから、現在の気分としては、読み返す

  • ポールがイケメンすぎるのが悪いと思うんだ~『デューン 砂の惑星 PART2』(ネタバレあり) - Commentarius Saevus

    『デューン 砂の惑星 PART2』を見た。当然第一部の続編である。 www.youtube.com 父親を殺されたポール(ティモシー・シャラメ)は砂漠の民フレメンのもとで修業して砂漠の民らしい戦い方を身につけ、ハルコンネン家と戦って次第に支持を広げるようになる。スティルガー(ハビエル・バルデム)をはじめとする一派はポールが予言された救世主だと信じるようになり、ポールの母ジェシカ(レイチェル・ファーガソン)もフレメンの教母となってその予言を人に信じさせようとする。最初は救世主扱いに抗っていたポールだったが、やがてその役目を引き受けるようになり、ポールを愛するチャニ(ゼンデイヤ)はその姿に複雑な感情を抱くようになる。 アクションとか戦闘なども含めて1作目よりもメリハリがあり、宮廷陰謀劇のところも達者な役者陣が活躍していてたるんだところがない。皇女イルーラン(フローレンス・ピュー)が帝国の噂や起

    ポールがイケメンすぎるのが悪いと思うんだ~『デューン 砂の惑星 PART2』(ネタバレあり) - Commentarius Saevus
  • OUTSIDE IN TOKYO / タル・ベーラ 『ヴェルクマイスター・ハーモニー』レビュー

    新作『倫敦から来た男』が公開中のハンガリーの鬼才タル・ベーラ監督の2000年公開作品『ヴェルクマイスター・ハーモニー』が現在シアター・イメージフォーラムでレイトショー上映されているのを皆さんはご存知だろうか?ここで、声高にこの映画を皆さんにお薦めしようという意図でこの文章を書いているわけではない。むしろ、簡単にはお薦めできないという気持ちで書いている。 夜6時半からの上映に間に合わせる為に、私は、仕事を早々に切り上げ、ワンメーターの距離をタクシーで移動し、上映時間ギリギリに映画館に駆け込んだ。案の定、客の入りはまばらで館内の3/1が埋まっている程度。それでも旧作の平日レイトショー上映にしては充分の入りに思えた。上映後では忘れてしまうと思い、入りしなにパンフを購入、シルバーにメタリックな光沢を放つ装丁がスーパークール。 映画は、夜の10時、閉店間際の居酒屋に主人公の青年ヤーノシュがやってきて

  • 映画『哀れなるものたち』を考察する(1) 人間の愚かさを描く天才、ランティモスの新境地。 | Culture | Safari Online

    映画的知名度の低かったギリシャで“奇妙な波”と呼ばれた映画ムーブメントを牽引し、2015年の『ロブスター』で英語圏にも進出、いまや世界的映画監督となったヨルゴス・ランティモス。独特の奇妙にねじくれた世界観で映画ファンを幻惑し、かつ魅了してきた異才である。 ランティモスの作風にはいくつもの際立った特徴があるが、一貫して感じるのは人間に対する懐疑的な視線である。もっと平たくいえば、彼の映画からは「人間とは幼稚な生き物である」という、いささか極端でミもフタもない人生哲学が感じられるのだ。 ランティモス作品の登場人物たちはたいてい、閉鎖的な環境にとらわれて、精神的な成長を押し止められている。『籠の中の乙女』(2009年)の子供たちは外の世界は危険だからと自宅の中だけで育てされ、『ロブスター』(2015年)の大人たちは子孫を残すことを強いられ、伴侶を見つけられなければ動物に変えられる施設に入れられる

    映画『哀れなるものたち』を考察する(1) 人間の愚かさを描く天才、ランティモスの新境地。 | Culture | Safari Online
  • ある種のハグスプロイテーション映画~『ボーはおそれている』(試写) - Commentarius Saevus

    アリ・アスター監督の新作『ボーはおそれている』を試写で見た。 www.youtube.com ボー(ホアキン・フェニックス)は母モナ(パティ・ルポーン)のところに帰省するつもりだったが、寝坊した上に自宅の鍵を盗まれて飛行機に乗れなくなる。その後受け取った母が異常死したという知らせに動転したボーは、いろいろあって事故にあってしまう。大けがをしたボーは医者一家の家で目覚めるが… 全体的にこれまでのアリ・アスター映画とは大きく異なり、ジャンル映画ではない…というか、精神分析みたいないかにもアートハウスっぽい映画である。何に似ているかというと、どっちかというとホラー映画よりはフェリーニの『8 1/2』みたいな、個人的体験をシュールに再構成して換骨奪胎した作品に似ている。笑えるところはけっこうあるし、ホアキン・フェニックスの演技は良いのだが、とにかく長いし、要らないところがけっこうある映画だと思った

    ある種のハグスプロイテーション映画~『ボーはおそれている』(試写) - Commentarius Saevus
  • 『ボーはおそれている』 聖母の息子は童貞|うまみゃんタイムズ

    アリ・アスター映画におおむね共通するテーマは、精神疾患と機能不全家族ルーツだ。出世作『ヘレディタリー/継承』にしても世代間の悲しみの継承が主題にされている。キャリア史上もっともよくわからないと評判の『ボーはおそれている』にしても、このあたりは明示的だ。 ボーはいちじるしく成長を阻害された男だ。彼の心のなかには、未解決のものや理解できていないことがたくさん転がっている。不安に苛まれて塞ぎ込んでいて宙ぶらりんな、基的に思春期のような状態(アリ・アスター) 北米版プロダクションノート 成長を止められた男であるボーは、親に植えつけられた罪悪感を抱えながら自己決定を回避していく典型的なアダルトチルドレン像。監督が指摘したように、彼の描写で重要なのは、意図的に持参しなかったフロスをあとになって必須の忘れ物かのように扱いはじめたことである……おそらく当は母親に会いたくないが、言動を否定されつづけたト

    『ボーはおそれている』 聖母の息子は童貞|うまみゃんタイムズ
  • 「男になれない」男とユダヤ的ユーモア。映画『ボーはおそれている』レビュー(評:藤田直哉)

    強い父が不在のエディプス・コンプレックスフロイトの精神分析的な主体化の構図が現在では変わってしまっていることを寓意的に描く神経症コメディであり、おそらくはユダヤ民族の歴史と深く関わる寓話であろう。 フロイトの図式では、男の子は母を独占する父と対決し、象徴的に殺すことで一人前の大人として主体化する、とされてきた。その過程で、男の子は、父からの近親相姦の禁止を内面化し、法や倫理の命令の源泉として個人の中に「超自我」が形成されるとした。そこには、母親との近親相姦の欲望と、それへの懲罰としての去勢という脅迫が関わっている。これらが複合した葛藤を「エディプス・コンプレックス」と呼ぶが、作は、まさにそのようなコンプレックスを映像化したような作品である。ただし、もはや強い父はおらず、強大な母がおり、息子も反抗や対立もしない(現代人も、そうなってきているように)。

    「男になれない」男とユダヤ的ユーモア。映画『ボーはおそれている』レビュー(評:藤田直哉)
  • 松村北斗が表現する“普通の青年”の凄さ “何も起きない”『夜明けのすべて』が提示したもの

    瀬尾まいこの同名小説を原作にして、PMS(月経前症候群)を抱える藤沢さん(上白石萌音)とパニック障害を抱える山添くん(松村北斗)の、決して劇的ではないささやかな日常を切り取った『夜明けのすべて』。終始おだやかな空気に包まれた作のなかで、とても印象に残る、強く惹かれたシーンがある。 それは映画が始まって30分も経たないぐらいの頃、山添くんが恋人の千尋(芋生悠)に付き添われて心療内科でカウンセリングを受けた帰りの駅のホームでのシーン。これは確か原作にはない描写だったはずだ。病院帰りであろうがなかろうが、“電車に乗る”という行為は多くの人にとってなんてことのない日常かもしれないが、パニック障害の山添くんにとってはそうではない。それは2015年に山添くんと同じようにパニック障害と診断された筆者は身をもって知っている。 劇中では心療内科のシーンから駅のホームに画面が切り替わり、山添くんと千尋の後ろ

    松村北斗が表現する“普通の青年”の凄さ “何も起きない”『夜明けのすべて』が提示したもの
  • 東浩紀さん、大ヒット著書「訂正する力」の源は…「僕は本が読めれば、それで十分、幸せなんです」 - スポーツ報知

    新書「訂正する力」(朝日新聞出版)が好調だ。1万部売れたらヒットの今の出版界で昨年10月末の発売以降、6万部突破という驚異的な売れ行きを見せている。著者は批評家・東浩紀さん(52)で、哲学の専門家でもある。討論番組などでも知られた論客だが、聞いてみると、30年間活動していてスポーツ新聞のロングインタビューは「初めて」とのこと。難解な話は抜きにして一体どんな素顔の持ち主なのでしょうか。「時の人」に会いに行ってきました。(内野 小百美) 優しい目をした人だ。映像で時折見せる舌鋒(ぜっぽう)鋭いやり取り。普段から“ピリピリの人”だったらどうしよう…。こちらから取材を申し込んでおきながら一抹の不安。しかし心配は杞憂(きゆう)で、どこか「くまのプーさん」を思わせるほんわかした印象。受け答えも柔和そのもの。「スポーツ紙の取材は今までなかったので珍しいなと思って」。話題の「訂正する力」が、これまでの読者

    東浩紀さん、大ヒット著書「訂正する力」の源は…「僕は本が読めれば、それで十分、幸せなんです」 - スポーツ報知
  • 『牯嶺街少年殺人事件』完璧に構築された世界における「埋めきれない空白」 ※注!ネタバレ含みます。|CINEMORE(シネモア)

    記事は物語の結末に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。 『牯嶺街少年殺人事件』あらすじ 1960年代初頭の台北。建国中学昼間部の受験に失敗して夜間部に通う小四(シャオスー)は不良グループ”小公園”に属する王茂(ワンマオ)や飛機(フェイジー)らといつもつるんでいた。小四はある日、怪我をした小明(シャオミン)という少女と保健室で知り合う。彼女は小公園のボス、ハニーの女で、ハニーは対立するグループ”217”のボスと、小明を奪いあい、相手を殺して姿を消していた。ハニーの不在で統制力を失った小公園は、今では中山堂を管理する父親の権力を笠に着た滑頭(ホアトウ)が幅を利かせている。小明への淡い恋心を抱く小四だったが、ハニーが突然戻ってきたことをきっかけにグループ同士の対立は激しさを増し、小四たちを巻き込んでいく…。 オムニバス映画『光陰的故事』(82)の一編「指望」でのデビ

    『牯嶺街少年殺人事件』完璧に構築された世界における「埋めきれない空白」 ※注!ネタバレ含みます。|CINEMORE(シネモア)
  • 「どの口が何言うかが肝心」――日本語ラップの「メッセージ」と「主体」 - あしたメディア by BIGLOBE

    ヒップホップは、日語ラップはこの社会に対して、なにを歌ってきたのだろうか。あるいは、日語ラップは日社会においていかなる位置を占めているのだろうか。アメリカで、ヒップホップと社会が強い結び付きを得たのは一般に、伝説的な1曲とされるGrandmaster Flash and the Furious Five「The Message」(1982)の瞬間であるとされる。ヒップホップは社会に対して「メッセージ」を持つべきだ、というような考えは、ひとまずここに遡(さかのぼ)ることができる。そしてそれは、日にヒップホップが輸入されたときから意識されていた。というのは、日初のヒップホップアルバムと呼ばれる、いとうせいこう『MESS/AGE』(1989)のタイトルを見れば明らかだ。先の1曲のタイトルのなかにスラッシュを差し挟むことで、新たな意味(メッセージ=混乱した世代)を作り出しているのだ。つま

    「どの口が何言うかが肝心」――日本語ラップの「メッセージ」と「主体」 - あしたメディア by BIGLOBE
  • 漫画(VTuber)研究者の読む『青春ヘラ』Vol.7「VTuber新時代」~その②~ - izumino’s note

    どうも、漫画研究者としては『ユリイカ』の2008年6月号にて商業デビューし(初期は「イズミ」名義)、後に『ユリイカ』の2018年7月号でVTuber論が掲載されることにもなった、泉信行と申します。 参考:2015年時点までの発表まとめ(PDF) izumino.hatenablog.com 前回から取り上げている同人誌、『青春ヘラ』Vol.7「VTuber新時代」ですが、自分は21日の東京のイベントではなく関西のイベントでフライング気味に購入できていましたので、内容の評価の公開はしばらく控えることにしていました。 イベント後も5月24日発送予定の通販が全国区の入手チャンスとして残っていますが、全3回の予定でエントリ化を始めています。 前置き これらのエントリの草稿としているのは、あくまで「研究目的のメモ」であり、建設的な批判検討が主になっています。 なので、取り上げない記事もありますし、面

    漫画(VTuber)研究者の読む『青春ヘラ』Vol.7「VTuber新時代」~その②~ - izumino’s note
  • 漫画(VTuber)研究者の読む『青春ヘラ』Vol.7「VTuber新時代」~その①~ - izumino’s note

    漫画VTuber)研究者の読む『青春ヘラ』Vol.7「VTuber新時代」~その①~ 漫画VTuber)研究者の読む『青春ヘラ』Vol.7「VTuber新時代」~その②~ - izumino’s note 漫画VTuber)研究者の読む『青春ヘラ』Vol.7「VTuber新時代」~その③~ - izumino’s note どうも、漫画研究者としては『ユリイカ』の2008年6月号が商業デビュー(初期は「イズミ」名義)であり、後に『ユリイカ』の2018年7月号でVTuber論を掲載していただいております、泉信行と申します。 参考:2015年時点までの発表まとめ(PDF) 今回取り上げる『青春ヘラ』Vol.7「VTuber新時代」という同人誌は、昨日(21日)の文学フリマ東京よりも3週早く、大阪大学の大学祭でも頒布されており、関西住みの自分はそちらで先に入手しておりました。 【新刊告知】

    漫画(VTuber)研究者の読む『青春ヘラ』Vol.7「VTuber新時代」~その①~ - izumino’s note
  • 『TAR/ター』芸術に神はいない|うまみゃんタイムズ

    芸術の価値を揺らがせる「アンチ・キャンセルカルチャー」として政治的物議を醸した問題作。しかし、主人公の指揮者設定はスタジオ側の提案で、元々ビジネスパーソン設定だったという。脚執筆も10年前だから、SNS告発などは時事ネタとして付与されたかたち。トッド・フィールド監督が言うように、グローバル企業を舞台にしても通じる話だろう。 ※以下ネタバレ 中年の危機 主人公ターは「作家主義」的なベルリンフィル初の女性指揮者で、レナード・バーンスタインやクラウディオ・アバドのようなレガシーを志向している。一方、さまざまな障害を乗り越えてきたであろう属性ながら性差別まわりの議論は好んでいなそうで、講演会では先人の女性指揮者アントニア・ブリコを「見せもの='dog act'にされた残念な例」と言ってのける。その高慢な人物像は、演者のケイト・ブランシェットがうまく言い表している。 「ターは、自分が(性差別の)例

    『TAR/ター』芸術に神はいない|うまみゃんタイムズ