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2010年6月27日のブックマーク (2件)

  • みんなが主観的であれば全体として客観的になる - モジログ

    1人1人が思い切り主観的であっても、それがたくさん集まれば、全体としての多様性によって客観性を確保できる。全体として多様性があれば、どれがいい意見なのかをみんなが「眺められる」ので、いい意見が勝ち残りやすい。 いっぽう日のように、1人1人が主観をあまり出さず、場にあわせよう、「空気」を読もうと考えていると、いったん有力化した意見に全員が「飛び乗る」ことになる。これだと、全体の意見が「初期状態」に強く左右されてしまい、多様性の中からいい意見が選ばれていくという「競争」のプロセスを経ずに、たまたま支配的になった意見がそのまま勝ち残ることになる。 つまり、1人1人が客観的であろうとするあまり消極的になってしまうと、むしろ全体としての多様性が失われ、客観的でなくなるのだ。重要な意思決定においてこれが起きてしまうと、危険ですらある。 関連エントリ: 自由とは「多様性を許容する設計」である http

  • 悩まない。悩んでいる暇があれば考える - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Leica M7, 90mm Tele-Elmarit F2.8, PN400N @Santa Monica, CA これはだいぶ以前からの僕の仕事上の信念。 kaz_atakaの教えの1(イチ)と呼んでいる。 多くの人は悩むことに時間を使いすぎている。そして悩んだことを仕事をしたと思ってしまう。でもこれは僕は大きな無駄だと思っている。 考えることと、悩むことは違う。全く違う。僕はそう思っているのだが、なかなか分かってもらえない。 僕が一緒に働く若い人にいつも言っているのは大体こういうこと。 「悩んでいると気付いたら、すぐに休め」 「10分以上(君のbrilliantな頭で)真剣に考えても埒(らち)が明かないときは、もう考える筋がないのだから、そのことについて考えるのは一度やめたほうが良い。それはもう悩んでいる可能性が高い」 「悩んでいるかどうかも分からないのであれば、もう悩んでいる可能性

    悩まない。悩んでいる暇があれば考える - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
    yam1226
    yam1226 2010/06/27
    特に仕事(研究を含む)において、悩むというのはばかげたことだ。仕事は何かを生み出すためにあるものであり、変化を生まないと分かっている活動に時間を使うのはばかげている。