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ブックマーク / gnabikes.hatenablog.com (10)

  • 蓮實重彦『表層批評宣言』 - sekibang 1.0

    表層批評宣言 (ちくま文庫)posted with amazlet at 09.07.13蓮實 重彦 筑摩書房 売り上げランキング: 19788 Amazon.co.jp で詳細を見る 大江健三郎と丸谷才一を激怒させた*1という蓮實重彦の『表層批評宣言』を、「最近読んだのなかでも最も難しいであるなぁ……」と思いながら読む。ワンセンテンスの異常な長さ(ワンセンテンスが一ページというのがザラにある)は、衒学的、というよりも迷宮的で、読んでいるうちに「あれ、この文章、もともと何の説明だったっけ?」と迷子になるから困った。収録された五編の文章のうち「なんとなく意味が分かったような気になるもの」がひとつぐらいしかない。 その「ひとつ」が最初に収録されている「言葉の夢と『批評』」であった。「宣言」というぐらいなのだから、ひとつぐらいは「『表層批評』とは、こういうものである」と教えてくれる文章があっ

  • 斎藤環『心理学化する社会――癒したいのは「トラウマ」か「脳」か』 - 「石版!」

    心理学化する社会 (河出文庫) (河出文庫)posted with amazlet at 09.04.13斎藤 環 河出書房新社 売り上げランキング: 44260 Amazon.co.jp で詳細を見る このところ、学生時代に講義やゼミの発表で参照されていた(が、当時は買えなかったり、後回しにし続けてきた)が続々と文庫化されている。で、ついつい読むペースを考えずに購入してしまいがちである。こういうのはほとんど「こどもの頃買えなかったおもちゃを大人になってから集めてしまう」ような現象に近いのではなかろうか。まぁとにかく、追っていくのが大変だ。 今回もそういう類のではあったのだが、このタイミングで初めて斎藤環の著作に触れようと思ったのは、なにより「斎藤環-茂木健一郎の往復書簡」*1が先日連載終了が宣言されたことである(茂木健一郎の往信が一切ないままに)。これがあったから、私は最近茂木健一郎

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  • ユーロ安なのでシュトックハウゼンのCDを安く買おう - sekibang 1.0

    諸般の事情により、国内大手レコード・ショップでは一枚6000円弱という「ここだけインフレか!」という異常な値段で売っているカールハインツ・シュトックハウゼンのCD。ただこれもシュトックハウゼン一家が家族経営している(らしい)「シュトックハウゼン出版局」から直接オーダーすると、豪華ブックレット付きのものが25ユーロ、普通のものは19ユーロ……で買えてしまう。CDは関税がないらしいし、ユーロがえっらい安くなっているのでこれはチャンス、私もシュトックハウゼン出版局に注文してみよう!と思い立ちました。この際ですので「共同購入」を当ブログで募ります。興味がある、と言う方がいらっしゃいましたら当ブログのプロフィールのページに公開しているメールアドレスまでご連絡ください。 ちなみにシュトックハウゼン出版局のカタログはこちら。 http://www.stockhausen.org/cd_catalog.h

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  • 昨日のアドルノの続き - sekibang 1.0

    どのような音楽分析も直面する困難は、つぎの点にある。解体を進め、最小の細部を引き合いに出せばだすほど、ますますただたんなる音にすぎないものへと近づき、すべての音楽はただたんなる音の寄せ集めにすぎなくなる。 楽譜上の音符の羅列もまた、単数として数えられるものである。それが読まれ、解釈され、演奏され、音になって聴衆の耳に届いたとき多義性は生じる。どのような作曲家を例にあげてもよい。例えば、シューベルトの歌曲であれば「死の予感」であるとか、「恋愛悲劇のよう」であるとか、様々な意味で解釈されてきた。それがマーラーであれば「死の恐怖」であるとか「憂」であるとか、最近では「ポストモダンのさきがけ」という風にとられている。 このように、読まれるものから聴かれるものを経由して、再び読まれるものへと目を向けたとき、音符の羅列はどのような変化を見せるのか。やはり、音符の単数性はゆるぎなく存在していることは確

    yomayoma
    yomayoma 2007/09/29
    即物的な「音楽自体」、その構造分析(あるいは構築)。「読む」という行為、批評の可能。翻訳は翻訳。→「聴く」に潜む何か
  • ジェントル・ジャイアント動画集 - sekibang 1.0

    70年代イギリスのロック・バンド、ジェントル・ジャイアントのライヴ動画。以前にもまとめて紹介しましたが、新しい動画がアップされていたことをお知らせします(以前のものは多くがリンク切れ)。音質も画質も以前にアップされていたものとは段違いで良い。最高です。 ジェントル・ジャイアント(Youtube) これなんかバトルズみたいだもんなー。すげー。

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  • 《着想》と《遊戯》 - sekibang 1.0

    シューマン:交響曲全集 アーティスト: バレンボイム(ダニエル),シューマン,ベルリン・シュターツカペレ出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン発売日: 2004/02/18メディア: CDこの商品を含むブログ (4件) を見る 「シューマンには構成力がない」とよく言われる。「シューマンはキチガイだったからこんな曲しか書けなかったのだ」と言う人もいる(梅毒で脳をやられ、ライン川に投身自殺を図った、というのは事実だ)。そんな風に言われてしまうと「そう聞こえてしまう」のが音楽の不思議なところで、彼が残した交響曲の「唐突さ」(例えば、交響曲の終盤でそれまで全く登場しなかった新しい主題が出てきたりする。音楽の雰囲気もめまぐるしく変化する。京劇のように表情が変化していく)などは「シューマン=キチガイ」説はもっともらしいものに思えてくる。確かにベートーヴェンやブラームスはこんな書き方はしなか

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    yomayoma
    yomayoma 2007/09/08
    ヒント。「今」と対照したい。
  • 音楽の混ざり物 - sekibang 1.0

    「プログレ歌謡」、「テクノ歌謡」、「AOR歌謡」……歌謡に色々あるけれど、そもそも「歌謡曲」というジャンルははじまりから「混ざり物」的要素があるのだから、そこにプログレが入ろうが、テクノが入ろうが、AORが入ろうが、実のところ取り立てて騒ぐ必要など無かったのかもしれません。舶来モノの音楽への日的な要素の混合によって「歌謡曲」が生まれたのだとしたら(実証性がない印象論ですが、特にシャンソンの影響は濃いように聞こえます)、むしろプログレやテクノやAORを取り入れていくのはごく自然な流れだったのではないでしょうか。むしろ、我々は現代に何故「ポストロック歌謡」や「エレクトロニ歌謡」、あるいは「ヒップホップ歌YO」が存在しないのかを問わなければならない気さえします。 厳密に言えば「J−POP」という大きなくくりで呼ばれる音楽には、そういった混ざりモノ感が色濃く残っています。例えば、エイベックス・ト

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  • Th.W.アドルノ『新音楽の哲学』 - sekibang 1.0

    音楽の哲学 作者: Th.W.アドルノ,Theodor Wiesengrund Adorno,龍村あや子出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2007/07/01メディア: 単行 クリック: 10回この商品を含むブログ (16件) を見る 読み終えたので、改めての紹介から。1949年に発表されたこの『新音楽の哲学』は、アーノルト・シェーンベルクとイーゴリ・ストラヴィンスキーという20世紀を代表する二人の作曲家を鮮やかに対比し、二人の音楽を媒介とすることによって、社会学・哲学・心理学……etcを語ろうという音楽論である。タイトルに用いられている「新音楽」という言葉、こちらはドイツ語では「neuen Musik」となっており「現代音楽」という風にも訳せる(そして、日語の音楽的なタームとしての「現代音楽」と「neuen Musik」とでは意味的にも一致する。またその意味の曖昧さにおいても)

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  • ひたむきさとピュアネス - sekibang 1.0

    音の城/音の海 アーティスト: 音遊びの会出版社/メーカー: インディーズ・メーカー発売日: 2006/11/11メディア: CD クリック: 2回この商品を含むブログ (13件) を見る 先日の大友良英のライヴ会場にでていたdoubtmusic物販コーナーで、以前少し触れた*1「大友が参加した知的障害者とのワークショップ」の模様を収録したCDを購入した。ユリイカの特集で大友自信が語っていたとおり、これはかなりすごい。こんなに純粋な音がスピーカーから跳ねてくるような音源は聴いたことが無い。 まず、参加しているこどもたちが演奏する楽器から「訓練されていない音」が聴こえる、それだけでもこのCDが一般的な・商業的な・音楽のものと比べると「異様」であることを示している。この異なりは決して悪い意味ではない。作為的な“トイ・ポップ”やタモリの「やってる風即興ピアノ(これはこれで大好きな芸なのだが)」な

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  • 「石版!」 - 自分だけの音を!——様々な自作楽器について

    「“自分だけのスタイル”を確立すること。それがあれば少なくとも10年はべていける」ということを書いていたのは、村上春樹だったと思います。小説の世界を眺めてみれば、たしかに有名な作家というのはちゃんと「自分のスタイル」を確立してモノを書いていることが確認できます(もちろん毎回手を変え品を変え……というタイプの作家もいるわけですが)。もし、誰かが小説家になりたいと思ったら、ストーリーを考えることよりも、むしろ「自分だけの言葉」、「自分だけのイディオム」を見つけることがデビューへの近道なのかもしれません。 これは小説というジャンルに限らず、音楽でも同じようなことが言えるでしょう。しかし、音楽において「自分のイディオム」を身に付けることは、小説の世界よりも難しいことのように思われます。音楽音楽たらしめるための規約には、和声法、対位法、器楽法……といった様々なものがあり、単純に数的なものから考え

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