阪神・淡路大震災のことは、ずっと話したくなかった。胸が苦しくなるから。泣いてしまうから。両親を亡くしたのは7歳のとき。自分を「世界一、不幸」だと思ったこともある。でも、今なら話せる。伝えたい、と思う。(中島摩子) 前田健太さん(36)=滋賀県草津市=は当時、兵庫県西宮市立北夙川小の1年生だった。会社員の父隆さん=当時(55)、母昌子さん=同(43)、高校2年の兄と同市石刎(いしばね)町の文化住宅に住んでいた。 激しい揺れの後、2階にいた健太さんと兄は救助されたが、1階にいた両親の姿がない。「パパー」「ママー」。がれきに向かって叫んでも返事はない。 毛布をかけられた2人が、畳に乗せられ、運び出された。顔は隠れていたが、兄が母のパジャマだと気付く。近くにいた女性に「お父さんとお母さんよ」と言われ、めちゃくちゃ泣いた。 ずっと見ていなかった母の顔を見たのは、火葬の直前だ。おでこが少しへこんでいた