タグ

倫理に関するyomimonoyaのブックマーク (94)

  • 哲学対話とマジョリティについて - はれ ときどき てつがく

    いつからか、「自分には見えないものがたくさんある」と思うようになった。 例えば差別を受けてきた人や、様々な困難とともにある人から聞く体験が、表面上は理解できても、リアルに感じられないことがある。自分の何気ない発言が、知らずのうちに誰かを傷つけてしまうことがある。様々な話し合いの場に参加するなかで、自分には全く見落としてしまっていたり、存在すら感じられないものがある、ということに徐々に気づいてきた。 はじめはこれらの「見えなさ」の原因を社会に求め、その構造を探究しようとしていた。「当事者」の声を隠蔽するシステムが何かあるのだろう、それはどういうものだろう、と。しかしあるとき、この疑問は「自分にはなぜそれらが見えないのだろう?」という問いに変換しないと意味がない、とふと気づいた。そして出てきた答えはシンプルだった。 なんのことはない、それは自分がマジョリティだからである。 自分は日人であり、

    哲学対話とマジョリティについて - はれ ときどき てつがく
    yomimonoya
    yomimonoya 2019/12/22
    過去、「哲学」が女性を排除してきた歴史が思い出されてしまった……自己の「前提」を問い直すことの必要性。
  • メルカリでの「部落地名総鑑」出品事件が問うもの - 部落差別は、今 ~TUBAME-JIROのブログ~

    「全国部落調査」復刻版裁判の第8回弁論手続が9月11日、東京地裁で開かれ、原告・解放同盟の弁護団から準備書面が提出された。今回の準備書面では、示現舎がばらまいた同和地区情報により広範な二次被害が生じている現実などが提起された。 メルカリで「復刻版」が3冊出品 今年1月~3月にかけて、インターネット上のフリーマッケである「メルカリ」において、件出版物である『復刻 全国部落調査』そのものを印刷した出版物が3冊販売されるという事件が発生した。 唐津市の職員が当該出品を発見、佐賀県が「メルカリ」社に対して取引中止を要請し、社が出品を取り下げた。しかし、その間、すでに3冊落札されていた。 出品者は高校生 人は反省・県へ 出品者は佐賀県内の高校生3年生(出品当時)であった。 出品者は今年3月22日、ネットニュースで自分の販売行為が記事で掲載され、社会的に大きな問題になっていることに驚き、佐賀県

    メルカリでの「部落地名総鑑」出品事件が問うもの - 部落差別は、今 ~TUBAME-JIROのブログ~
  • この先には教科書で参照できるような分かりやすい処方はない。歴史の濁流が待ち受けている-参院選・障害者殺傷事件に思う - 細々と彫りつける

    最近はっきり言わなければという思いと、しかしはっきり言うのが難しいという思いとがぶつかり合って、結局とりあえず状況に対してもやもやとした対応しかできないということが多い。それでものすごくフラストレーションが溜まる。 しかしむしろフラストレーションが溜まるのも当たり前の状況となってしまい、さりとてはじけることもできず、やはりもやもやしている。 例えば参院選のことと、知的障害者殺りく事件がそういう思いなのである。なので、もやもやしたままいろいろ書いていくことにする。とにかく自分は書くことでしか落ち着かない人間なのだから。 参院選について言えば、私のように左翼的な人間には厳しい結果になった。私は昔の言葉では左翼ですらなく、元々は政治に関心がありながらもどうしていいかわからず、また精神病がひどい時は世の中のことを考える力すら失っていた。自分が障害者の介護をしたり、自分も精神科に通うようになったりし

    この先には教科書で参照できるような分かりやすい処方はない。歴史の濁流が待ち受けている-参院選・障害者殺傷事件に思う - 細々と彫りつける
    yomimonoya
    yomimonoya 2016/09/03
    「しかし自分が生きて存在するなら精いっぱい自分の問題を追いかけたい。そのこだわりしか私の依拠できるものはない」——考えて、考えて、考え続ける。
  • 四方田犬彦と帝国の欲望 - Arisanのノート

    以下の文章、あまりにも酷いので批判を書いておく。 『四方田犬彦, 朴裕河を弁護する』 http://parkyuha.org/archives/5161 ただ、かなりの長文であり、その一行ごとに突っ込みどころがあると言っていいぐらいだ。 あまり長い文章を書くのも気が引けるので、ここでは最低限、自分が特に言いたいことだけを書くことにしたい。 僕が一番驚いたのは、3のなかで、朴裕河が「従来の慰安婦神話に突きつけた」重要な視点の一つとして語られている、次の個所だ。 日軍兵士と慰安婦を犯す/犯されるといった対立関係において見るのではなく、ともに帝国主義に強要された犠牲者であると見なす視点は、今後の歴史研究に新しい倫理的側面を提示することだろう。それは日帝国主義による強制連行が朝鮮人・中国人にのみ行使されたのではなく、長野県や山形県の農民が村をあげて満洲国開拓に動員された場合にも指摘しうるとする

    四方田犬彦と帝国の欲望 - Arisanのノート
  • 論文:女性、虐待、許し(2) - ゆるしの心理学

    Lamb, S. (2002). Woman, Abuse, and Forgiveness: A Special Case. In S. Lamb & J. G. Murphy(Ed.), Before Forgiving: Cautionary Views of Forgiveness in Psychotherapy. New York: Oxford University Press, pp.155-171. おおまかな内容 この論文で筆者は、許しについて反対するある議論を展開する。ある特定のケースやグループは、歴史的状況や文化における特殊性において、許しを促進されるべきではないということである。それが、女性である。 許しは社会全体や他者のためよりも、その個人によって有益なセルフ・ヘルプの一形態であり、虐待されている女性にもその見方を提供するのである。しかしそうした女性に、反省して

    論文:女性、虐待、許し(2) - ゆるしの心理学
    yomimonoya
    yomimonoya 2015/05/24
    性虐待の加害者は、自分が被害者に何をしてしまったのかを理解していれば、そもそも「許し」など乞わないだろう。
  • 鷲谷花さんによる『風立ちぬ』評

    鷲谷花 @HWAshitani 『風立ちぬ』見終わって飛び乗る北行電車。「創造的人生の年限は十年」と、知る限り半世紀近く頑張ってらっしゃるマエストロに仰られると、あら嘘つき!となりますわな。嘘をつき、隠し事をし、その嘘を自分で信じ、隠したものは来存在しなかったと思い込む。そうやらねば回らない創造的人生 2013-08-04 12:00:07 鷲谷花 @HWAshitani 『風立ちぬ』は、『ハート・ロッカー』の最後のせりふ「小さい頃大好きだったものは大抵ガラクタだと気付く。大切なものが一つか二つしか、一つしかなくなる」の実現例として見た。途中経過が都合よすぎてずるいはずるいけど、最後に主人公が空を見上げながらも真下に姿を消していく下降運動に落涙 2013-08-04 12:14:54 鷲谷花 @HWAshitani 『風立ちぬ』の主人公は、大日帝国の男子と生まれた特権はちゃっかり享受、

    鷲谷花さんによる『風立ちぬ』評
  • 岡本太郎と久高島 岡本太郎のある事件 3 (引用やコピーはもちろん、リライトなども一切固くお断りします) - 愛を もって したたかに

    「週刊朝日」。 1967年1月20日号。 当時、定価60円。 特集記事は 「神々の島・久高 岡太郎」。 カラーグラビアページには、太郎が撮影したイザイホーの写真が数点。 中面の特集記事では、久高島で、太郎が撮影したという白骨の写真。(モノクロ) 棺桶に横たわる白骨は、藍染の着物に髪の毛がはっきりとみえる姿。 大反響だった。 この週刊誌を片手に、大勢の観光客が久高島に訪れた。 当時は、ヴェトナム戦争&カウンターカルチャー真っ只中だ。 写真を撮ったり、平気でいじくり回す者はもちろん、風葬の場で放歌するもの、ヒッピー気取りで瞑想するもの、記念に持ち帰るものなど、やりたい放題だった。 そのことに島の人々が激怒して、後生(グソー)をコンクリートで固めてしまって今の形となった。 島の人々は、そんなモラルの無い観光客に対して激怒したのだという。 もちろん、その原因を作ったのは、ご人なのだが。 実は、

    岡本太郎と久高島 岡本太郎のある事件 3 (引用やコピーはもちろん、リライトなども一切固くお断りします) - 愛を もって したたかに
  • ところでポモは滅ぼされねばならぬ - apesnotmonkeysの日記

    8月17日(日)の深夜に放送された NNNドキュメント'14 の「歴史に挑む高校生 日韓 40年目の修学旅行」は同じ読売の「たかじんのそこまで……」とか「ミヤネ屋」のスタッフに正座させてみせたい番組だったのだが、少し気になるところもあった。番組の半ばほど、韓国人の友人2人と居酒屋で歓談している日人留学生の様子がインサートされるのだが、その部分は彼の次のような発言で締めくくられる。 いま、日韓国も会話が少ないじゃないですか。それが問題だと思っていて、こうやって会話をしながら、お互いに理解を深めていくことが大事なんじゃないかな、と僕は思うんです。ま、そのときに意見がい違う時ももちろんあるのは仕方ないじゃないですか。違う国で、違う文化で、歴史教育の仕方も違うので。だからそういう部分は仕方ないとして、こうやって対話を通してお互い理解を深めてゆくことがまず、解決するための土台というか、ベー

    ところでポモは滅ぼされねばならぬ - apesnotmonkeysの日記
    yomimonoya
    yomimonoya 2014/08/25
    「もし「歴史の教育の仕方」がそうした普遍的視座への到達を妨げるのであれば、私たちは「歴史の教育の仕方」の方を乗り越えねばならない」
  • 『Only the Ball was White』(R.Peterson, New York: Oxford Univ. Press, 1970/1992) - くまあな

    合衆国の黒人プロ野球に関する古典傑作。という情報だけある状態で読みました。 きっと自由と平等とフェアネスを求める人々の偉大な戦いと勝利をユーモラスに描きフレッド・アステアがタップを踏み最後はハッピーエンドになるようななんだろう、ト何となく思っていた自分に腹が立ちます。 四部構成で内容はこうです。そして各部タイトルがたいそうかっこよいです。 Mine Eyes Have Seen the Glory/我が目は栄光を見たり(*1) ニグロ・リーグの元選手たちによるニグロ・リーグの日々の回想。さかのぼって、南北戦争終結から19世紀末までの「白人リーグの黒人選手」と「黒人リーグ」の歴史。ジム・クロウ法(南北戦争後の南部諸州であいついで制定された有色人種取締り法の総称)が南部のみならず北部においても白人リーグの黒人選手を締め出していったありさま。 Way Down in Egypt Land/行け

    『Only the Ball was White』(R.Peterson, New York: Oxford Univ. Press, 1970/1992) - くまあな
  • 新宿の焼身事件について - モジモジ君のブログ。みたいな。

    今日、新宿駅で、安倍政権による集団的自衛権容認への動きに抗議して、男性が焼身自殺を図ったという。その後、亡くなったという話は聞いていない。とにかく命をとりとめたなら、そのことは良かった。 「焼身自殺(未遂)」という行為を、持ち上げることも貶めることもしたくない。自分もやりたいと思わないし、他の誰にも真似してほしいとも思わない。しかし、少なくとも言えること、言わなければならないことがいくつかあると思う。 当たり前のことだが、男性が「身を焼いた」ことは、男性の主張が正しいことをまったく意味しない。関係がない。しかし、私たちは重々承知しているはずだ。安倍が進めている集団的自衛権容認への手続きは、ありとあらゆる嘘とゴマカシに満ちており、今すぐやめるべきだということを*1。つまり、男性が身を焼いた事実とは無関係に、男性の安倍政権への批判は、正しい。 にもかかわらず、この正しさ=安倍政権の欺瞞をめぐる

    新宿の焼身事件について - モジモジ君のブログ。みたいな。
    yomimonoya
    yomimonoya 2014/06/30
    「「同じことをする奴が出てこない方がいい」と思うなら、不条理をなくせばいいだけの話である」
  • 唄う革命 • 非暴力直接行動に関する覚書

    暴力闘争を否定してはならない。 逆説的ではあるが、これがもっとも重要な格率である。なぜなら、私たちが現に暴力を振るわれている以上、私たちには暴力をもって抵抗する権利があるからだ。 ただし、権利があることは、その権利を実際に行使することを直ちには意味しない。多くの場合、暴力は有効な方法ではない。第一に、敵方の方が強力な暴力を発揮できるので、成功しない可能性が高い。第二に、より重要なことに、敵方を圧倒しうる暴力は、それまで味方であった者たちを支配・抑圧する暴力に容易に転化する。以上の理由から、暴力の行使には多くの問題が伴う。 暴力による抵抗が「よくないことだから」暴力を用いてはならないという言説はまちがっている。別の理由によるのだ。その別の理由を丁寧に言語化し、暴力闘争に引き寄せられる人たちの説得を試みなければならない。 暴力闘争を否定する言説による説得は、その語り手の主観とは裏腹に、説得には

    yomimonoya
    yomimonoya 2013/11/28
    「暴力闘争の支持者への説得は、暴力的手段の断罪に基づく命令であってはならない〜暴力闘争に対する権力の弾圧を批判できる者にだけ、彼らを説得しうる機会があることを認識せよ」
  • 「~に救(すく)われる朝鮮人(ちょうせんじん)もいる」言説(げんせつ)について - コトコトじっくり煮込んだ日帝♪

    朝鮮(ちょうせん)が日帝(にってい)によって植民地(しょくみんち)統治(とうち)された時代(じだい)において、日帝(にってい)に協力(きょうりょく)することによって自(みずか)らの保身(ほしん)を第一(だいいち)に考(かんが)えた朝鮮人(ちょうせんじん)が残念(ざんねん)ながらいた。親日派(しんにちは)と呼(よ)ばれるものたちである。抵抗(ていこう)がときに死(し)と引(ひ)き換(か)えとなる困難(こんなん)な状況(じょうきょう)において独立(どくりつ)のために抵抗(ていこう)運動(うんどう)に身(み)を投(とう)じて殺(ころ)されていった有名(ゆうめい)無名(むめい)の無数(むすう)の同胞(どうほう)を裏切(うらぎ)り、己(おのれ)の尊厳(そんげん)を殺(ころ)してその身(み)を生(い)きさせることを選(えら)んだ親日派(しんにちは)の生(せい)に誰(だれ)が責任(せきにん)を取(と)る

    「~に救(すく)われる朝鮮人(ちょうせんじん)もいる」言説(げんせつ)について - コトコトじっくり煮込んだ日帝♪
    yomimonoya
    yomimonoya 2013/11/13
    「きまえの良いい主人しゅじんと奴隷どれいが「仲良なかよく」する世界せかいは今いますぐ潰つぶされるべきである。」
  • 日本政府の主張を自明視する報道ばかりで大丈夫か - Apeman’s diary

    掲示板にてMKMさんから問題提起をいただいた件について。 毎日jp 毎日新聞 2013年09月01日 「韓国司法:日側の理解超える判断繰り返し…摩擦の根に」 「日韓請求権協定で解決済み」という日政府の主張の正しさを自明視する報道は産経や読売にとどまらずマスメディア全体を支配している感があります。 しかし「慰安婦」問題に関して政府による「補償」を求めているのはなにも韓国だけではありません。2007年のオランダ下院決議は「日政府に現在、生存する元慰安婦に加えられた苦難に対して直接的、道徳的な金銭補償の形態を提供するという追加のジェスチャーを行うことを強力に要求するように求め」ており、同年のEU議会も「生存している全ての’慰安婦’制度の被害者及び死亡した被害者の家族に対する賠償を行うための効果的な行政機構を日政府が設置すべきことを要請」しています。さらに08年の台湾立法院決議も「被害者の

    日本政府の主張を自明視する報道ばかりで大丈夫か - Apeman’s diary
    yomimonoya
    yomimonoya 2013/09/07
    「しかしそれをあらゆる場合に、実質的な正義に照らした検討すら省いて適用しうる原則であるかのように考えるのは誤りでしょう」←これを理解できてない人と、理解した上で無視したい人とのタッグが醜い。
  • ふみこむ。それは こわいこと。でも、 - hituziのブログじゃがー

    すべての ふみこむ ひとへ。そして、すべての たちどまっている ひとへ。なおさら、ふみだすまえで とまどっている ひとへ。 完璧な親って いるのか - hituziのブログ 無料体験コース 「親があっても、子は育つ」 - hituziのブログ 無料体験コース パターナリズムが どうしたってんだ - hituziのブログ 無料体験コース ただしいことって おそろしいものです。それが自分が きめたものであっても、だれかが きめたものであっても、「ただしいとされているもの」であっても。 だって、わたしは、おそらく あなたも、どこにも安住することは できないからです。ふと 気がつけば。ふと、ふりかってみれば。よく まわりを みわたしてみれば。ああ。 どこまでも、いつまでも、どんなときも、自分を せめてはいけないものです。自分で くるしんでは いけないものです。おしだまっては いけないものです。いや

    ふみこむ。それは こわいこと。でも、 - hituziのブログじゃがー
    yomimonoya
    yomimonoya 2013/07/11
    「こたえのない日常を、こたえをださないまま、いきぬくこと。自分のだした こたえに うらぎられ、ぬりかえし、また くつがえす。とらえきれない こたえをかかえて、あゆんでいくこと」
  • [徐京植の日本通信] 見たくないもの

    新しい年が明けて2週間ほどが経った。私の心はますます憂に閉ざされている。いうまでもなく、昨年末の日韓国での選挙結果を受けてのことだ。日の新政権は夏の参議院選挙に向けての一時的な人気取り政策を矢継ぎ早に打ち出す一方、外交、安全保障、教育などの分野で極端な右傾化を実行し始めている。極右イデオローグたちがこれ見よがしにわが世の春を謳歌している。私は生まれてから60年余りを生きてきたが、予想外に長く生きてしまったせいで、見たくなかったものを見せつけられることになった。 私の人生を20年ずつ3つの時期に分けてみると、最初の20年は日の戦後民主主義の興隆期にあたる。次の20年は大学闘争の敗北を経た脱政治の時期、第三の時期は経済成長の停滞と保守化の時期と言えるだろう。そんなことは望んでいないが、私がもしあと20年生きるとすれば、それは大反動の時期となるだろう。日は敗戦と引き換えに得た民主主義

    [徐京植の日本通信] 見たくないもの
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • 体罰はなぜ悪か、について考える - Arisanのノート

    体罰について考える際、まず「体罰は是か非か」というところから考え始めることが、適切であり公正な態度であるという風に思われている。 だが現在の社会が概ね、実力・権力や権威を有する者が、そうでないものに対して振るう暴力を容認してしまう傾向にあるということ、またそうした価値観を自分自身内面化してしまっている度合いが大きいと思えることを考慮すると、僕はこの問題を、まず「体罰はなぜ悪であるのか」というところから考え始めることが、適切な態度だと思う。 そこから始めて、どうしてもその理由が見出せないようなとき、初めて「是か非か」というところに移行して考え直してみる。そういう手続きの方が妥当だと思うのだ。 学校における体罰に関してしばしば聞かれるのは、教師が「ついかっとなって手を上げてしまった」というようなことである。この場合、普段から教師自身にあまりに大きなストレスがかかっていたことや、生徒たちの態度が

    体罰はなぜ悪か、について考える - Arisanのノート
    yomimonoya
    yomimonoya 2013/01/29
    「教師(や親)による体罰は、それがたんに暴力だから酷いということ以上に、権威や権力を有する「強者」による暴力(実力行使)だから酷いのである。それが、この悪の本質だ」
  • 下地さんから 手紙(12月18日付) - 11.13弾圧 救援会

    当に、当にみなさん、ありがとうございます。 留置所の中は、想像していたより、かなり快適に過ごしています。 同じ部屋には僕を含めて3人、うまくやっています。心配ありません。 朝は7時ちょうどに起床。布団を片づけ、掃除。それから洗顔。 8時ごろから朝ごはん。終わると、数人ずつ交代で「運動」。「運動」と言っても部屋より3・4倍広いくらいのベランダのようなところに行くだけです。まわりは壁とすりガラスで、外の様子は見えません。 そこでは、ヒゲそりができて、タバコが吸えます。僕は吸いませんが、これをたのしみにしている人は多いです。また他の部屋の人と話ができる数少ない機会なので、気分転換になります。交代で「運動」に出て、だいたい10時頃に終わります。 運動のあとは、基的に夜まで、とノートとペンが使用できます。 は部屋の中では3冊まで、いつでも交換できます。ストレッチなどしながら、書き物と読書

    下地さんから 手紙(12月18日付) - 11.13弾圧 救援会
    yomimonoya
    yomimonoya 2012/12/23
    なんか「じわっ」ときました。
  • Blog「みずき」 辺見庸ロング・インタビュー「国策を問う ――沖縄と東北の40年」(沖縄タイムス 2012年5月10日、同11日)を読む

    Blog「みずき」:私はシベリアの大地でいつまでも立ち竦んでいた。そこにはいつまでも現実と和解できない自分がいた。それでいいのだ、と私は小さくつぶやいた。おそらく夢だ。(東高志FB 2019年12月17日)

  • 断絶と欺瞞 - kom’s log

    北海道の泊原発が定期点検で2012年5月5日に停止してから、日で運転している原子炉はゼロになっていたが、6月下旬には福井の大飯原発が再稼働する見込みである。再稼働によってすでに存在している放射性廃棄物の量が劇的に変化するわけではない。あるいは夏が終われば止めればよい、のかもしれない。そもそも崩壊熱という現象を考えれば、原子炉の「停止」はスイッチのオン・オフとは原理的にことなっている。 とはいえ再稼働には欺瞞がある。歴史的な欺瞞である。 私が注目するのはその安全性の検証が311以前と同じような建前を中心に行われたという点である。「絶対安全」という原子力発電を推進するための標語的な建前がいつしか当のことになってしまい、政府関係者、電力会社の人間のほとんどがいつしか気でそれを信じるようになった、というおそらく福島の事故の最も根幹にある病因が、311後にほとんど変更もなく通用している。311

    断絶と欺瞞 - kom’s log