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戦争に関するyomimonoyaのブックマーク (91)

  • [徐京植コラム]平和は束の間の「休戦」に過ぎない

    そんな時にぜひ再読すべき書物として、私の念頭に繰り返し浮かぶのは、プリーモ・レーヴィの『休戦』である。レーヴィは『これが人間か』という作品で知られるアウシュヴィッツの生存者であり、戦後の世界平和のための証言者、そして現代イタリアを代表する文学者だ。レーヴィは1944年2月から45年1月までアウシュヴィッツ強制収容所で強制労働を強いられ、同収容所がソ連軍に解放されることによって自らも解放された。 ロシア軍の侵攻開始から1年以上がすぎたが、ウクライナでの戦闘はまだ続いている。近い将来に終わりそうもない。私の脳裏には「終わらない戦争」という言葉がずっと点滅している。どうすれば「終わる」のか、「終わる」とはどういう状態を指すのか、曖昧なまま殺戮と破壊が継続している。この間に、ロシアのプーチンとベラルーシのルカシェンコが会談し、ベラルーシ領内への戦術核兵器の配備を承認した。わずか2〜3年前に市民から

    [徐京植コラム]平和は束の間の「休戦」に過ぎない
    yomimonoya
    yomimonoya 2023/04/15
    “「私はそれを、私の人生や人類の歴史の奇怪な歪曲、おぞましい例外とみなした。だが彼にとっては、周知のことの悲しい確認でしかなかった。『いつも戦争だ』。人間は他人に対しては狼だ」”
  • シュタインマイヤー大統領スピーチ:ナチスからの解放と欧州における第二次世界大戦終戦75周年

    Frank-Walter Steinmeier, Bundespräsident der Bundesrepublik Deutschland, offizielles Porträt., © Bundesregierung / Steffen Kugler (訳文) ナチスからの解放と欧州における第二次世界大戦終戦75周年 戦争と暴力支配の犠牲者のためのドイツ連邦共和国中央追悼施設(ノイエ・ヴァッヘ)にて 2020年5月8日 於 ベルリン 国民の皆様 欧州の友人の皆様 世界中の友好国、同盟国の皆様 75年前の日、欧州において第二次世界大戦が終結しました。 1945年5月8日、ナチスの暴力支配が終焉し、空爆の夜と死の行進が終焉し、ドイツによる比類のない犯罪と文明の断絶であるショアーが終焉しました。ここベルリンにおいて、絶滅戦争は考案され、勃発し、巨大な破壊力を持って再び戻ってきました。そ

    シュタインマイヤー大統領スピーチ:ナチスからの解放と欧州における第二次世界大戦終戦75周年
    yomimonoya
    yomimonoya 2020/05/09
    「内からの解放」……日本人にとってのそれは天皇制廃止以外にないだろう。
  • 「火垂るの墓では戦争は止められない」高畑勲監督が「日本の戦争加害責任」に向き合うため進めていた幻の映画企画 - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

    5日に亡くなった高畑勲監督の代表作『火垂るの墓』(1988年)が、日の『金曜ロードSHOW!』(日テレビ)で放送される。周知の通り「反戦映画」として国内外から高い評価を受けた作品だが、生前、高畑監督は「『火垂るの墓』では戦争を止められない」と発言していたことは、サイトでも何度か紹介してきた。 「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」(神奈川新聞2015年1月1日付) 一方、その高畑監督が『火垂るの墓』の次に撮ろうとしていた“まぼろしの作品”については、あまり知られていない。監督作としての次作は1991年の『おもひでぽろぽろ』になるが、実はその間、高畑監督は別の企画を進めていた。しかし、ある理由によりお蔵入りになったという。「国公労新聞」2004年1月1・11日合併号のインタビュ

    「火垂るの墓では戦争は止められない」高畑勲監督が「日本の戦争加害責任」に向き合うため進めていた幻の映画企画 - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ
    yomimonoya
    yomimonoya 2018/04/15
    これはすごい企画、実現して欲しかった。
  • 海辺のジハーディスト(ブレイディみかこ) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    米国によるシリア領内への空爆で死亡した最初のブリティッシュ・ジハーディストは、イブラヒム・カマラというブライトン出身の19歳の青年だった。 わたしが住むブライトンという英国南端の街は、UKのゲイ・キャピタルと呼ばれるほど同性愛者の人口が高く、アナキストが多いことでも知られ、英国で初めて(そして今でも唯一の)「みどりの党」の国会議員をウエストミンスターに送った街でもある。つまり、ウルトラ・リベラル。な土地と言われているのだが、その一方で、最近では「海辺のジハーディスト」の街などと呼ばれ始めている。 死亡したイブラヒム・カマラという青年については、ガーディアン紙やBBCなどあらゆる英国のメディアが取り上げた。 故人の写真を見ると、パーカーにキャップ、大ぶりのフレームの洒落た眼鏡をかけたラッパー風のルックスで、ファンキーなアフリカ系の黒人青年である。またこういう青年がなんで。と思うが、ブライトン

    海辺のジハーディスト(ブレイディみかこ) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • 座り込んで頭を抱える海兵隊員 - Apeman’s diary

    前述の「狂気の戦場 ペリリュー〜"忘れられた島"の記録〜」で描かれた「正気」。 岩山での戦いのさなか、日兵が突然銃剣で襲いかかってきた。私は、彼の腹に2発撃ち込んだ。倒れた彼の懐から一枚の写真がのぞいていた。手にとってみると、彼が両親と幼い妹と一緒に写っていた。いったいなんてことをしてしまったんだろう。私は大きなショックを受け、言葉を失った。 ナレーションが「兵士は顔を覆い、うなだれたまま、いつまでもその場から動けなかったといいます」と続く。ただ抽象的に「敵である」だけでなく武器を持って自分に襲いかかってくる人間を殺したにもかかわらず、である。 これとそっくりなエピソードをデーヴ・グロスマンらが紹介している。 (……)あるベトナム帰還兵は、若い北ベトナム軍兵士を殺したとき、その財布から一枚の写真を抜き取ってきた。それには、その兵士自身といっしょにかわいい少女が写っていた。二〇年後、古ぼけ

    座り込んで頭を抱える海兵隊員 - Apeman’s diary
    yomimonoya
    yomimonoya 2014/08/25
    人を正気に留めるもの——相手もまた(対等な)人である、との認識。だがそもそも、「対等な対人関係」を教育されないままの者達が戦争に駆り出されたら?
  • 戦犯自筆供述書、ネットで公開 - Apeman’s diary

    撫順・太原の戦犯管理所で日軍の戦犯容疑者が作成した自筆の供述書(中国の国家档案局所蔵のもの)がネットで公開されはじめています。先ほど確認した時点では鈴木啓久中将、藤田茂中将、上坂勝少将の3人分が公開されていました。階級の高い方から公開する方針と思われます。 原文(日語)は「[笔供原文(The Original Text of the Written Confessions)]」で、画像ファイルとして提供されており、翻刻はされておりません。

    戦犯自筆供述書、ネットで公開 - Apeman’s diary
  • 敗戦後に慰安婦へ結婚しようと約束して連れ帰った元日本兵の、被害証言を裏づける異様な顛末 - 法華狼の日記

    川田文子『イアンフとよばれた戦場の少女』という書籍が2005年に出版された。1980年代から従軍慰安婦問題にとりくんで証言を収集していた著者が、出会ってきた証言者の人間像を書きしるそうとした一冊だ。 http://www.koubunken.co.jp/0350/0342.html 初めて実名で被害を訴えた金学順証言より以前から知られていた事例に興味をひかれつつも、克明に描かれた当時の状況に気がめいるばかりだったのだが、とあるくだりを読んで思わず声をもらしてしまった。 それは第2章「宋神道さんを訪ねる」で、証言者が在日コリアンとなった経緯で注記されていたこと。インターネットの下記ページでも証言の全体像が読めるのだが、私の印象に残った部分は、あくまで小さな補足情報にすぎないためか言及されていない。 【被害者証言】宋神道(韓国/在日) | Fight for Justice 日軍「慰安婦」―

    敗戦後に慰安婦へ結婚しようと約束して連れ帰った元日本兵の、被害証言を裏づける異様な顛末 - 法華狼の日記
  • 崖っぷちの憲法9条守るためにノーベル賞でもなんでも使え、に大反対 - planet カラダン

    手短に。 崖っぷちの憲法9条を守ろう! 安倍晋三から憲法を守るために、憲法9条にノーベル平和賞を! 受賞者は9条のもとこの戦後70年(くらい)一度も戦争をしなかった日国民だ! まあ授賞式に揚々と安倍晋三が行ってみるのもいい。いくらヒトラー安倍でもノーベル平和賞をとった憲法をやすやすと変えることはできなくなるだろう。 こんな運動があり*1、ノーベル賞の候補として正式にノミネートされたとかなんとか。 すでに批判も多く今さら私が付け足すこともないですが、私も、こんなのどうしようもないとしか思えない。 ここで私が強調したい立場は、そんなウソまみれではだめだということです。日の戦後70年史が戦争と無縁だった、平和国家だったというのは端的にウソです。このへんについては「反日の会」ぶろぐの以下の記述に同意します。 日は、明治以来、侵略戦争と植民地支配を行ってきました。そして1945年以降も、再軍備

    崖っぷちの憲法9条守るためにノーベル賞でもなんでも使え、に大反対 - planet カラダン
  • 「戦場から人が消える」 - Apeman’s diary

    日経新聞の「リアルの逆襲」と題するコラム枠で1月6日に無人機がとりあげられていました。 「戦場から人が消える ロボット3原則遠く」 初めての爆撃の日。ブライアントは標的にレーザーを当て、 相方がミサイル発射ボタンを押した。2人の即死を映像で確認。片足を吹き飛ばされた残り1人も血まみれで長時間苦しんだ後に息絶え、任務は完了した。 「無人機の操縦はゲームに似ているが、これは現実世界(リアル)だ」。ブライアントは戦場で身体に傷を負うことはなかったが、重い心的外傷後ストレス障害(PTSD)に今も苦しむ。 ミサイルが着弾して人々を殺傷する様子をモニターし続ける、という無人機操縦の特性ゆえに PTSD に苦しむパイロットがいる、という問題点は過去にも報じられており、「無人機」問題の一つとしての認識が定着していると言えそうです。 http://www.cnn.co.jp/world/35038939

    「戦場から人が消える」 - Apeman’s diary
  • 朝鮮人虐殺の原点としての甲午農民軍「討伐」 - Apeman’s diary

    当ブログの古くからの読者の方であれば、「関東大震災時の朝鮮人虐殺は〇〇とは違う!」と強弁したある人物のことを思い浮かべられたのではないでしょうか。 ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる この↑詭弁の下敷きになっているのは当然のことながら山七平です。関東大震災時の朝鮮人虐殺について山がどのような詭弁を弄したかについては、数年前にやや丁寧に分析しておきました。 「七平メソッド」とは このエントリで言及した三・一独立運動に対する弾圧は、しかしながら、近代日による最初の大規模な朝鮮人虐殺というわけではありません。 私が中等教育を受けた当時は「東学党の乱」と呼ばれていた第一次甲午農民戦争(東学農民戦争)が日清戦争の契機(日にとっては口実)となったことはよく知られています。94年の春に蜂起した農民軍は6月の全州和約によっていったん矛を収めます。しかし日清戦争勃発以降、日朝暫定合同条款

    朝鮮人虐殺の原点としての甲午農民軍「討伐」 - Apeman’s diary
    yomimonoya
    yomimonoya 2013/11/10
    「近代的な装備をもたない農民軍を、「鎮圧」の域を越えて一方的に殺戮し、さらには法によらずに捕虜まで殺害していた」
  • 強制連行の証拠は(探さ/公表させ)なかった! - Apes! Not Monkeys! はてな別館

    私は昨年の8月に書いた「河野談話」について知っておくべきたった六つのこと(三分で読めるよ!)」というエントリにおいて、次のように指摘しておきました。 (6)「河野談話」は朝鮮半島以外での「慰安婦」の徴募や「慰安所」の実態についての十分な調査に基づいて出されたのではない(中国、フィリピン、インドネシア等における実態は十分に反映されていない) しかしながら、いまやこの記述は次のように訂正されねばならないようです。 (6')「河野談話」は朝鮮半島以外での「慰安婦」の徴募や「慰安所」の実態についての十分な調査に基づいて出されたのではない(中国、フィリピン、インドネシア等における実態は十分に反映されていないし、そもそも反映させる気は日政府にはなかった。) 朝日新聞DIGITAL 2013年10月13日 「慰安婦問題の拡大阻止 92〜93年、東南アで調査せず」 朝日新聞DIGITAL 2013年10

    強制連行の証拠は(探さ/公表させ)なかった! - Apes! Not Monkeys! はてな別館
    yomimonoya
    yomimonoya 2013/10/14
    「姑息なごまかしを続けた結果が今日の事態」←これを全スルーできるのが「普通の日本人」であるなら、私はンなものにカウントされなくていいです。
  • FIGHT FOR JUSTICE 日本軍「慰安婦」 - 忘却への抵抗・未来の責任

    【対談】米山リサ×板垣竜太「共振する日米の歴史修正主義――ラムザイヤー論文という事件」全文転載しました!

    FIGHT FOR JUSTICE 日本軍「慰安婦」 - 忘却への抵抗・未来の責任
    yomimonoya
    yomimonoya 2013/08/02
    「正義」とは自らの暗部を直視すること。
  • 日本の戦争―領土拡張主義の歴史/不破哲三さんに聞く/第5回 「共栄圏」と悲惨な戦場

    ――南方侵略について、アジア解放の戦争というのが、“靖国派”の言い分ですが…。 不破 この言い分のでたらめさも、政府・軍部の公式記録を見ると、よくわかります。 前回、太平洋戦争への足取りの話をしたとき、その一歩一歩を決めた四つの御前会議について紹介しましたね。その前後に政府・軍部のいろいろな会議がありますが、どの会議の記録を見ても、東南アジア地域の人民の話は何ひとつ出ないのです。出てくるのは、そこに何があるか、どこを占領したらどんな物資が手に入るか、資源の話ばかりです。コメは仏印とタイ、石油は蘭印、ニッケルはセレベスとニューカレドニア、ゴムはタイと仏印と蘭印、錫(すず)はタイと仏印、銅はフィリピンなどなどです。 ――前の世界再分割で日支配の縄張りを問題にするとき、「生存圏」という言葉を使ったのも、同じ意味なんですね。 そこに住む人の権利を無視 不破 「生存圏」とは、これだけの地域を支配す

    yomimonoya
    yomimonoya 2013/06/16
    「「一銭五厘」という言葉は、どこの軍隊でも聞かれたと言いますが、日本の軍隊にしみ通っていた人命軽視の精神を端的に象徴する言葉でした」まさしく、現在にまで至る精神。この国は本当に「戦後」なのか?
  • 澤藤統一郎の憲法日記 » 民衆に支えられた靖国

    靖国をめぐって事態は風雲急である。24日の衆議院予算委員会で、安倍首相は「国のために命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」と述べたという。 「わが閣僚」は、憲法99条で憲法を尊重し擁護すべき義務を負っている。当然、政教分離の原則も、尊重し遵守しなければならない。憲法の遵守は、脅しに屈してするものではなく、立憲主義国家の公務員の当然の義務である。 戦死者を「英霊」と呼称することも、宗教法人靖国神社に参拝することも、個人としてであれば思想・良心や表現の自由の問題であり、また、宗教行為の自由として憲法が保障するところである。しかし、公的資格において、宗教的活動を行うことは許されない。憲法20条3項が禁止するところ。こっそり人目に付かずの参拝なら許されようが、肩書を記帳し、公用車を利用する参拝は許されない。国会議員が集団でなど、示威行動は許されない。

    yomimonoya
    yomimonoya 2013/04/28
    「肉親の死を意義あるものとしたいとする遺族の心情を、国家の側に取り込むことが靖国の本質的な役割」国家はいつも卑怯者だ。
  • 『カブラの冬』 - Apeman’s diary

    藤原辰史、『カブラの冬 第一次世界大戦期ドイツの飢餓と民衆』、人文書院(「レクチャー 第一次世界大戦を考える」) 昨年から刊行されはじめた人文書院の「レクチャー 第一次世界大戦を考える」シリーズ、どういうわけか地元の大型書店では現物を拝むことができず、ただでさえ積ん読の在庫に不自由していないということもあってずるずるとそのままになっていたのだが、この度ようやく『カブラの冬』を読むことができた。想像していたよりずいぶんと薄い(150ページほど)で、そのため店頭で見落としていたのかもしれない。このシリーズは京大人文科学研究所の共同研究班、「第一次世界大戦の総合的研究に向けて」(後、「第一次世界大戦の総合的研究」と改称)のメンバーが執筆者となっており、「これまでの研究活動の中間的な成果報告」であると同時に「第一次世界大戦をめぐって問題化されるさまざまなテーマを平易に概説することを趣旨とする」、

    『カブラの冬』 - Apeman’s diary
    yomimonoya
    yomimonoya 2013/03/17
    「良心の呵責を感じずに相手国の住民を攻撃できた感覚は、のちのナチスの「飢餓政策」からアウシュヴィッツまでをもつらぬく二〇世紀的な暴力感覚である」←重要。
  • 南京事件を「想像」する…松本清張「黒地の絵」を補助線に、南京事件発生75周年の日に - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    今日は、南京事件発生から75周年の日。 あえて、1950年の日で起きた米兵暴行事件のことを書きます。 1950年7月11日、福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)の城野(じょうの)にあるアメリカ軍キャンプから約200〜300人の兵士が集団脱走し、キャンプ近隣の民家等に入り略奪や性的暴行などを行った。当時、朝鮮戦争においてアメリカ軍は劣勢で、多くの死傷者が出ていた。脱走した兵士は戦地に送られるためにジョウノ・キャンプに送り込まれ、全て黒人兵であった。 この事件は当時の日のマスコミでは報道されなかった。 当時32歳で小倉に住んでいた松清張は、作家として東京に居を構えたのち、事件8年後に短編小説「黒地の絵」を発表する。この作品は、現在新潮文庫に同題名で収録されている(この記事末尾を参照) ※【ご注意】以下、囲みで小説のあらすじや原文を書きます。ネタばれ注意。また、原文中には人種差別表現もあ

    南京事件を「想像」する…松本清張「黒地の絵」を補助線に、南京事件発生75周年の日に - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • 戦争のつくりかた

  • 「九大生体解剖事件」で「人肉試食」の事実はなかった。しかし「生体解剖」は間違いなく行われた。そして…… - kojitakenの日記

    2012年8月15日付の毎日新聞のサイトに下記記事が掲載された。 http://mainichi.jp/select/news/20120816k0000m040050000c.html 九大生体解剖事件:「戦争は人を狂わす」最後の目撃者語る 1945年5月、大分、熊両県境に墜落したB29搭乗の米兵8人が次々と旧九州帝国大(現九州大)医学部に運ばれ、やがて死亡した。連合国軍総司令部(GHQ)が「類例ない野蛮さ」と表現した「九大生体解剖事件」。医学生として立ち会った福岡市の医師、東野利夫さん(86)は何を目撃し、何を思ったのか。「戦争は人を狂わせる。悲惨と愚劣しか残らない」。67年後の今、東野さんは改めて平和の尊さを訴える。 東野さんは1945年、同大医学部に入学。約1カ月後、配属された解剖学教室で、事件は起きた。「手術する場所を貸してほしい」。外科医から解剖学教室の教授に連絡があった。数

    「九大生体解剖事件」で「人肉試食」の事実はなかった。しかし「生体解剖」は間違いなく行われた。そして…… - kojitakenの日記
    yomimonoya
    yomimonoya 2012/08/26
    「とにかくどんな事情があろうと、仕方がなかったなどというてはいかんのです」——響いた。沁みる。
  • 『晩鐘』後半 感想 - 劇的なチャイナ

    え~、遅れに遅れていた『晩鐘』後編の感想です。 ほっとくといつまでも書かないので、「終戦」記念日にUPを目指して書いてみました。・・・・・・ちょっと遅刻したけど。 これまでの記事は以下を参照ください・・・・・・何年越しだよ、この記事。とりあえず宿題が一つ片付いてほっと一息。 『晩鐘』総合案内 『晩鐘』前半 『晩鐘』中篇 『晩鐘』後半 あらすじ 以下、完全ネタばれです。 最初に補足を。劇中では言及が無かったけど、百度百科および映画を見たら捕虜の日兵や上官には名前や階級があるそうなので、感想をわかりやすく書くために提示しておきます。 捕虜の日兵(行き倒れていたところを八路軍兵士に救助される)→山田 上官1(兵士らに集団自決を命令)→中尉 上官2(洞窟内で発狂)→軍曹 さて、この映画に対する日中の映画評のいくつかを見たが、一部の映画評では「戦争の悲惨さ」を表現し、「八路軍の人道主義を体現」

    『晩鐘』後半 感想 - 劇的なチャイナ
    yomimonoya
    yomimonoya 2012/08/16
    「人は自己欺瞞を貫徹するためには死を選ぶことも辞さない、ということである」「過去に目を閉ざす者には未来も暗闇の中にある」
  • 社会科学者の時評: ■ 日本の軍歌 ■

    ◎ 小村公次『日の軍歌-戦争の時代と音楽-』学習の友社,2011年の問題提起 ◎ 【 戦時歌詞の戦後版化 】 ① 戦時歌詞の一例-書きかえ- 1) 軍歌の時代的性格 小村公次『日の軍歌-戦争の時代と音楽-』(学習の友社,2011年3月)は,「日の軍歌はいつ,どのようにして生まれたのか」「そもそも軍歌とはなにか」。「幕末維新から明治,大正,昭和という近代日の歩みのなかで,軍歌が担った役割と歴史を徹底的に検証し,戦争の時代のなかで音楽がどのような運命をたどったかを考察する」という著作である。主な章の目次はこうなっている。第1章 軍歌はどのようにして生まれたか?第2章 軍歌が伝えようとしたもの第3章 軍歌はどのようにして広まったか?第4章 みんなが軍歌を歌っていた時代第5章 なぜ哀調の軍歌なのか―統制と抵抗のはざまで第6章 軍歌の戦後―郷愁と追慕からの出発第7章 戦争の時代と音楽―軍歌を

    yomimonoya
    yomimonoya 2012/04/15
    これもまた物語が物語である必然として含む「悪」なのではないか、と。