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ララビアータに関するyomimonoyaのブックマーク (10)

  • ララビアータ:井上達夫氏の新著と憲法論 - livedoor Blog(ブログ)

    井上達夫氏から、新著『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(毎日新聞出版)をお送りいただいた。その内容についての評価は、時局がら厳しくならざるを得ない。ここでは厳密な書評というより、時局論として限定的な批評をしたい。事態はそれほど切迫しているからである。それ故、問題を憲法9条の問題に絞って論じることにする。 全体として、政治的センスの欠けた空論という印象である。ひょっとしたら、「リアリティ」に流されて規範的議論に欠けがちな我が国の論争状況において、わざとそうふるまっているのかと錯覚してしまうほどである。 憲法9条についての空論――それはその歴史的沿革を無視して条文だけに拘泥することによる。解釈の対立が生ずる場合、憲法の精神(憲法の政治哲学)に立ち返って、参照することが必要である。 ところが日国憲法の場合、難しい問題がある。一つは戦争放棄であり、もう一つが天皇

  • ララビアータ:自由の敵(橋下徹氏の場合) - livedoor Blog(ブログ)

    大阪では、卒業式に君が代を歌っているかどうか口元を調査する教頭がいるらしい。何とも滑稽とも恐ろしいとも言えることであるが、ここには明治以来我が国に固有の問題が現れている。 一般に、近代化とともに諸個人は古い共同体的紐帯から離れ、市場のアナーキーにさらされるにつれて、秩序維持の必要から、以前よりも強力な集権化と軍事力を必要とするものである。したがって「夜警国家」の理想は、常に幻想である。首尾よく近代化を成し遂げた諸国は、いずれもかかる権力を封建的体制に代えて装備している。 近代化に不可欠な強力な権力を、広く人民の協力によって調達するために、民主主義の導入がはかられる。このことは、特に顕著に軍事部門に現れる。幕府軍を圧倒するために、人民皆兵制をいち早く導入した高杉晋作の「奇兵隊」や、ナポレオンへの対抗上近代化の先駆けとなったプロイセンの軍と参謀部(クラウゼヴィッツはその中心)の例を見よ。近代

    yomimonoya
    yomimonoya 2012/03/20
    「主体的に考える」ことと「自由」との関係。なお、考えずにする行動は「自由」とは呼ばれないだろう。それだと、全ての動物はどの人間よりも自由ということになるものね。
  • ララビアータ:イランへの経済制裁? - livedoor Blog(ブログ)

  • ララビアータ:好きになるってどんなこと? - livedoor Blog(ブログ)

    昨年、『ドリーム・ナビ』12月号に「好きになるってどんなこと?」という題でエッセーを書いたが、その時発表しなかった別ヴァージョンの原稿を貼りつけておくことにする。 ―好きになるってどんなこと?― 「大きな愛と小さな愛」 オスカー・ワイルドの童話に『幸福の王子』というのがある。北の国のある街に、幸福の王子と呼ばれる彫刻があった。至る所、宝石や金銀で飾られた実に立派なものだ。その彫刻の王子様が、街の方々にある貧しい家の事を、ツバメから聞く。そこで彼は、自分を飾っている宝石を一つづつ取って分け与えるように、ツバメに命じるのだ。やがて夏が終わり、ツバメが南の国への渡りに出発しないといけない季節が来ても、王子の使いとしての働きは果てることがない。それだけ世の中には不幸な人が多いのである。やがて、王子の像は惨めにぼろぼろになってしまうが、ツバメは王子のために勤めを果たしたあげく、その足元で凍えて死んで

  • ララビアータ:陸軍の立身出世主義者たち - livedoor Blog(ブログ)

    NHKの特集番組で、戦争開始に陸軍が果たした役割について分析がされていた。それによれば、その実態は単純ではない。つまり、陸軍は何か一貫した意志のもとに戦争政策を追求したのではないということだ。丸山真男の有名な論文以来、日政治指導部が意志と主体性を欠いた無責任の体制であったことはよく知られている。しかしすでに軍部自体が、近代官僚制としての要諦としての規律や統制さえ欠いた、多頭的怪物にすぎなかったのである。 今回の特集では、軍の若手エリートによって結成された一夕会というグループが大きな役割を演じたことが指摘されていた。彼らは当初、元老として陸軍に君臨していた山形有朋ら旧指導部に対抗して、軍部の革新をもくろんでいた。彼らは若手エリートとしてドイツに留学して、新しい軍事技術や総動員体制に通暁していて、日軍がそれに対応する必要を痛感していたとは言えるだろう。しかし実際に彼らを突き動かしていた主

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    yomimonoya 2011/02/11
    「彼らの攻撃的で妄想的な自己主張は、その自己の脆弱性のしるしであり、傷つきやすいナルシシズムの現れに他ならない」げに。というか、そのまま現在にまでも至る。
  • ララビアータ:言語の起源 - livedoor Blog(ブログ)

    言語の起源はどんなものであったのだろうか、は我々の想像力を刺激するテーマだが、決着をつけるような証拠が得られるような見込みのない、いたって思弁的な問題にとどまるだろう。しかし、プラトンの対話編にしばしば登場するミュトスにも、まったく意味がないとは言えないように、かかる思弁にもそれなりの意味はある。それを語りだすミュトスがどのようなものであれ、それらは言語をいかなるものと現に見なしているか、人間をいかなる存在と見ようとしているかなどを、大雑把に総覧するに役立つからである。 言語が極めて有用なものだからといって、それが有用性のために発明されたと考えるようなことはできない。それは人間が種として生存するための効用(survival value)によって、進化論的に説明することも期待薄である。そもそも我々は、進化論が達成した成果に幻惑されるあまり、生存のために効用を一元的な説明原理であるかのように考

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    yomimonoya 2010/10/23
    ブコメ見たら、言葉が「意味」しか伝えないものと考えてる人が何人かいて疲れた。ここで展開されてるのはそういうレベルの話じゃないと思うよ。
  • ララビアータ:保守主義 追補 - livedoor Blog(ブログ)

    むかし、エドモンド・バークの『フランス革命の考察』を読んだ時、国王の支配が人民の総意に基づくものではなく、単に法と伝統にのみ基づくものであることが記されてあるのを見て、目からうろこが落ちる思いをしたものである。法の支配が、人民の総意という民主的原理とは違うことがあるということである。 わたくしの保守主義は、他の一般の保守主義者とい違うのみならず、もっての他のものとさえ映るかもしれない。保守主義によって革命や革命的行動を正当化する形になっているからである。 ここで考慮すべきは、バークの祖国と違って、我が国の政治的エートスには、保守主義的伝統が決定的に欠如している点である。そのため、保守主義が、何であれ現在の支配体制と実定的制度にしがみつくことと混同されてしまう。我が国では、政治支配を総体として合理化したり正当化する論理が発達しにくかった。そのような問いや論理をくじくものこそ、実は「天皇制」

    yomimonoya
    yomimonoya 2010/08/21
    「伝統と確信の弁証法」に深くうなづく。
  • ララビアータ:鄭大世(チョン・テセ)よ、胸を張れ! - livedoor Blog(ブログ)

    鄭大世よ、胸を張れ! 強豪ひしめくグループGにあって、君たちはブラジル相手に立派に戦った。今や第二戦ポルトガル、第三戦コート・ディヴォワールにも敗れ、リーグ戦突破の道は閉ざされた。 君のすぐれた天分をもってすれば、テーハンミングの大合唱を背に受けて、輝かしい道を駆け抜けることも約束されていたはず。そのとき君は、はるかにめぐまれた条件のもとで、はるかに華やかな栄光に包まれていただろう。 しかし、君は、母の祖国を選んだ。国際的に孤立し、轟々たる非難にさらされた祖国。君の母上が、在日同胞の弟妹の星になれと、君に諭されたから。約束されたはずの幸福と名誉をもたらさず、多大な苦難のみを背負うことが明らかなとき、君は、祖国の苦難をみずから背負い、祖国の人々の哀しみに、みずから寄り添う道を選んだ。 それでこそ、あっぱれ愛国者! 朝鮮人民共和国の国歌を歌いながら、涙を流す姿は、我々の胸を打つ。常々、君の祖国

  • ララビアータ:ゲオルゲとフェルメール - livedoor Blog(ブログ)

    シュテファン・ゲオルゲの詩の一節に、以前から妙に心ひかれる一句があった。 まつ毛にとまる粉雪は わきでた涙かとばかりうちふるえ という個所である。長い間、私にはこの詩句が、何故かくばかり心をひきつけるのかが、よくわからなかった。このたび、ようやくその秘密の一端がわかったような気がするので、以下その覚書を書きつけておきたい。 折にふれ、日ごろの生活に立ち止まるときなど、幾たびかこれを口ずさんだものである。もっとも、暗唱できるのはここだけで、その前後はよく憶えていない。あらためて調べてみると、私が憶えているのは富士川英郎の翻訳のようである。念のため、原文を普通のドイツ語で表記し直したものとその大意を示しておく。(ゲオルゲは綴りや表記法を自分流にするので、わかりやすく書き直しておく) Die Steine die in meiner Strasse staken Verschwanden all

    yomimonoya
    yomimonoya 2010/06/17
    「意味の不在の意味」「個と全体の神秘的コレスポンダンス、個の中に無限の全体を映現するライプニッツのモナド的世界を思わせるもの」
  • ララビアータ:村上春樹氏の『風の歌を聴け』 - livedoor Blog(ブログ)

    ゼミの学生からの希望で、村上春樹氏の『風の歌を聴け』を読むことになった。私はまだ彼の小説を一つも読んだことがないので、何の予備知識もなくこの小説を読んだ。もちろん、若い学生諸君がこの小説をどのように読んでいるのだろうか、興味もあった。 「主人公の女が妊娠中絶しますよね? あれどう思いました?」と私が、この小説を取り上げることを希望した学生に聞いてみると、「えっ!そんなところありました?」と驚く(!)。この小説は、ご存じのようにこれといった事件が起らない小説だ。その中でほとんど唯一と言っていいような事件が女の妊娠中絶である。その中心の筋さえも気づかないで、どうしてこの小説の愛読者になれるのであろうか?私のような古いタイプの小説愛好家にとっては、なんとも不思議である。以下、私の読後感想を思いつくままに書きつけておこう。 小説は、1970年8月8日から8月26日まで19日間に起こった事件からなる

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