『満韓ところどころ』を読み終えた。途中でふと気づいたが、漱石がこの旅行をした1909年は、まだ清朝の時代である。中村是公の馬車の「別当(べっとう)」(=馬丁)が「辮髪(べんぱつ)を自慢そうに垂らして」いるという描写がある。ちくま文庫版の注によると、辮髪は「もともと満洲族の習俗で、のち、満洲族が清国を建ててから中国人一般に強制したが、中華民国になって廃止された」とある。辛亥革命によって中華民国が成立するのはこの2年後(1911年)ということになる。 私がこの紀行文を読みながら疑問に思ったのは、漱石は漢詩や南画などの中国的教養を充分持っているのに、現実の「支那人」や「朝鮮人」に対しては、ごく普通に蔑視的な眼差しを注いでいるのは何故か、というようなことだった。 人力(車)は日本人の発明したものであるけれども、引子(ひきこ)が支那人もしくは朝鮮人である間はけっして油断してはいけない。彼等はどうせ