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戦争責任に関するyomimonoyaのブックマーク (26)

  • 「問われる戦後補償」(93年11月) - Apeman’s diary

    scopedog さんが92年8月14日に NHK で放送された「調査報告 アジアからの訴え〜問われる日の戦後処理〜」を紹介されておられるので、私は93年11月13日、14日に『朝日新聞』朝刊に掲載された「問われる戦後補償(上)(下)」を紹介しようと思います。 13日は当時提起されていた主な戦後補償裁判とその論点が紹介されています。筆頭に挙げられている「慰安婦」問題ですが、「慰安婦」の総数や徴集の実態については次のように記述されています。 河野談話発表から3ヶ月がたった頃の記事ですが、現在でもほぼそのまま通用する記述です。「吉田清治」の「よ」の字も「挺身隊」の「て」の字もありません。91年からのわずかな期間に軍「慰安所」制度についての認識がどう変化したかがよくわかります。 もう一つ興味深いのが、当時行われた世論調査の結果です。 「慰安婦」問題に関して政府が補償すべきかどうかについて、20

    yomimonoya
    yomimonoya 2014/05/06
    もしも以前は、成功した経済大国自認で「(アジア諸国を)下に見ていた」からこその「補償は必要」だったとしたら、と想像してかなりイヤな気分に……。
  • 「昭和天皇の軍事思想と戦略」 | 散歩の変人

    「昭和天皇の軍事思想と戦略」(山田朗 校倉書房)読了。冒頭に載せられている著者の言を長文ですが引用します。 今日における戦争責任の追及とは、どのような歴史状況の中で、どのような国家の判断・行動が、どのような結果をもたらしたのかを実証的に検証し、その因果関係や責任の所在を明らかにし、国民の共通認識として定着させることである。こうしたことを私たち日人の手で確実に行っておくことが、侵略・支配に対する自覚的反省と内外に対する実のある謝罪・補償の前提であり、再び膨張・戦争といった歴史を繰り返さないための確かな土台となるのである。そして、戦争責任の問題をとりあげる時には、戦前の国家元首であり、陸・海軍の最高統帥者であった大元帥・天皇の責任についても触れないわけにはいかなくなるのである。 同感です。好き嫌い、敬愛や憎悪を抜きにして、昭和天皇とはどのような人物だったのか、どのような権力をもっていたのか、

    「昭和天皇の軍事思想と戦略」 | 散歩の変人
  • 法華狼の日記

    第二次世界大戦の末期、ドイツから日へ潜水艦で謎のアタッシュケースが運ばれた。そのなかで、液体に浮かぶ心臓が動いていた。フランケンシュタインのつくりだした不死身の生命だという。 しかし日の広島にたどりついた心臓は原爆投下により行方不明になった。そして戦後の広島で、女性研究者が不思議な戦災孤児をひろうが…… 1965年の日米合作映画多猪四郎監督と円谷英二特技監督という東宝特撮映画の黄金タッグで、いつもの怪獣映画よりやや小さいスケールの巨人と怪獣の戦いをリアルに描く。 フランケンシュタイン対地底怪獣 [東宝DVD名作セレクション] 高島忠夫Amazon タイトルの地底怪獣には「バラゴン」とルビがふられているが、劇中では「地底怪獣」とだけ呼ばれている。20年以上前に劇場公開版は視聴したことがあるが、DVDではじめてタコ出現版を視聴した。 まず、記憶より戦中パートが長い。そこで無骨なケースを

    法華狼の日記
    yomimonoya
    yomimonoya 2013/12/29
    「もし英霊がいるならば、あなたがたは犬死したのだし犬死させたのだと言葉をかける勇気こそが必要ではないか」←深く同感。そのことを認め難い遺族がいるのだとしても、事実は事実のままに。
  • 家永三郎『太平洋戦争』 - Arisanのノート

    太平洋戦争 (岩波現代文庫―学術) 作者: 家永三郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2002/07/16メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 5回この商品を含むブログ (9件) を見る 満州事変から対米英戦争にいたる、日の15年間の戦争の過程を、国内の情勢と、外地や戦場の状況を叙述しながら振り返り、なぜあの戦争が止められなかったか、またそれがいかに破壊的な結果をもたらすものであったか、そしてその経験が戦後にどのように継承されたか(あるいはされなかったか)を、時代の体験者であり歴史学者である著者自身の倫理的関心に基づいて考察したである。 吉田裕による文庫版の「解説」には、書の特徴がきわめて適切にまとめられているのだが、その一つに、『諸領域を総合した、体系的な通史という叙述のスタイルをとることを最初から意識的に放棄していること』が挙げられている。 このような姿勢は、初版の序や第

    家永三郎『太平洋戦争』 - Arisanのノート
    yomimonoya
    yomimonoya 2013/08/25
    「いわゆる十五年戦争の進行(勃発とその泥沼化)を食い止められなかった理由として、日本社会全体においても軍隊内部の問題としても、著者が最も重視していることは、人権蹂躙や民主主義の不在ということである」
  • 憂うべきマスコミでの「反日」パラノイア拡大 - Apeman’s diary

    2013年8月1日 読売新聞 社説 「「慰安婦」像設置 憂うべき米国での「反日」拡大」 「女性の権利」という普遍的な理念に訴えかける活動に「対抗するつもり」の言葉が「反日」という普遍的な訴求力の欠片もないシロモノだ、という点に現在の日の保守・右派の矮小さがはっきりと現れていますね。この調子で声高に語れば語るほど日の対外的なイメージは傷ついていくわけですが、彼らは一体どうやって責任をとるつもりなんでしょうか。 「性奴隷」「20万人以上」という誇張歪曲した表現だけでも、日の名誉を著しく傷つける。 当時の日においても、公娼制が事実上の奴隷制度だという認識はそれなりに(都道府県の過半数で公娼制が廃止されるか、廃娼決議が通過する程度には)影響力をもっていたのであり、そうした認識に基づけば旧日軍「慰安所」制度は公式に採用された性奴隷制であるというよりほか、ありません。「20万人」については、

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    yomimonoya
    yomimonoya 2013/08/04
    「身内」に「オレはこれだけ言ってやった」と示すだけの行為の空しさとバカさ加減。。。彼らは何を「保守」するつもりなのか?
  • 天皇制をめぐるあれこれ

    takayamitsui @takammmmm 「天皇の戦争責任」(井上清)、「昭和天皇・マッカーサー会見」(豊下楢彦)「安保条約の成立-吉田外交と天皇外交-」(同)、「昭和天皇の終戦史」(吉田裕)、「現代政治の思想と行動」(丸山真男)。天皇制問題がマイブーム。 2012-11-18 15:06:35 takayamitsui @takammmmm 8.15敗戦ですべてがくつがえったのではない。政治犯は獄につながれたまま、哲学者・三木清は9月26日獄死。それを当然視する内相談話が英字紙に掲載され問題になって、マッカーサー指令で漸く10月、政治犯釈放、そして治安維持法廃止、特高警察解体。日人の手によって解放されたのではない。 2012-11-18 16:38:32 takayamitsui @takammmmm 「日イデオロギー論」の戸坂潤も、三木清も疥癬で獄死している。日高六郎によると

    天皇制をめぐるあれこれ
    yomimonoya
    yomimonoya 2012/11/25
    最後の「甘いよね」がものすごく沁みる時代だ。
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 「謝罪」、責任をきちんと認めるということ -中尾知代『日本人はなぜ謝りつづけるのか』について-

    中尾知代『日人はなぜ謝りつづけるのか』を読む。 以前、日英和解の記事が話題になって、それで書を再読した(二度目)。 タイトルはアレだが、いたってマトモな。 こちらの書評が一番丁寧である。 気になったところだけ。 ある捕虜の未亡人について(39頁)。 彼女の夫は、捕虜時代の後遺症で次々に病気を発症した。 そのため、彼女の人生はほとんどが、病院通いと介護で費やされた。 しかし、病院費用の領収書を持って行政の福祉課を訪れても、相手にもされなかった。 こうした死亡者リストに入らずに存命した者でも、多くの者が心身衰弱の後遺症で早世している。 そして著者は思い出す。 母校の高校の恩師でシベリア抑留の経験者が、ふとした風邪で早世してしまったことを。 「一度徹底して痛めつけられた身体は、外見からはわからない後遺症を抱える」。 「捕虜」の問題とは、戦争終結で終わっているのではなく、戦後の後にも続いてい

  • 野田新首相は自らの主張に従うか? - Apeman’s diary

    今年の8月15日には「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」という主張を維持していると発言していた野田新首相は、代表選勝利後の記者会見では「私は政府の立場なので(政府の)答弁書を踏まえて対応したい」と語った、とされています(時事の記事)。これは予想された対応です。吉田裕は1950年代の日で、戦争責任問題に関する「ダブルスタンダード」が成立したと指摘しています。 (……)対外的には講和条約の第一一条で東京裁判の判決を受諾するという形で必要最小限度の戦争責任を認めることによってアメリカの同盟者としての地位を獲得する、しかし、国内においては戦争責任の問題を事実上、否定する、あるいは不問に付す、というように、対外的な姿勢と国内的な取り扱いを意識的にせよ無意識的にせよ、使い分けるような問題の処理の仕方がそれである。 (『日人の戦争観』、岩波現代文庫、91ページ) 冷戦の終結に代表されるような国際環境の変

    野田新首相は自らの主張に従うか? - Apeman’s diary
    yomimonoya
    yomimonoya 2011/09/04
    「世代的には当然冷戦については承知しているはずなんですが、冷戦によって日本が何を免除されたかについては考えてこなかったんでしょうね」
  • あなたが好きなのはどちらのアメリカですか? - Apeman’s diary

    掲示板で smtz8 さんから情報提供をいただいた件についてです。 asahi.com 2011年8月14日 「「日軍性暴力パネル展」始まる 北京郊外で日中共催」(魚拓) このパネル展をとりあげた卑しい記事は次のような論法を用いています。 (……)しかし、中国ウオッチャーの宮崎正弘氏はこういう。 「日の市民団体が中国側をけしかけて、こうした展示会をやらせているのが問題。市民団体としては日の新聞に掲載されるのが目的でしょうね。また、彼女たちは日で裁判をするためにも、被害者を集めたい。裁判に負けようが、それを通じて支持者を広げようと考えているのでしょう」 かくして中国の若者たちに、日人への憎しみが植えつけられていく。 強調は引用者。戦争責任なり戦争犯罪についてはまず事実を否定したい、しかしそれが常に通用するとは限らない……ということで登場するのが「自虐」というレトリックであるわけです

    あなたが好きなのはどちらのアメリカですか? - Apeman’s diary
    yomimonoya
    yomimonoya 2011/08/28
    たぶん、直視するのは「甘く思い出せる痛み」だけ。最も深い痛みは他人事として遠ざけておきたいのだろうし、それができてしまうのが本土で白兵戦が行われなかった地のメンタリティなのかも。
  • 『ある英国人作家の観た日本(Obsの記事)【1】』

    PAGES D'ECRITUREフランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。 週刊誌Le Nouvel Observateur の最新号(2008年2月21-27日、通巻2259)には、日在住の英国人作家デイビッド・ピース David Peace の、日に関する対談が掲載されています。 日では、『Tokyo Year Zero』 (文藝春秋) という著書が発売されています。 『日の英国人』 Un Anglais au Japon par David Peace 15年前から東京で生活する英国の新推理小説の大家は、敗戦による心の傷と今日の日の曇った記憶を探求する。 Shanghai, 27 novembre 1937. Incendies ap

    『ある英国人作家の観た日本(Obsの記事)【1】』
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    yomimonoya 2011/08/27
    「日本人にとって、自己を犠牲者と認識する方が心地よいのです」「問題は結局いつまでも解決していません」
  • 授業開始/シンポジウム雑感/山口泉氏の短評+追伸|原爆のあと/台湾のいま-川口隆行研究室-

    原爆のあと/台湾のいま-川口隆行研究室- 「歩く文学・文化史研究」を志し、ふり幅の大きい情報を、しぶとくだらだら発信します。 PR Calendar <<6月>> 日 月 火 水 木 金 土 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 Profile [ルームを見る|なうを見る] ニックネーム:kawataka 性別:男性 ブログジャンル:未設定 メッセージを送る アメンバーになる プレゼントを贈る [Publish] KAWAGUCHI Takayuki Theme Archives ※著作権についてのご注意 このブログの読者になる(チェック) « 「疎遠なものを排除・・・ | Entries | » 授業開始/シンポジウム雑感/山口泉氏の短評+追伸 2005-09

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    yomimonoya 2011/08/10
    「親しくも畏怖すべき隣人への想像力を欠いた「平和」など、あっというまに「帝国」の部品として回収されるのがオチだろう」――厳しいが肝に銘じておきたい指摘。
  • 広島文学館

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    yomimonoya 2011/08/06
    「わたしたちの汚れた手」――それをみつめることからようやく始まる。
  • 「封印された原爆報告書」ほか - Apeman’s diary

    昨年の8月6日に放送されたNHKスペシャル「封印された原爆報告書」が昨晩再放送されていた。日政府が放射性物質による被曝から市民をいかにして守るのか、その姿勢が問われている*1時である、という観点からも観るに値する再放送だったのではないだろうか。 アメリカ国立公文書館のGHQ機密資料の中に、181冊、1万ページに及ぶ原爆被害の調査報告書が眠っている。子供たちが学校のどこで、どのように亡くなったのか詳しく調べたもの。200人を超す被爆者を解剖し、放射線による影響を分析したもの…。いずれも原爆被害の実態を生々しく伝える内容だ。報告書をまとめたのは、総勢1300人に上る日の調査団。国を代表する医師や科学者らが参加した。調査は、終戦直後から2年にわたって行われたが、その結果はすべて、原爆の“効果”を知りたがっていたアメリカへと渡されていたのだ。 なぜ貴重な資料が、被爆者のために活かされることなく

    「封印された原爆報告書」ほか - Apeman’s diary
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    yomimonoya 2011/08/04
    「戦争責任・戦後責任に向き合えなかったことも、空襲被害者の犠牲を「受忍論」で片付けてきたことも、ともに戦争についての認識の貧しさという同じ根っこをもっている」
  • 【産経抄】5月24日 - MSN産経ニュース

    先月コラムで紹介した『ドイツ産ジョーク集888』(アートダイジェスト)の編著者、田中紀久子さんのもとには、福島第1原発の事故以来、ドイツの知人からのメールが相次いだ。どれも「部屋を用意したから、逃げてこい」といった内容ばかり。 ▼「制御不能となった原発が大爆発する」。現地では、こんな過剰な報道が広く信じられているらしい。そのドイツのメルケル首相が、2022年までに脱原発を図る考えを、このほど明らかにした。 ▼早速「ドイツに学べ」といった声が上がりそうだが、ちょっと待ってほしい。チェルノブイリ原発事故後の反原発の機運に乗って、シュレーダー前政権は、脱原発政策を推し進めた。昨年それを修正したのが、メルケル政権だ。代替エネルギーの普及までには、時間がかかるとの現実的判断だった。 ▼今回の再修正は、福島原発事故で再燃した反原発の世論から、政権を守るためにはやむを得ない。島国の日と違い、近隣国から

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    yomimonoya 2011/05/24
    「評論家の西尾幹二さんらによって決着したはずだが、まだ残滓(ざんし)があったようだ」←はぁ?
  • 「“朝鮮人軍夫”の沖縄戦」 - Apeman’s diary

    (実際には2日に書かれたエントリですが、1日付にしています。) 2011年 2月27日 NHK総合 証言記録 市民たちの戦争 「“朝鮮人軍夫”の沖縄戦」 沖縄・糸満の「平和の礎」には447人の朝鮮半島出身犠牲者の名前が刻まれているが、「実際には1万人が命を落としたとも言われ」、朝鮮半島から沖縄への徴用や沖縄戦での犠牲の全貌は明らかになっていない、という。 番組では韓国の国家記録院で発見された「船舶軍 沖縄留守名簿」に記載されていたおよそ2,900人から生存者を捜し出し、徴用の手口、差別的待遇、日軍による不法な処刑などについて証言を得ている。この名簿の発見後に韓国で建立された慰霊碑に刻まれた名前の多くは、身元が判明していないため「日名」のまま。この事実が国家の暴力と、その被害者に対する国家の冷淡さの証拠となっている。

    「“朝鮮人軍夫”の沖縄戦」 - Apeman’s diary
  • 南京事件と軍事のコスト - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■南京大虐殺における殺戮の簡略な分類 http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20110103/p1 ■新たな「解釈否定論」?(補足;解釈否定派の「倒錯」について) http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20110105/p1 一連の議論を読んで、奇しくもちょうど一年前に書いた次のような記事を思い出しました。 ■軍事のコスト http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20100105/p1 ここで簡単に論じたのは、倫理的価値を軍事的合理性よりも優位におくことによって「軍事のコスト」を上昇させ、戦争の発生を抑止することが可能なはずである、ということです。そのような価値の序列をわれわれが共有していくためには、未来に起こりううる戦争だけでなく、過去に起こった戦争についても、その視点においてまなざされるべきなのです。 亜門さんや青狐さ

    南京事件と軍事のコスト - 過ぎ去ろうとしない過去
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    yomimonoya 2011/01/06
    「逃げた兵士を民間人もろとも区別せずに片っ端から捕まえて無裁判で殺していったという事実に対しては、直観的にいって虐殺と呼ぶしかないでしょう」/戦時であってもなお忘れてはならない一縷の理はある、と。
  • 「国民」の戦争責任について - Apeman’s diary

    cf. http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__101212.html , http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__101215.html 多くの民衆は、戦争と敗戦にいたる過程を「ダマサレタ」という論理でとらえて納得したが、そこには戦争責任をみずからのものとする意識が欠落しているとともに、旧い価値とのふかい内面的な対決を経ないままに、いち早くあたらしい価値を受容してゆく姿態が表現されていた。 どうです? 1990年代の匂いがぷんぷんしませんか? アイデンティティ・ポリティックスにうつつを抜かすクサレ文化左翼の言いそうなことじゃないですか? 出典は1971年刊の『講座日史8』(東京大学出版界)が初出の、安丸良夫著「戦後イデオロギー論」(『日ナショナリズムの前夜 国家・民衆・宗教』、洋泉社MC新書、263ページ)。ちなみに「階級」

    「国民」の戦争責任について - Apeman’s diary
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    yomimonoya 2010/12/19
    「ダマされた=私は悪くない」って最強かも(嘆息
  • 「最終的解決」はむしろ現在進められつつある - Apeman’s diary

    ツイッターではすでに指摘しておられる人もいるが、念のためこちらでも。「最終(的)解決」という用語は日の同盟国であったドイツの国家犯罪の(当事者が用いた)婉曲表現であるがゆえに注意を要するものではあるが、戦後補償問題という文脈においてはより切実な問題がある。先日、名古屋空襲で両足を失った女性の妹の「国は戦災傷害者が死ぬのを待っている」という言葉(を伝える記事)を紹介した。名古屋空襲の被災者は他地域の戦争被害者とともに今年「全国空襲被害者連絡協議会」を結成して国に補償を求める活動をしているが、国内外で公的な補償を求めている人々が共通して口にするのが「日政府はわれわれが死ぬのを待っているのではないか?」という言葉だ。日政府の中で特定の個人が明確にそうしたことを意識して対応を決めているかどうかは別として、従来とおりの不作為を続けることがどのような結果につながるかは明白である。したがって、戦後

    「最終的解決」はむしろ現在進められつつある - Apeman’s diary
    yomimonoya
    yomimonoya 2010/12/16
    「「記憶」の問題はむしろ「解決」を拒否しているのである」——未だ責任を果たさずにいる者ら(含む私)はすべからくこの一節を胸に刻んでおくべきだろう。
  • こーゆー情報公開は支持する。 - おこじょの日記

    米国諜報機関が実は元ナチやその協力者を庇護していたという事実が明らかに。非公開だった政府の調査文書がでたよ。Nazis Were Given ‘Safe Haven’ in U.S., Report Says WASHINGTON — A secret history of the United States government’s Nazi-hunting operation concludes that American intelligence officials created a “safe haven” in the United States for Nazis and their collaborators after World War II, and it details decades of clashes, often hidden, with other nat

    こーゆー情報公開は支持する。 - おこじょの日記
    yomimonoya
    yomimonoya 2010/11/15
    「「米国は迫害された者たちの楽園と言われながら、実は迫害者にとってもある意味楽園だった」と記載されている」
  • 豆鉄砲:日本が視えていない(前編)

    時間がたってしまったが、気力を奮い起こして、「反日」デモのことを書かなくてはならない。 以前、「反日」デモへの日社会の反応に絶句させられた、と書いた。 怒りというよりも「絶句」だったのは、そこにあまりのナイーブさ、無邪気さがあふれていたからである。 毎朝君が代を歌っているような連中が「中国許すまじ」と騒いでいたのならもう少し気が楽だった。だが、そうではなかった。ごく普通の人々が、ごく普通の感覚から、中国中国人を非難していたのである。 たとえば、「SPA!」5月17日号の「デモの正体は日中両国が焚きつけた『プロレスごっこ』だった!?」という記事である。コラムニストの神足祐司によるこの文章は、この間の絶句的状況の要素をたっぷり含んでいる。これを素材として取り上げてみよう。 神足は反日デモの余韻さめやらぬはずの上海に出向く。そこで彼は、25歳のOL(中国人)の言葉を聞く。 (以下引用) 「た

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    yomimonoya 2010/10/31
    2005年に書かれたエントリにもかかわらず、今でも見事なまでに通用してしまう事実に戦慄をおぼえた。