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ブックマーク / hoshi.air-nifty.com (5)

  • 圏外からの勝利──1980年代後半「OS戦争」の勝敗を決めたもの - ITジャーナリスト星暁雄の"情報論"ノート

    最近、「 『UNIXをC++で分散OSに書き直せ』、幻に消えたBill Joyの野望とは」という記事を書いていて改めて気がついたことがあります。1987年〜1993年頃の時期はコンピュータ産業の大きな転換期で、次の世代の主流となるOSが決まる重要な時期だった、ということです。勝ち残ったのは、当初は「圏外」と思われていたWindows NTとLinuxです。 大きな転換期であることのサインは、いくつかあります。32ビットCPU(Intel 80386とその後継製品)を搭載したPCが実力を高め、エンタープライズITのメインストリームになっていったこと。コンピュータ産業の巨人と思われていたIBMが赤字に転落し、社外からガースナーCEOを迎えいれたこと。オープンシステム(メーカー独自のプロプラエタリな製品ではなく、業界標準の製品によるシステム構築)の台頭。インターネット商用化も同時期の出来事です。

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    Barak
    Barak 2012/07/07
  • 「隕石みたいなん」は、そりゃないぜ──電機メーカー「ソフトウエア嫌い」の系譜 - ITジャーナリスト星暁雄の"情報論"ノート

    最近、日経済新聞電子版に掲載された中村邦夫パナソニック前会長の言葉に、私はある衝撃を受けました。そして思い出したことは、日の電機メーカーでの伝統的なソフトウエアの軽視、というより「ソフト嫌い」の伝統です。 この言葉が出てくる記事は、2012年7月2日掲載の「『さらばパナソニック』知られざるカリスマの胸中」です。経営の第一線を退く中村邦夫前会長へのインタビューに基づく記事で、その中にこんな言葉が出てきます。 僕はね、電機業界にはITという隕石(いんせき)みたいなんが落ちてきたんやと、今でもそう思うとるんですわ。 この言葉は、三洋電機の買収(2008年〜2009年)の是非に関する文脈の中で出てくる言葉です。そして、次のように続きます。 ライフスタイルも何もすべてを変えてしまったからね。デジタル化の波が急激にやってきて、われわれのようなメーカーは、さてどうするかと考えねばならなくなった。 こ

    「隕石みたいなん」は、そりゃないぜ──電機メーカー「ソフトウエア嫌い」の系譜 - ITジャーナリスト星暁雄の"情報論"ノート
    Barak
    Barak 2012/07/07
  • 普通の人が行政データを元に政策の対案を作って公開するインターネットサービス「You Choose」 - ITジャーナリスト星暁雄の"情報論"ノート

    Twitterタイムラインで、津田大介さんの行政データ公開に関するツイートが目に止まりました。そこで連想したのが、英国で開発された、歳出削減案の是非を市民が検討できるインターネットサービス「You Choose」です。 津田大介さんのツイートは「『対案なき提案はダメ』という言説を警戒しよう」という文脈の中でのものですが、その中で「データは重要」という話題が特に気になりました。 @tsuda もうひとつ。対案を作るために必要なデータは日の場合はたいがい官庁が独占しているか、なんだかんだで官庁が出すデータしか公的な権威を認めない変な風習があるので、そもそも政府の方針に反対する側が満足のいく「対案」を作ること自体に無理がある以上、前提にすべきではない。 — toshi fujiwara/藤原敏史 (@toshi_fujiwara) July 1, 2012 だからこそ、ポリシーウォッチとともに

    普通の人が行政データを元に政策の対案を作って公開するインターネットサービス「You Choose」 - ITジャーナリスト星暁雄の"情報論"ノート
    Barak
    Barak 2012/07/02
    官公庁文書の XML 化マダー(AA略 (参考: www.legislation.gov.uk xml.house.gov www.opencongress.org www.govtrack.us ほか多数)
  • 「UNIXをC++で分散OSに書き直せ」、幻に消えたBill Joyの野望とは - ITジャーナリスト星暁雄の"情報論"ノート

    UNIXの歴史にはある大きな転換点があり、そこには「もう一つの未来」の可能性が開けていました。この転換期に起こった出来事は「UNIX戦争」として知られていますが、その背景に「UNIXをC++で分散OSに書き直す」という野心的な計画があったことは、今ではほとんど語られることはありません。 私は、この一連の出来事の時期に、『日経エレクトロニクス』の記者としてUNIXの動向を追っていました。当時の出来事の概要を、取材者の視点から書き記しておきたいと思います。多くの読者にとって初耳の情報も含まれていると思います。 一連の出来事の発端は1987年に発表された、Sun、AT&T、Microsoftによる統合UNIXの発表です。この発表の前夜がどういう時代だったか、という話がまず必要でしょう。 統合前夜 1980年代後半は、コンピュータの歴史でも重要な時期でした。この時期、32ビット・マイクロプロセッサ

    「UNIXをC++で分散OSに書き直せ」、幻に消えたBill Joyの野望とは - ITジャーナリスト星暁雄の"情報論"ノート
    Barak
    Barak 2012/06/27
  • ニコニコ超会議の「超エンジニアミーティング」 を全部取材してみた : ITジャーナリスト星暁雄の"情報論"ノート

    取材のため「超エンジニアミーティング in ニコニコ超会議」(Webページ)という企画を全部、見てみました。まる2日間にわたる取材となりました。 まとまった記事はこれから執筆するのですが、頭から揮発してしまう前に簡単なコメントの形で全プログラムの記録を残しておきます。 1日目・4月28日(土) 基調講演 五十嵐健夫さん(東京大学大学院 教授)(http://www-ui.is.s.u-tokyo.ac.jp/~takeo)による50分の講演です。タイトルは「デザインのためのインタフェース」 フリーハンドの「おえかき」から3Dモデルを作れる直感的なモデリングツール(その一つがTeddy)、紙のカードでロボットへ指示を出す試み、「押す」ことしかできないロボット(掃除ロボットのような奴ですね)がモノを任意の軌道で動かすための手法、等々の鮮やかなデモの連続でした。 エンジニア100連発 小飼弾さん

    ニコニコ超会議の「超エンジニアミーティング」 を全部取材してみた : ITジャーナリスト星暁雄の"情報論"ノート
    Barak
    Barak 2012/05/01
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