1926(昭和1)年12月25日から1941年(昭和16年)の真珠湾攻撃まで、昭和初期の日本の様子がよくわかる映像がYOUTUBE動画にて公開されていたので見てみることにしようそうしよう。 広告 昭和初期の日本(その1) 昭和の始まり、ツェッペリン伯号来日(昭和4年)、慢性的不況、大卒の新卒9割が就職できず、頻発する労働争議、最初の普通選挙、治安維持法と社会主義者弾圧、政党内閣時代の終焉、悲惨な農村と娘の身売り 昭和初期の日本(その2) 満州事変(昭和6年)と満州国、リットン調査団、満州への国策移民、モガ・モボ、上海事変(昭和7年)、非常時日本、松岡洋右と国際連盟脱退(昭和8年)、肉弾三勇士、急速な軍国化
九龍城砦は、香港・九龍の九龍城地区のことで、かつてはそこに巨大なスラム街が形成されていたところ。 1898年、イギリスが中国清朝から香港島や九龍に隣接する新界、及びランタオ島をはじめとする香港周辺200余りの島嶼部を99年間租借したのだが、九龍城砦は例外として租借地から除外され清の飛び地となった。後にイギリスの圧力で清軍・官吏等が排除されてしまい、以後中国大陸が中国国民党率いる中華民国となって以降も、事実上どこの国の法も及ばない不管理地帯となったんだ。 香港政庁の力も、英国の管理も及ばないこの地に、中国大陸からの流民がなだれ込みバラックを建設、その後スラム街として肥大化していった。「東洋の魔窟」と呼ばれ、「アジアン・カオス」の象徴的存在となっていた。 1984年の英中共同声明により香港が1997年に中華人民共和国に移譲、返還されることが確定。1984年、香港政庁が九龍城砦を取り壊し、住民を
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く