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ブックマーク / sociology.jugem.jp (7)

  • マクドナルド化した社会:果てしなき合理化のゆくえ(21世紀新版) | Theoretical Sociology

    マクドナルド化した社会 果てしなき合理化のゆくえ 21世紀新版 マクドナルド化した社会 果て...の他のレビューをみる» ジョージ リッツア 早稲田大学出版部 --- (2008-10-25) George Ritzer, 2004, The McDonaldization of Society, Pine Forge Press (=2008, 正岡 寛司 訳『マクドナルド化した社会: 果てしなき合理化のゆくえ 21世紀新版』早稲田大学出版部). 邦題は若干変更されているが、1994年に出版された(邦題は『マクドナルド化する社会』)の改訂版。現代世界では、マクドナルドに象徴されるような形式合理化が、社会のあらゆる領域でますます進んでいることを主張し、批判した。学術書というよりは、一般読者のために書かれたで、読みやすい。が、を読む時間の十分にない専門家にとっては冗長と感じるかもしれ

    マクドナルド化した社会:果てしなき合理化のゆくえ(21世紀新版) | Theoretical Sociology
    RanTairyu
    RanTairyu 2012/01/11
  • ブルデュー『科学の科学』 | Theoretical Sociology

    科学の科学―コレージュ・ド・フランス最終講義 科学の科学―コレージュ・ド・...の他のレビューをみる» 評価: ブルデュー 藤原書店 ¥ 3,780 (2010-10) ブルデューの科学社会学講義録であり、生前に出版された最後の著書。書は主に3つの章からなり、第1章では、マートンの科学社会学、クーンの科学革命論、ストロング・プログラム、ラトゥールの科学論、の4つが批判される。第2章では、ブルデュー自身の界、ハビトゥス、性向、といった概念を使った科学の記述がなされ、第3章では、社会科学(者)にとっての自己分析の重要性が説かれ、ブルデュー自身の自己分析が開陳される。2章はいつもの議論が繰り返されているだけであるし、特に新しさを感じなかったので、1章と3章を中心に紹介する。マートンの科学社会学は、科学界の共同体的側面のみを強調し、その内部での対立、闘争を無視しているため、批判されている。いっぽ

    ブルデュー『科学の科学』 | Theoretical Sociology
    RanTairyu
    RanTairyu 2011/03/25
  • 日本社会学会大会雑感: 方法論の喪失? | Theoretical Sociology

    社会学会大会が立教大学で開かれたので行ってきた。また風邪をひいたため1日目は少し遅れていったのだが、学内で結婚式を挙げているカップルもあり(噂ではキャンパス内にチャペルがあるらしい)、1日目はよく晴れていたせいもあり、美しいキャンパスがさらに美しく見えた(写真ではあまり美しく見えませんが、1日目はこれより100倍ぐらいきれいだった)。 今回は真面目にずっと参加していたのだが、全体的な印象としては、「方法論が失われているのではないか?」ということである。方法論とは、研究を進める手続きのようなものである。例えば学説研究ならば、コーパスのようなものを作り、その範囲内のテキストはきっちりと読み進めていく、といった常識的な手続きである。かつての農村研究にも、農村にフィールドワークに行くときは、こういう手順であいさつしたり話を通したり、資料を収集・整理しなさい、といった常識的な手続きがあったはずで

    日本社会学会大会雑感: 方法論の喪失? | Theoretical Sociology
    RanTairyu
    RanTairyu 2009/10/13
  • 「抵抗の快楽」を見下ろす悦楽? | Theoretical Sociology

    抵抗の快楽―ポピュラーカルチャーの記号論 (SEKAISHISO SEMINAR) この商品の他のレビューをみる» 評価: ジョン フィスク 世界思想社 ¥ 2,730 (1998-07) 盛山先生がカルチュラル・スタディーズの例としてこのをあげていたので、質的データ分析の講義のために読んでみたが、あまりに陳腐なので1章と2章だけ読んで投げ出してしまった。「こんな見方もできます」型の典型的なケースであろう。著者は、ポピュラー・カルチャーを資制または家父長制からの「逃走」または、それらに対する「抵抗」として読み解く。例えば、ショッピング・モールで失業中の若者がたむろすることは、資制に対する「抵抗」とみなすこともできるそうである。そういう「見方」も確かに可能であろう。出生率の低下も家父長制に対する若者の「抵抗」あるいはそれからの「逃走」の結果だという「見方」も可能であろうし、大学で講義中

    「抵抗の快楽」を見下ろす悦楽? | Theoretical Sociology
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    RanTairyu 2009/07/06
  • 『ストリート・コーナー・ソサエティ』を読む | Theoretical Sociology

    ストリート・コーナーソサエティ この商品の他のレビューをみる» 評価: ウィリアム・フット ホワイト 有斐閣 ¥ 3,990 (2000-05) 都市エスノグラフィの古典として、質的研究のテキストでもしばしば参照される有名な書は、3部構成からなる。最初は、著者の研究の発端からフィールドワークの終了までを描いた、いわば裏話に近い「はじめに」の部分。これが90ページほどある。次は、「一部 小物たち --- 街頭の若者たちと大学の若者たち」。最後が、「二部 大物たち --- やくざと政治家」である。つまり当は二部構成なのだが、かなり長い「はじめに」がついていて、この「はじめに」の部分がこのを古典にした要因であるように思えるのである。現在の私の観点からみれば、論(「小物たち」「大物たち」)に書いてある内容は、他愛もない話が大半で、誰と誰が喧嘩をしたとか、ボーリングに組織構造が反映される

    『ストリート・コーナー・ソサエティ』を読む | Theoretical Sociology
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    RanTairyu 2009/06/30
  • フィールドワークの「技法」? あるいは調査法のハウツー化をめぐって | Theoretical Sociology

    フィールドワークの技法―問いを育てる、仮説をきたえる この商品の他のレビューをみる» 評価: 佐藤 郁哉 新曜社 ¥ 3,045 (2002-02) 授業の準備で読んでみた。おそらくフィールドワークの経験者、あるいはまさにフィールドワークにとりかかろうとしている人にとっては学ぶところの多いではないだろうか。私のような安楽椅子型の研究者が読んでも得るところはあまりないような気はするが、フィールドノートのとり方や聞き取りについては、なるほどと思わされるところが多くおもしろく読めた。このだったか、前著だったか忘れたが、佐藤氏のフィールドワークのテキストに関する書評を読んだことがあるのだが、その内容がとても印象的であった。その書評者によれば、佐藤氏のフィールドワークはよくできているが、フィールドワークとはそのようなハウツー化を受け付けないようなものであり、あるとき「雷に打たれたような」ひら

    フィールドワークの「技法」? あるいは調査法のハウツー化をめぐって | Theoretical Sociology
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    RanTairyu 2009/06/19
  • 『「社会調査」のウソ』のウソ? | Theoretical Sociology

    「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ (文春新書) この商品の他のレビューをみる» 評価: 谷岡 一郎 文藝春秋 ¥ 725 (2000-06) 授業の準備で読んだ。かねがねマスコミなどで紹介される調査データやジャーナリストのデータ解釈には、デタラメなものがあることに心を痛めていたので、このが出版されたときは、いいが出版されてよかったと思ったものだが、どうせ知っていることしか書いてないだろうと思い、読んでいなかった。今年は調査の報告書を読めるようにするという趣旨の授業を担当することになったので、読んでみたのだが、期待が高すぎたせいか、あまりいいだとは思わなかった。読んでてイヤーな気分になるのである。確かに著者の主張は基的には正しいと思うのだが、「この調査もゴミ!! あの調査もゴミ!! ゴミ! ゴミ!! ゴミ!!! 」といった人の調査の批判が延々と続くのである。これを読

    『「社会調査」のウソ』のウソ? | Theoretical Sociology
    RanTairyu
    RanTairyu 2009/04/16
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