環境庁長官や防衛庁長官などを務めた愛知和男さん(86)が3日、亡くなった。長らく宮城県内を地盤としてきた元衆院議員で、環境と外交問題がライフワークの政策通として知られた。突然の訃報に、関係者から惜しむ声が相次いだ。 次男で元参院議員の治郎さん(54)は「3日前に会った時は『早くビールが飲みたい』と…
環境庁長官や防衛庁長官などを務めた愛知和男さん(86)が3日、亡くなった。長らく宮城県内を地盤としてきた元衆院議員で、環境と外交問題がライフワークの政策通として知られた。突然の訃報に、関係者から惜しむ声が相次いだ。 次男で元参院議員の治郎さん(54)は「3日前に会った時は『早くビールが飲みたい』と…
石川県輪島市の観光名所「朝市通り」では、能登半島地震で発生した火災で200棟以上が焼け、およそ5万平方メートルが焼失した。 1か所から出た火の手は瞬く間に広がり、多くの住民が犠牲になった。なぜ火災は拡大し、住民たちの命を救うことはできなかったのか。 火災について取材を進めると、消火活動を阻むいくつもの想定外と誤算が重なっていたことがわかった。 (金沢放送局 記者 竹村雅志) 帰省中だった清水宏紀さん(46)の実家は朝市通りのすぐそばにあった。 ゆったりとした元日を、父の博章さん(73)と、母のきくゑさん(75)の3人で過ごしていた。 ケーキを食べながら、2日前に誕生日を迎えたきくゑさんを祝っていた。 午後4時すぎ、輪島市で震度4と震度7の地震が相次いで発生。 1回目の揺れのあと、清水さんは「津波がくるかもしれない」と思い、駐車場に止めてある車のもとへ向かった。 そのとき、2回目の大きな揺れ
鹿児島県南さつま市出身の尾辻秀久参院議長(82)は15日の全国戦没者追悼式で昨年に続き「追悼の辞」を述べた。父親が32歳で戦死した遺族の一人として「今、私たちがしなければならないのは犠牲となった方々を忘れないことと戦争を絶対起こさないこと」と訴えた。 尾辻氏は3歳のときに父を失い「焼け野原の中、おなかをすかせて大きくなった」と貧しい幼少期を振り返った。母も41歳で亡くなり、「戦没者の妻の皆さんが母親代わりになってくれた」と述べた。 遺骨収集の様子にも触れ、「私たちは生きるか死ぬかという中を肩を寄せ合い生き抜き、平和で豊かな国を造った」と強調。「平和を守るため、経験を次の世代に語り継ぐ」と誓った。 尾辻氏は追悼の辞を「1週間ほど思案した」とし、「戦争の悲しさやつらさを知る者として、戦争だけはしてはいけないということを強く言い残しておきたかった」と話した。 霧島市出身で父が戦死した野村哲郎農林
「隠然」似合った政治家 裏で汗かき手柄は人に―青木元官房長官死去 2023年06月13日11時01分配信 小泉純一郎首相(中央)と手を組む(左から)自民党の安倍晋三幹事長代理、久間章生総務会長、武部勤幹事長、一人おいて与謝野馨政調会長、青木幹雄参院議員会長、片山虎之助参院幹事長(肩書は当時)=2004年9月、東京・永田町の同党本部 自民党の青木幹雄元参院議員会長が死去した。病に倒れた小渕恵三首相の後継を森喜朗氏に決めるまでの動きに深く関わるなど、1990年代後半から2000年代初頭の政界で重要な役割を果たした。与野党に太いパイプを築いて「参院のドン」と称され、引退後も隠然たる存在感を発揮。一時代に名を刻んだ政治家だった。(肩書は当時) 自民・茂木派、力関係変化も 岸田首相再選戦略に影響か―青木氏死去 青木氏は竹下登首相の秘書や島根県議を経て参院議員に転身。竹下氏の側近中の側近として知られ、
前回の「君と夜の隅で。」というエントリの題名については、はてなブックマークで謝ったとおりです。おいらは歴史クラスタでも文学クラスタでもないので、戦争文学の基礎中の基礎とも言うべき作品に手を付けたことがありません。 という弁解(になっていない)をはてブで書こうとしたのですが、文字数の関係で後半は載せられずじまいでした。まあ、無理して入れるほどの面白いことでもないしね。ついでと言ってはなんですが、そのこと関連して思い出した、同じ2022年のアニメ映画のことでも。察した方もいるかもしれませんが、新海誠監督の『すずめの戸締まり』でっす。え、今さらですか。今さらです。『天気の子』も、公開から5ヶ月後くらいに感想を書き連ねていたので、それと大差ないでしょう。 この映画、最初の印象があまりよくなかったのを覚えています。その最大の理由は、周辺で最初に観た人の感想でした。いや、面白いとか面白くないとか評価を
どうしてそんなことができたのだろうか。 「ドーン」「ドーン」 動けないほどテープでぐるぐるに巻かれた男性が、トランクの中から車を蹴とばす音が、聞こえてきた。 どうにかこうにか、テープをほどいたのだった。 (取材し直すと、後に警察は男性と同じ体格の警察官をテープで巻いて、ほどけるか実験をしていた。ほどけなかった。男性はそれをほどくほど必死だった) トランクの様子に慌てた男たちは、人影がない周囲が畑という場所で車を止めた。 そして4人が車から降り、スコップなどを手にしてトランクの周囲に陣取り、殴りつける準備をした。 1人がトランクを開ける。 男性は外に飛び出してきた。 畑に向かって大声を出して走り出し、男たちが捕まえようとあとを追う。 多勢に無勢で、男性は捕まってしまう。 その場でひどく殴りつけられ、車に連れ戻された時には抵抗する術はなく、さらに離れた場所に運ばれた。 瀕死の男性はそこで男のコ
先手の羽生が選んだ戦型は角換わり腰掛け銀。藤井がもっとも採用する戦型にあえて飛び込んでいった。 定番の先後同型から、藤井は羽生の出方を待つ。昨年12月の棋王戦での対戦では、羽生は銀矢倉に組み替えたが、本局では玉と金の位置を右に一路ずらすという、凝った組み替えにする。これは2022年2月に指された豊島将之九段-斎藤慎太郎八段のA級順位戦と同じ進行だ。と、ここまで調べていて、あることに気がついた。 第2局の相掛かりも2022年8月の豊島-斎藤戦の順位戦と同一だった。羽生の後手番でも、第1局の1手損角換わりは2022年9月の豊島-永瀬拓矢王座の王座戦五番勝負第3局と、端歩の違いを除けば同じ。第3局の雁木も、2023年1月の豊島-大橋貴洸六段の棋聖戦と同じで、このとき羽生は大橋と同じ陣形にした。 すなわち直前の前例が、すべて豊島の将棋なのだ! 4局とも羽生が戦型を誘導しており、とても偶然とは思えな
東日本大震災の津波に襲われた被災地の中で、岩手県釜石市は市立小中学校の児童生徒が集団で避難し、全員が無事だった。その事実が報じられると、「釜石の奇跡」と大きな反響を呼んだが、生き延びた多くの子どもたちは知人や家族を失い、違和感を抱えていた。釜石東中学校の1年生だった紺野堅太さん(25)も、奇跡という言葉と現実のギャップに苦しんだ一人。それでも、時を重ねて大人となった今は、「奇跡だったかもしれない」と思い直せるようになった。昨年秋から、当時の様子を伝える「語り部」の活動を再開。ありのままに伝えることで将来に起こり得る災害での「犠牲者ゼロ」につながることを願っている。(共同通信=西蔭義明) ▽“崖崩れ”で避難、そこに津波が 2011年3月11日、野球部だった紺野さんは校舎3階の教室で練習の準備をしていた。午後2時46分に激しい揺れ。「どう頑張っても立ってられず、よちよち歩きで机の下に隠れ、机の
唯一とされる『震災当日の医療現場の映像』指揮した外科部長が命じた蘇生中止「やることやって、あかんかったら、次の人を助けなあかん」阪神・淡路大震災トリアージの瞬間 阪神・淡路大震災が発生した28年前の1月17日に、兵庫・淡路島の病院で撮影されたビデオ。震災当日の医療現場を撮影した唯一とされる映像には、混乱する医療現場で『命の選択』を迫られる医療従事者の姿が映し出されていた。 県立淡路病院で撮影された阪神・淡路大震災『当日の映像』 (栗栖茂医師) 「これが私が撮ったオリジナルのフルカセットのテープです。(Q撮影した時のことは覚えていますか?)非常に新鮮に、というか鮮烈に覚えていますね」 当時の県立淡路病院で外科医として勤務していた栗栖茂さん。普段から手術や治療を記録用に撮影していたという。あの日も何気なくカメラを回し始めた。 震災当日の午前9時前、なだれこむように傷病者を運び入れる医師や看護師
2022年10月25日、衆議院本会議。選挙演説中に銃撃され死去した安倍元首相に向けた追悼演説が行われた。演説に臨んだのは、立憲民主党の野田元首相。かつて野党時代の自民党総裁だった安倍氏と、首相だった野田氏は、党首討論の場で、衆議院の解散をめぐる“真剣勝負”に臨んだ間柄だ。追悼演説の中で野田氏は「再びこの議場で、あなたと真剣勝負を戦いたかった」「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん」と天上の故人に語りかけた。演説の全文は以下の通り。 本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。 政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった想い。そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に
安倍元総理大臣に対する国会での追悼演説が10月25日に行われた。 言葉を送るのは、元総理大臣で野党の野田佳彦。立場は違えど、どんな思いで臨んだのか。 かつて追悼の名演説を行ったとして永田町で知られるベテラン議員に、9月の「国葬」で世論が割れたことも踏まえ、国会での追悼演説のあり方を聞いた。 (柳生寛吾) 【リンク】10月25日の野田元総理 追悼演説 全文「私はあなたのことを 問い続けたい」 謹んで受ける 銃撃事件で亡くなった安倍元総理大臣に対する国会の追悼演説は、10月25日午後1時からの衆議院本会議で行われた。 演説の人選は紆余曲折をたどったが、最終的に自民党は10月7日、「遺族や自民党の総意」「総理としての重圧や孤独を最も知っている」として、立憲民主党の元総理大臣、野田佳彦に要請。党執行部と協議した野田は「謹んで受ける」と応じた。 国会の追悼演説とは 現職の国会議員が亡くなると、その議
独自の主張でがん医療の在り方に一石を投じた医師の近藤誠さんが13日に亡くなりました。73歳でした。 近藤さんは1948年に東京都で生まれ、慶応大学医学部を卒業後、慶応大学病院でがんの放射線治療を行い、乳がんの治療で乳房全体を手術で切除することが多かった1980年代に、乳房を温存する治療法を提唱しました。 その後1996年に出版された著書『患者よ、がんと闘うな』はベストセラーになり、独自の主張でがん医療の在り方に一石を投じることとなりました。 一方で、近藤さんの抗がん剤治療などに対するスタンスには、がんの専門医から科学的な根拠に基づいていないなどという批判が多く出されていました。 関係者によりますと、近藤さんは13日、出勤途中に突然体調を崩し、搬送された都内の病院で虚血性心不全のため、亡くなったということです。 73歳でした。
17日午前、埼玉県秩父市にある鉱山のトンネルで30代の男性2人が倒れているのが見つかり、いずれも搬送先の病院で死亡しました。 現場付近の酸素濃度はほぼゼロの状態だったということで、警察は酸欠が原因とみて詳しく調べています。 17日午前11時すぎ、埼玉県秩父市中津川にある鉱山のトンネルで、50代の男性から「一緒にトンネルに入った男性が酸欠で倒れた」と消防に通報がありました。 消防が現場に駆けつけたところ、男性2人がトンネルの入り口から300メートルほど進んだ場所に倒れているのが見つかり、病院に搬送されましたが、まもなく死亡が確認されました。 警察によりますと、死亡したのは、いずれも東京・大田区に住む36歳と35歳の会社員の男性で、2人が見つかった現場付近は酸素濃度がほぼゼロの状態だったということです。 警察は酸欠が原因で死亡したとみて詳しく調べています。 亡くなった男性2人は、SNSを通じて
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く