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2014年12月1日のブックマーク (11件)

  • テリー伊藤対談「作曲家・新垣隆」(1)演出家として佐村河内氏は優秀だった | アサ芸プラス

    ●ゲスト:新垣隆(にいがき・たかし) 作曲家、ピアニスト。1970年生まれ。東京都出身。千葉県立幕張西高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部作曲科卒業。元・桐朋学園大学音楽学部作曲専攻非常勤講師。今年2月、「全聾の作曲家」として世間の注目を集めていた佐村河内守氏のゴーストライターであったことを公表し、話題になった。8月19日午後7時より、札幌市中央区・札幌コンサートホールKitaraにて「作曲家・ピアニスト新垣隆の世界」を開催予定。 “現代のベートーベン”佐村河内守氏のゴーストライターとして、今年2月の告発会見で謝罪した作曲家・新垣隆氏。世間を欺いた事件のもう1人の主役が語る「全聾の作曲家物語」の知られざる舞台裏とは? 天才テリーも目が離せなかったニュースの真実と、新垣氏の素顔に注目! テリー 佐村河内(さむらごうち)守さんと最後に会ったのはいつですか。 新垣 去年の12月の半ばでした

    テリー伊藤対談「作曲家・新垣隆」(1)演出家として佐村河内氏は優秀だった | アサ芸プラス
  • テリー伊藤対談「ノンフィクション作家・神山典士」(1)佐村河内氏に疑問を抱いた理由とは? | アサ芸プラス

    ●ゲスト:神山典士(こうやま・のりお) ノンフィクション作家。1960年生まれ、埼玉県出身。96年「ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝」にてデビューし、小学館・第3回ノンフィクション大賞優秀賞を獲得。扱うテーマは芸術活動、スポーツ、ビジネス、文化‥‥と多岐にわたる。14年、「週刊文春」2月13日号にて、同誌取材班とともにスクープ記事「全聾の作曲家はペテン師だった!ゴーストライター懺悔実名告白」を発表。社会的な反響を呼び、同記事は第45回大宅壮一ノンフィクション賞・雑誌部門を受賞した。 全聾の作曲家として「現代のベートーベン」と絶賛されていた佐村河内守氏。その虚構を世に知らしめたノンフィクション作家・神山典士氏が登場。騒動の発端となった記事「全聾の作曲家はペテン師だった!」の裏舞台と人間模様に、天才テリーが迫った! テリー 神山さんが佐村河内守さんの盗作に気づいたのは、いつ頃だったんで

    テリー伊藤対談「ノンフィクション作家・神山典士」(1)佐村河内氏に疑問を抱いた理由とは? | アサ芸プラス
  • 天井から毒物が降ってくる

    生きている心地がしません。やめてもらえないかと思います。

    天井から毒物が降ってくる
  • blog-entry-3978.html

  • 宗教改革者 マルティン・ルターの素顔 | 緒方-ヴェストベルグ 美樹の “グローバル インナーマッスル”

    絶対に行きたいと思っていた、マルティン・ルター展。フランクフルトから車で1時間くらいかけて、開催地のマンハイムまで、行ってきました!美術館外観↓ 宗教改革で、古いヨーロッパを揺るがし、プロテスタント派の始まりとなった、かの有名なマルティン・ルター。当時は、彼がヨーロッパの人だとは理解していましたが、ドイツ人だとは知りませんでした(忘れただけかも・・)。でも、中学や高校時代の世界史の授業で、何度彼の名前や年号を見かけ、暗記し、テストで書いたりしたか、今でも鮮明に覚えています(結局、彼の何が革命的だったのか、当のところ、具体的に何をした人なのかは、テスト前に繰り返し勉強した割には、どこにも記載が出てこなかったような・・・。これも記憶が残っていないだけかしら??) でも、名前と共に、ずっと忘れることが出来なかったのは、印象的な彼の肖像画↓。 「懐かしい~」と、私と同様に、学生時代を思い出された

    宗教改革者 マルティン・ルターの素顔 | 緒方-ヴェストベルグ 美樹の “グローバル インナーマッスル”
  • ジャン・カルヴァンの生涯

    ジャン・カルヴァン(1509年7月10日~1564年5月27日) * ピカルディ生まれ。 1509年7月10日、フランスのピカルディ地方のノアヨンに生れる。父は、裕福な中産階級の官省関係・教会関係の役人。 * 「ピカルディ気質」とは: アペル・ルフラン(フランソワ・ラプレー研究家)の指摘。「ピカルディー人は、常に、誰かとあるいは何かと争っている。イギリス人相手に戦っていない場合には、貴族を相手にして戦っていたし、イスパニヤ人を向うにまわしていない場合には、聖職者を向うにまわしていたし、既成制度に歯向わぬ場合には、与えられた観念や思想に歯向っていた」。 「のぼせ頭のピカルディー人」ということわざもある。かっとなって反抗的になる気質。 カミーユ・デムーラン、バブーフ、ジュール・ミシュレ、ピエール・ラ・ラメ、ルフェーブル・デタープルらがピカルディ生まれ。 * ノワヨンのカペット学寮で、古典学の基

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 偽エチオピア皇帝事件とかいうほのぼのニュースwww

    エチオピア皇帝到着当時、イギリス人の多くはエチオピアの事など何も知らなかったので、乗組員達は一体どんな人達なのだろうかとワクワクしながら待っていました。 そして午後二時。 ついにエチオピア皇帝を乗せたお召し列車がウェイマス港に到着。 駅は、海軍による歓迎と野次馬で集まった民衆、そしてそれを抑える警官でごった返していました。 そんな中、列車から降り立ったのは、エチオピア皇帝、皇女、召使が二人に通訳とイギリスの外務官の計6人でした。 メイは6人を案内し、様々な最新の軍事兵器やイギリス海軍の武功を語り、その度にエチオピア皇帝は「ブンガブンガ!」と感心したご様子。 通訳は、「ブンガブンガとは大変素晴らしいという意味だ」と告げると、メイを始めとしたイギリス海軍兵士は皇帝が喜んでくれていると思い、舞い上がってしまいます。 また、晩餐に誘うと、皇帝はこれを丁重に断り、軍艦の中を見学させて欲しいと言いまし

    偽エチオピア皇帝事件とかいうほのぼのニュースwww
  • なぜ「少年十字軍」の悲劇は起こったか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    聖地解放への不満が爆発した民衆運動 少年十字軍は、13世紀のフランスとドイツで起こった特異な民衆運動です。 主に12歳〜15歳の少年少女が聖地奪還を掲げて、集団でエルサレムを目指しました。 武器はおろか、資金も料もない集団だったので、エルサレムにたどり着くどころか、地中海沿岸の町に着いたところで大部分が諦めて故郷に帰っていきました。 しかし残った者たちの中には何とかエルサレムに行こうと粘るうち、奴隷業者に騙されて売られてしまう悲劇も生まれました。 この運動の特異なところはこの2点です。 主宰者とそれに賛同した者の大部分が、少年少女であったこと 教皇や皇帝が焚き付けることなく、自然発生的に生まれ広がった運動であること なぜこのような運動が起こったのかと、運動の詳細を追っていきましょう。 少年十字軍が興った時代背景 聖地奪還どころかキリスト教国同士でケンカ 第1回十字軍(1096〜1099)

    なぜ「少年十字軍」の悲劇は起こったか - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • ちょっと変わった 第4回十字軍論 - ちょっとした話

  • 第四回十字軍とかいう世界史が生んだお笑い集団

    Wikipedia『第四回十字軍』 第4回十字軍は、インノケンティウス3世によって呼びかけられ、フランスの諸侯とヴェネツィアを中心として行われた十字軍。 結果的にキリスト教国の東ローマ帝国を攻略し、コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル・現イスタンブル)を陥落させ、略奪・殺戮の限りを尽くしたため、最も悪名の高い十字軍とも呼ばれる。 東ローマ帝国を一旦滅亡させたために、十字軍の当初の目的とは逆にこの地域のキリスト教国家の力を削ぎ、後のオスマン帝国による東ヨーロッパの大部分の支配の伏線のひとつとなった。

    第四回十字軍とかいう世界史が生んだお笑い集団