タグ

ブックマーク / blog.goo.ne.jp/marifle1010 (15)

  • イギリス王ジョージ3世王女 アメリア - まりっぺのお気楽読書

    弱り果てた父王にとどめを刺した王女 ジョージ3世王女 アメリア・オブ・ユナイテッドキングダム 1783~1810 アメリアはジョージ3世とシャーロット・オブ・メクレンブルク=ストレリッツの六女です。 一番年が近い姉ソフィアとは6歳違い、長男ジョージ(4世)とは21歳離れていました。 父王ジョージ3世のお気に入りでエミリーと呼ばれていました。 アメリアは生まれた時から可愛いと賞讃され、間違いなく魅力的になると思われていました。 小さな時から自分の立場がわかっていて、大女優サラ・シドンズが 「可愛いベイビーにキスさせて」とせがむと、即座に小さな手を差し出した、 という逸話がございます。 ほーら!可愛いでしょう!! アメリアはたいてい姉のメアリーやソフィアとすごしていました。 年少の3人は箱入りとはいえ年長の3人より少しだけ両親の手綱が緩んでいたようで かなりのお転婆さんだったようです。 何度も

    イギリス王ジョージ3世王女 アメリア - まりっぺのお気楽読書
  • 『ジョイ・ラック・クラブ』母娘のギャップと愛はどちらが深い? - まりっぺのお気楽読書

    THE JOY LUCK CLUB 1989年 エイミ・タン 中国からアメリカに渡った女性たちとその娘たちのことを エピソード形式で語っている物語です。 読む前は、祖国の習慣やしきたりを大事にしようとする母親世代と アメリカで生まれて、かなり自由な雰囲気の中で育った娘世代の隔たりを 書いている物語だと思っていましたが、そんなに単純なものではありませんでした。 ジンメイ・ウーというコピーライターの女性が、急死した母親の代わりに ジョイ・ラックという女性四人が麻雀卓を囲んで語り合うクラブに参加するところから 物語が始まります。 長編とはいえ、8人の女性たちのエピソードが交互に書かれているので あらすじを書くのはむずかしいのですが、簡単に内容を書いてみます。 大きく四つの章に分かれていて “ 千里を越えてきた母 ” は、スーユアン・ウー、アンメイ・シュー、リンド・ジョン、 インイン・セント・クレ

    『ジョイ・ラック・クラブ』母娘のギャップと愛はどちらが深い? - まりっぺのお気楽読書
  • イングランド王ヘンリー7世妃 エリザベス - まりっぺのお気楽読書

    英国王室女性随一のサラブレッド ヘンリー7世妃 エリザベス・オブ・ヨーク 1465~1503/在位 1486~1503 テューダー王家初の王ヘンリー7世の妃エリザベスは 英国王室の女性の中でただ一人、イングランド王の娘であり、姉妹であり、姪であり であり、母であった女性  セレブ中のセレブです。 そんな畏れ多い身分の彼女ですが、父王は戦いにあけくれ 父王の死後は教会の庇護を受け、弟のエドワード5世とヨーク公を 頼みの綱の叔父に殺され、その叔父も戦死してしまい 母親の生家に力は無く、明日はどうなるか(ってことは無いと思うけど)という なんとも穏やかでない日々を送りました。 エリザベスは5歳の時にノーサンバランド伯の息子と婚約しましたが 相手方が寝返ったために破談に、次いでフランス皇太子シャルルと縁談がありましたが 父王ルイ11世が同意せずうまくいきませんでした。 自分の意志でないとはいえ、

    イングランド王ヘンリー7世妃 エリザベス - まりっぺのお気楽読書
  • オーストリア皇帝フェルディナント1世妃 マリア・アンナ - まりっぺのお気楽読書

    愚かな皇帝の幸福な妃 フェルディナント1世妃 マリア・アンナ・フォン・サヴォイエン 1803~1884/在位 1835~1848 弱々しかったフランツ1世の後を継いだのは さらに弱々しい、というか虚弱で意志薄弱なフェルディナント1世でした。 オーストリアは引き続きメッテルニヒの思い通りの国政を行うことになります。 フェルディナントは即位の4年前に、また従妹にあたるマリア・アンナと結婚しました。 ところが廷臣の誰もが見放したという無能のフェルディナントを マリアはぞっこん愛したらしいのね そしてフェルディナントもマリアに夢中だったらしいよ。 ふたりはべったりだったそうでございます。 でもお子はできませんでした。 そうこうしているうちにメッテルニヒがすすめていた保守的な政治に 帝国内の不満は高まり、ついに1848年に3月革命がおこります。 メッテルニヒは失脚してロンドンへ亡命し お飾りにしかす

    オーストリア皇帝フェルディナント1世妃 マリア・アンナ - まりっぺのお気楽読書
  • 神聖ローマ皇帝レオポルト1世妃 マルガリータ - まりっぺのお気楽読書

    皇帝を “おじさん” と呼んでいた皇后 レオポルト1世妃 マルガリータ・テレジア・フォン・シュパニエン 1651~1673/在位 1666~1673 ベラスケスの肖像画で有名なマルガリータ王女は 陶器のような肌、青い瞳、ブロンドヘアのとても美しい少女で フェリペ4世の一番のお気に入りの子供でした。 15歳の時に叔父のレオポルト1世と結婚することになりました。 フェリペ4世も姪にあたるフェルディナント3世の皇女マリア・アンナを 王妃に迎えていました。 ここらへんの血族結婚は激しさを増してきますね。 なぜかというにスペインの王位継承が危険な状態にあったからです。 マルガリータが嫁いだ時、生き残っていたフェリペ4世の子供は 彼女以外には虚弱な王子カルロス(2世)とルイ14世妃マリー・テレーズだけでした。 もしカルロスに跡継ぎができなければ、ブルボン家が黙っちゃいません。 だってマリー・テレーズの

    神聖ローマ皇帝レオポルト1世妃 マルガリータ - まりっぺのお気楽読書
  • ポルトガル王アフォンソ5世妃 ジョアナ - まりっぺのお気楽読書

    またの名を “ ベルトランの娘 ” アフォンソ5世妃 ジョアナ・デ・トラスタマラ 1462~1530/在位 1475~1479 ファナ(ジョアナ)の母親はポルトガル王ドゥアルテとレオノール・デ・アラゴンの 王女ジョアナで、父親はカスティーリャ王エンリケ4世ということになっていますが スペインでは “ ファナ・ベルトラネーハ(ベルトランの娘)” と呼ばれていました。 ベルトランとは母と噂のあったアルブルケルケ伯のことです。 母ジョアナは司教フォンセカの城へ追放にされた上に フォンセカの甥と愛し合っちゃって、1468年に結婚を取り消されました。 エンリケ4世はイサベル1世の異母兄にあたります。 異母妹弟を恐れたエンリケは早々にファナを後継者に指名して カスティーリャ王位を要求するアフォンソ5世と結婚させることにします。 アフォンソは1455年に王妃イサベル・デ・アヴィシュを亡くしていました。

    ポルトガル王アフォンソ5世妃 ジョアナ - まりっぺのお気楽読書
  • ロシア皇帝パーヴェル妃 マリーヤ - まりっぺのお気楽読書

    深い愛を捧げた皇妃 パーヴェル妃 マリーヤ・フョードロヴナ 1759~1828/在位 1796~1801 醜いというレッテルを貼られ前ナタリヤにはすぐに愛想をつかされてしまった パーヴェルなんですけれども、見る人によってはぜんぜん違ったようで 再婚したマリーヤは終生彼にメロメロでした。 改名前はゾフィー・ドロテアといって、ヴェルテンブルク公の娘です。 パーヴェルがナタリヤと結婚した時お妃候補にあがっていたのですが 13歳という若さだったので外されていました。 ナタリヤが亡くなってからパーヴェルは嘆き悲しんでばかりいたのですが エカチェリーナ2世がさっさと再婚相手を選び結婚させてしまいました。 ゾフィーは背が高くぽっちゃりしていて、ホッペタの赤い健康そのものの少女でした。 かなり高い教育を受けていて4カ国語が操れ、芸術にも造詣が深かったそうです。 パーヴェルは第一印象で「でっかいけど、まあ

    ロシア皇帝パーヴェル妃 マリーヤ - まりっぺのお気楽読書
  • デンマーク王クリスチャン2世妃 エリサベス - まりっぺのお気楽読書

    暴君に尽くした若き王妃 クリスチャン2世妃 エリサベス・アフ・エストリク 1501~1526/在位 (デンマーク王妃、ノルウェー王妃)1515~1523 (スウェーデン王妃)1520~1521 エリサベスはカスティリア王フェリペ1世と女王ファナ・ラ・ローカの王女です。 ファナの病は重くなる一方でしたので叔母マルガレーテの教育を受けて育ちました。 なにしろハプスブルク家、神聖ローマ皇帝の孫、お金もあるでしょってことで 引く手あまただったエリサベスに、最初に手を上げたのがデンマークでした。 デンマーク王クリスチャン2世は、とにかく乱暴者で有名なのです。 1520年の “ ストックホルムの血浴 ” が有名ですが これはスウェーデンの反乱貴族を「許してあげよう」と晩餐に呼んどいて 大広間で虐殺してしまったという出来事です。 若い頃から残虐、放蕩、無節操でならしていたクリスチャン2世は すでにディー

    デンマーク王クリスチャン2世妃 エリサベス - まりっぺのお気楽読書
  • フランス王シャルル6世愛妾 オデット - まりっぺのお気楽読書

    “ 小さな王妃様 ” と呼ばれた愛妾 オデット・ド・シャンディベール 1390~1425/愛妾 1407~1422 オデットは、発作がおこると王妃イザベルを恐れるようになったシャルル6世を 王妃に変わって(いろんな意味で)お世話するために選ばれた女性でした。 父親(兄説あり)とされるギィなる人物は、王妃イザベルの従者と シャルル6世のかまど番との2名の記録が残っていますが どちらもブルゴーニュ公の忠実な徒党でした。 ブルゴーニュ公ジャンは、王がブルゴーニュ派に加担するよう説得しろと オデットに頼んだと言われています。 シャルル6世の弟で、敵でもあり、その上王妃の愛人だったオルレアン公ルイが 亡くなった1407年頃から王の愛妾になりました。 その年のうちにマルグリートという娘が生まれています。 精神病の王に打ちのめされ、恐れ、嫌って不貞をはたらいていた王妃イザベルは オデットが自分の代わりを

    フランス王シャルル6世愛妾 オデット - まりっぺのお気楽読書
  • フランス王ルイ12世王女 レネー - まりっぺのお気楽読書

    義理の母がチョー有名! ルイ12世王女 レネー・ド・フランス フェラーラ公エルコレ2世妃 1510~1574 イタリア支配を夢見ていたシャルル8世は若くして亡くなりました。 王妃アンヌ・ド・ブルターニュは7回妊娠しましたが、皆死産や流産 あるいは幼くして亡くなりました。 王女は3人ですが、お名前がついたのは末子のアンヌだけです。 アンヌ・ド・ブルターニュが再婚したのがルイ12世です。 ルイ12世は、ルイ11世王女ジャンヌと結婚していましたが、無理くり離婚して再婚しました。 ジャンヌとの間にお子様はいません。 アンヌ・ド・ブルターニュはまたまた9回妊娠しましたが、成長したのは王女二人でした。 長女クロードはフランソワ1世妃になります。 アンヌ・ド・ブルターニュは自分の領地であるブルターニュの自治を守るため 日々戦っていまして、ブルターニュをレネーに譲ろうと考えていましたが ルイ12世が承諾し

    フランス王ルイ12世王女 レネー - まりっぺのお気楽読書
  • フランス王アンリ4世妃 マルグリート - まりっぺのお気楽読書

    ニックネームはマルゴ アンリ4世妃 マルグリート・ド・ヴァロア 1553~1615/在位 1589~1599 アレクサンドル・デュマ・ペールの小説もあり、映画もあって有名なマルゴですが いったいどんな王妃だったのでしょう? アンリ2世の娘に生まれ、3人の兄も王になるという輝かしいバックボーンを持つマルゴは 愛する人と結ばれなかったり夫に愛されなかったりして、悲劇の王妃といわれる一方 生まれついての淫蕩ぶりで悪評名高い王妃にもなっています。 マルゴは11歳で既に3人の情人がいたといわれていますが、それでは飽きたらなかったのか 10代前半から露出が多いスケスケのドレスで男の気を惹いていたそうですよ いったい賢母カトリーヌ・ド・メディシスは何してたんでしょうね? 10歳前後のマルゴです。このころすでに… マルゴは “ パリ王 ” と呼ばれ人気絶大だったギーズ公アンリを愛するようになり ふたりは結

    フランス王アンリ4世妃 マルグリート - まりっぺのお気楽読書
  • フランス王ルイ7世王女 アニェス - まりっぺのお気楽読書

    肖像画が無いので義母マリア・アンティオキア像 異国の地でたらい回し ルイ7世王女 アニェス・ド・フランス ビザンツ皇帝アレクシオス2世皇后/ビザンツ皇帝アンドロニコス1世皇后 テオドール・ブラナス夫人 1171~1204/在位 (アレクシオス2世皇后)1180 (アンドロニコス1世皇后)1183~1185 ルイ7世の末娘アニェスの母親は3人目の妃アデール・ド・シャンパーニュです。 アニェスは、ビザンツ皇帝マヌエルの皇太子アレクシオス(2世)に嫁ぐため 7歳の時にフランスを出て、8歳の時にコンスタンティノープルに到着しました。 幼い娘を送り出すルイ7世の親心からものすごく飾りたてられていたそうです。 同じ頃、異母姉のアデールもイングランドに送り出されました。 二人はその後顔を合わせることが無かったと考えられています。 マヌエル1世はイタリア奪回・古代ローマ帝国再興という夢を抱いていて “ 神

    フランス王ルイ7世王女 アニェス - まりっぺのお気楽読書
  • 神聖ローマ皇帝フランツ1世皇女 マリア・アンナ - まりっぺのお気楽読書

    華やかな一家の陰で生きた皇女 フランツ1世皇女 マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ 1738~1789 フランツ1世とマリア・テレジアに16人のお子さんが生まれたのは有名なお話し。 皇女は11人で、有名なのはなんと言っても十一女のフランス王ルイ16世妃 マリア・アントニア(マリー・アントワネット)ですよね。 さて、他の皇女の皆さんはどんな人生を送られたんでしょうか? 長女のマリア・エリーザベトは3歳で亡くなっています。 マリア・アンナは次女で、宮廷ではマリアンネと呼ばれていました。 マリアンネはとても知的な女性でした。 でも、詳しいことは不明なんですけど(脊椎カリエス説あり) 身体的にちょっと悪いところがありました。 最初の縁談が破談になってからはお妃候補にあげられることがありませんでした。 皇子誕生を待ち望む中生まれてきた二人目の皇女で、すぐに皇子ヨーゼフ(2世)が生まれ 病弱だった

    神聖ローマ皇帝フランツ1世皇女 マリア・アンナ - まりっぺのお気楽読書
  • 「ロシア皇妃」のブログ記事一覧-まりっぺのお気楽読書

    さようなら、ロシア皇室 ニコライ2世妃 アレクサンドラ(アリックス)・フョードロヴナ 1872~1918/在位 1894~1917 改名前の名はヴィクトリア・アリックスで、ドイツのヘッセン大公の公女ですが 母親が大英帝国女王ヴィクトリアの王女アリスで、イギリスで教育を受けていました。 ニコライの叔父セルゲイとアリックスの姉エリザベスが結婚することになり ふたりは初めて顔を合わせます。 16歳のニコライと12歳のアリックスはお互いを憎からず思い その5年後にモスクワで再会してから愛し合うようになったと言われています。 けれどもアリックスを気に入っていたヴィクトリア女王は、彼女と、同じく孫の (切り裂きジャック説がある)クラランス公アルバートと結婚させたがっていました。 ロシアでもアンチ・ドイツのアレクサンドル3世夫がアリックスとの結婚には反対で 次々に他の王女との縁談を考えますが、いずれも

    「ロシア皇妃」のブログ記事一覧-まりっぺのお気楽読書
  • ロシア皇帝ニコライ2世妃 アレクサンドラ - まりっぺのお気楽読書

    さようなら、ロシア皇室 ニコライ2世妃 アレクサンドラ(アリックス)・フョードロヴナ 1872~1918/在位 1894~1917 改名前の名はヴィクトリア・アリックスで、ドイツのヘッセン大公の公女ですが 母親が大英帝国女王ヴィクトリアの王女アリスで、イギリスで教育を受けていました。 ニコライの叔父セルゲイとアリックスの姉エリザベスが結婚することになり ふたりは初めて顔を合わせます。 16歳のニコライと12歳のアリックスはお互いを憎からず思い その5年後にモスクワで再会してから愛し合うようになったと言われています。 けれどもアリックスを気に入っていたヴィクトリア女王は、彼女と、同じく孫の (切り裂きジャック説がある)クラランス公アルバートと結婚させたがっていました。 ロシアでもアンチ・ドイツのアレクサンドル3世夫がアリックスとの結婚には反対で 次々に他の王女との縁談を考えますが、いずれも

    ロシア皇帝ニコライ2世妃 アレクサンドラ - まりっぺのお気楽読書
  • 1