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ブックマーク / soorce.hatenablog.com (6)

  • テラさん(寺田ヒロオ)最後の雑誌連載は「ひとこまマンガ」だった(1982〜1983年) - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

    きみたちのまんがに賭けた情熱はそんなにアマッチョロイものだったのか!!(挨拶) テラさん(寺田ヒロオ)といえば、かの「トキワ荘」の兄貴分。 「まんが道」に登場したり、映画「トキワ荘の青春」では主役だったりするのですが、様々な葛藤と経緯の果てに、1973年には絶筆した、とする記述が多く見受けられます。 しかし、その後の復帰についての記述がどこにも見当たりません。 実は、1982年より、再び筆を執っていたこのです。*1 その中でも連載と言えるのがこちら。 掲載誌 角川書店「ザ・テレビジョン」 掲載時期 1982年9月より、翌1983年4月まで全29回*2 掲載内容 「ひとこまマンガ展」というコーナーでひとこまマンガを連載。 季節に合わせたものなど、ほのぼのとしたのありで、こんな感じの。 創刊号、第4号 以後 最終回 解説 「ひとこまマンガ展」は、土曜から金曜までの番組表に付随する形で、日替わり

    テラさん(寺田ヒロオ)最後の雑誌連載は「ひとこまマンガ」だった(1982〜1983年) - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明
  • 2008-12-17

    やっぱり傑作としか言いようが無いです。是非読んで欲しい。 青春少年マガジン1978〜1983 笑って、驚愕して、恐怖して、涙する。 雑誌掲載時に毎回感想書いてたんでそのまま下記にまとめます。 短期集中新連載。文句を言いつつも結構楽しげに描いて見せるという感じ。ってたった5年しかやってないんだっけ?そうか、ヤンマガやモーニングに移っちゃったからか。 もろが卓と小野新二ですか、そうか、同期でしたか。小野新二の方は既に亡くなっちゃってます。もろが卓はHPあるけど4年くらい更新されてないのかな。 初連載が週刊でその上アシスタントなしだったのか!無茶するもんだ。確かに単行で見てもこりゃあかん、みたいな箇所はあった記憶。「締切は輪ゴムのように伸びて、プチンと切れる」みたいな言葉があったような。誰が出典だっけ? 大和田夏希ももう亡くなってるんですよね。漫画家は若死にが多いよなー。 マガジンは作家コメン

    2008-12-17
  • 2008-09-17

    今、週刊少年マガジンで小林まことが「青春少年マガジン1978〜1983」ってのを短期集中連載してるんですけど、これが面白いのなんの。 そこで、その周辺のこと書いたがあったら読みたいなと探してきたのがこれ。 2004年に東邦出版から出た『「ダメ!」と言われてメガヒット』 「ダメ!」と言われてメガヒット―名作マンガの知られざる制作現場 これの第8章が「1・2の三四郎」とその後の小林まことに割かれているんですが、アシスタントだったこしばしげるらが語った原稿を落とした時のエピソードがちょっと酷いのでご紹介。 夏のある日、小林さんが仕事場に来なかったので、こしばさんは近所の公園で音楽を聴きながら体を焼いていた。 フッと気がつくと、いつの間にか、小林さんが横にいる。逃げ疲れた犯罪者のような顔をしていた。 「いいなー、こしばは・・・・・・」 そう言いのこすと、またいなくなった。そして、その週マイケル*

    2008-09-17
  • 小林まこと版「ワイルド7トリビュート」は見事なまでの「予告編」でした - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

    日発売の少年画報社ヤングキング21号に掲載された「ワイルド7トリビュート」は、小林まことスターシステムの役者たちが、劇場版ワイルド7に出演して大暴れ!ってノリ。 「関の弥太ッペ」は柔道部物語のメンバー中心の芝居でしたが、こちらは三四郎軍団を中心に。 ヤングキング 2009年21号 に掲載されております。 文字演出のフォーマットやなんやかや、完璧に東映予告編なので、この辺を見ておいてから読むと、文字の動きとかをイメージしやすくなると思います。 なにせ、最初のコマからこうですから。 この後、主人公たちのロングショットからのズームインなんかは西部警察かも? カラーページの部分のカメラワークは、固定で主人公にズームしていくな、とか、動きを想像しながら読むとかなり脳内再現出来て面白い。 ここは回転して出てきてるけど こっちは左から立ち上がって来てるな、とかですね。 キャラクターは上にも書きましたが

    小林まこと版「ワイルド7トリビュート」は見事なまでの「予告編」でした - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明
  • かんなぎ騒動で思い出したけど、池田理代子も「漫画を描くのを止めろ」という脅迫の手紙を受け取ったことがあるよ、と言う話(1979年、講談社Be-Loveより) - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

    私はよく、萩尾望都さんや竹宮恵子さんや大島弓子さんの熱狂的なファンだと称する人たちから、 「めざわりだから、早く漫画界から消えるように」という、おごそかな、迫力ある忠告の手紙を受け取ります。 前にあげた3人の作家的傾向でない作品は価値がないのだから、存在すべきではないというのです。こういうことを、けっして頭の悪くなさそうな女子大生なんかが、きれいな文字でしっかりと書いてくるのだから、暗澹としたきもちになってしまいます。 また、中には集団で、出版社に「○○をやめさせるように」という投書をする人たちもいます。 ここ最近のかんなぎ騒動に関して私がやれることは全く無い*1ので、過去の話を持って来てみることにします。 これは、レディースコミックの歴史*2をいつか記事に出来るといいなーと思って以前*3調べものをしていた時に手にした、講談社BE・LOVEの創刊号*4に載っていたものです。 あまりに状況に

  • 萩尾望都もマニアへの対応には苦慮していた、という話。「まんがABC」(1974年)、「わたしのまんが論」(1976年)より。 - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

    マニアさま―― わたしはまったくもって人間であります ほんとです こういったまんが好きのマニアの一派に、いわば変格マニアとでもいうべき少数派がいて、これを私はド・マニアといっている。 その考察は独断と偏見に満ち、その自己顕示欲はボウリングのボールのごとく、ピンをすっとばして、疾走し、その鼻は芸術性と文学性に満ちて天をあおぎ、一般大衆を見くだすその目はカマキリのごとき。 萩尾望都といえば、1970年代を通じて最も「マニアうけ」した少女漫画家であったと言っても過言ではないかと思います。 やっぱりというか、残念ながらというか、そういう人には(ごく少数だった、とは思いたいけど)困った方もいらっしゃったようで、萩尾望都も少々、いや、かなり苦労していたみたいなんですね。 「まんがABC」より「M・マニア」 別冊少女コミック1974年6月号に掲載された読切「まんがABC」(現在の所単行未収録)より。*

    萩尾望都もマニアへの対応には苦慮していた、という話。「まんがABC」(1974年)、「わたしのまんが論」(1976年)より。 - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明
    amanoiwato
    amanoiwato 2009/04/30
    id:keiseiryokuいや、それこそ「マニア」の言い草になっちゃいますよ。/ただ、近年になればなるほど「描き手」と「読み手」の境界は曖昧になりつつあるな。結局、求められているのは共感で、創造性でも独自性でもない。
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