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人に関するamenomorinoのブックマーク (132)

  • 香港警察、海外に逃れた民主活動家8人に懸賞金

    香港警察が懸賞金をかけるとした民主活動家の一人、羅冠聡(ネイサン・ロー)氏/Anthony Kwan/Getty Images 香港(CNN) 香港警察は3日、海外に逃れた著名民主活動家8人に対し、100万香港ドル(約1800万円)の懸賞金をかけると発表した。 元議員の羅冠聡(ネイサン・ロー)氏、郭栄鏗(デニス・クウォック)氏、許智峯(テッド・フイ)氏など8人は、香港国家安全維持法に違反して外国勢力との共謀や国家転覆をはかった疑いがもたれている。 ここ数年の間に香港を脱出した活動家の多くは、中国政府が香港の自由と自治を弾圧していると訴え続けてきた。 民主活動家の男性7人と女性1人は現在、米国、カナダ、英国、オーストラリアを拠点としている。いずれの国も、国家安全維持法に関する懸念を理由に香港との犯罪人引き渡し条約を停止している。 警察は3日の記者会見で、国家安全維持法に基づきこれまでに260

    香港警察、海外に逃れた民主活動家8人に懸賞金
  • 小室直樹に、キリスト教、イスラム教、儒教、仏教の違いを学ぶ。

    おれはこの前、小室直樹のを読んだ。 読んで、「これはなんかすごいぞ」と思った。思って、立て続けに読んだ。これはもう、令和の小室直樹ブームが来るんじゃないかと思った。いや、そんなブームが来るかどうかはしらない。おれのなかでブームが来た。 二重三重の早とちりに独学の限界を思う どのようなブームか。比較宗教学的ななにかだ。 おれは仏教を中心にいろいろなを読んではいた。しかし、小室直樹のを読んで、それこそ、ハッとしたのである。ほかの宗教と比べてどうか、日におけるその場所はどこか。 小室直樹がはたしてどんな一般的な評価を得ている人かおれにはよくわからない。 なにやら右派への接近と言うか、取り込まれみたいなものもあるように思うが、どうにもそんなもの突き抜けたようななにかがあると感じた。 というわけで、おれは数冊の小室直樹ので、「要諦である」と語られたいくつかの要素を、それぞれの宗教、思想に割

    小室直樹に、キリスト教、イスラム教、儒教、仏教の違いを学ぶ。
  • 急に時間や場所がわからなくなり認知力が低下する「せん妄」は驚くほどに身近、予防するにはどうすればいいのか?

    意識混濁や強迫的な思考・幻想・錯覚がみられる状態「せん妄」は、実は65歳以上の手術患者の50%が経験する症状といわれています。近年は高齢者の外科手術が増加しておりより身近なものとなっているせん妄ですが、家族や近しい人が正しい知識を持っていないと症状が長引いたり合併症を引き起こすリスクが高くなります。科学・健康・教育のジャーナリストであるクラウディア・ウォリス氏が、せん妄を予防したり症状を軽くするための方法をつづっています。 It's Time to Take Delirium Seriously - Scientific American https://www.scientificamerican.com/article/its-time-to-take-delirium-seriously/ ハーバード大学教授であるシャロン・イノウエさんはせん妄の専門家として第一線で研究を行っています

    急に時間や場所がわからなくなり認知力が低下する「せん妄」は驚くほどに身近、予防するにはどうすればいいのか?
  • 手作りキンパに想うこと|村本大輔

    広島の独演会に毎回来てくれるご夫婦がいる。 独演会終わりで声をかけてきてくれた。中年男性の彼は学校の先生をやってるらしく「ぜひうちの学園祭で独演会をやってほしい」と言われた。正直、僕は高校生が好きではない。 どうせおれの独演会なんか口をぽかんと空けて「何意味のわからないことを言ってんだこのじじい」的な感じで見られそうだし、いまもたまに街中でチャリンコに乗った高校生たちに「村ー!」「ウーマンラッシュアワー!」というバカ丸出しのヤジを飛ばしてくるから「高校生は全員こんなやつだ」と思い込んでしまってて、ライトな漫才をしにいくならいいけど、社会の問題なんかを笑いを交え叫ぶような僕の独演会で笑えるような高校生はいないだろうと思ってたからだ。 しかし、そのご夫婦は独演会に来るたびに毎回「学園祭で独演会をー」と言ってこられるものだから、こんなに時間とお金を使って来てくれるなら一回ぐらい、まぁいっかと彼

    手作りキンパに想うこと|村本大輔
  • “何もない”のは誰のせい? 子育てに苦しむ私を救った「三重」での小さな出会いたち - SUUMOタウン

    著: えこ 埼玉県で生まれ育った私が、三重県鈴鹿市に住むことになったのは14年前のことだ。きっかけはありがちで夫の仕事の都合。当時の私は特に深く考えもせず、息子と家族3人で三重への引越しを決めた。 しかし、実際に三重での生活を始めてみると、右も左も分からない地での子育ては、想像以上に苦しかった。 保育園や仕事を探すのは大変だし、近くに育児のちょっとした悩みを話せる友達が誰一人いないことに気づいたときには、まるで箱の中に閉じ込められたような怖さと息苦しさを感じた。しかも当時の私には、気軽に足を運べる屋さんや喫茶店もなく、次第にここには何もない、と思うようになった。 運良く見つけた保育園では、方言で話すお母さん方に囲まれる中、私の標準語はだいぶ浮いており、何気なく発せられた「この辺りの人ではないね」の一言がいちいち突き刺さってしかたなかった。その後、下の子が産まれるころには、さらに育児に追わ

    “何もない”のは誰のせい? 子育てに苦しむ私を救った「三重」での小さな出会いたち - SUUMOタウン
  • この国の不寛容の果てにー相模原事件と私たちの時代(1)神戸金史×雨宮処凛|大月書店

    あす7月26日で、相模原市の「津久井やまゆり園」で障害者19人が殺害された事件から3年。「障害者は不幸しか作らない」とした被告の主張は、日社会に衝撃を与えました。 「生産性」で人の生死を決めるかのような価値観。実は、それはこの事件だけでなく、日社会全体を覆う「空気」ではないのか。そんな問いを出発点に、作家・雨宮処凛さんが6人の識者と対話を重ねました。第1回は、ご自身も自閉症のお子さんを持つ、RKB毎日放送の神戸金史さんです。 記者として、障害を持つ子の父親として雨宮 神戸さんは相模原の事件を取材して、植松被告とも面会を重ねているんですよね。 神戸 はい。私自身、息子が重度の自閉症なので、事件を他人事とは思えませんでした。 雨宮 事件が起こったとき、どんなふうに感じられましたか。 神戸 私は福岡のRKB毎日放送の記者ですが、現在は東京報道制作部長として単身赴任をしています。赴任したのが2

    この国の不寛容の果てにー相模原事件と私たちの時代(1)神戸金史×雨宮処凛|大月書店
  • 余貴美子 「日本や台湾、中国というより、私は客家」

    いまや日映画界に欠かせない存在となった余貴美子(よきみこ・61)は、ふとしたきっかけから「客家」のルーツを意識するようになった。その時、常に「何者」かを演じ続けてきた自らに、初めて「芯」のようなものを感じたという。希代の演技派女優の心に息づく“流浪の民“の記憶を辿った。ジャーナリスト野嶋剛氏がレポートする。 * * * 小指の爪を、やたらに長く伸ばしていた。 自分には意味のわからない漢詩を、いつも書き記していた。 中国武術をやっていて、動きがやけに俊敏だった。 新聞で中国のニュースがあると、赤丸をつけて切り抜いていた。 孫文の立派な写真が、部屋に飾られていた。 中国から台湾へ、台湾から日へ渡った「客家」(*注1)の血を引く女優、余貴美子が、幼い日の記憶に刻んだ祖父の姿だ。 【*注1/漢民族の一民族とされる。中華文明が勃興した黄河中流周辺地域をルーツとし、その後、戦禍に翻弄されながら南方

    余貴美子 「日本や台湾、中国というより、私は客家」
  • 麗しの島から:日本人よ、私たちを忘れないで - 毎日新聞

    軍の軍属として従軍した頃を回想する趙中秋さん。「僕の話を聞いてください」と何度も繰り返した=台湾南部・高雄市で2018年7月8日午前9時55分、福岡静哉撮影 終戦からまもなく73年。軍人や軍属として戦争に参加した台湾人の大多数が90代となり、生存者はわずかとなっている。台湾籍元日兵・軍属は、戦争中は「日人」として約20万人以上が従軍し、3万人以上が戦死した。だが戦後、台湾が日領でなくなったため、十分な補償を今も受けられないままだ。軍属としてミャンマーなどで従軍した趙中秋(ちょう・ちゅうしゅう)さん(90)=南部・高雄市=と、上海の陸軍病院で従軍看護婦だった廖淑霞(りょう・しゅくか)さん(90)=台北市=に今の思いを聞いた。

    麗しの島から:日本人よ、私たちを忘れないで - 毎日新聞
    amenomorino
    amenomorino 2018/08/13
    二十数年前の別冊宝島ムック「台湾興奮読本―台湾・現在進行形!」にもの日本人として従軍された方々のインタビューが掲載されていた覚えが。
  • 親の死の乗り越え方について

    親の死期が迫ってる。 時期は、まあ半年以内だと思う。 すごく寂しくて辛くてどうしようもない感情が湧き出てくる。 すごくすごくお世話になったしここまで育ててくれて感謝してる。 自分はこれまで近しい人の死というものをあまり経験した事が無いから戸惑ってる。 親の死に対する振る舞い方が分からない。 考えない様にしているが夜になるとどうしようもなく悲しくなり涙が出てくる。 正直乗り越えられる気がしない。 親は日に日に弱っていく。 それを見てるのも辛い。 でも出来る事はない。 ただ静かに死を待ってるだけ。 悲しすぎる。 親の死というのは殆どの人が経験する事なんだろうけど、どうしたらいいのだろうか? というかみんなどのようにして乗り越えたのか。 年齢的な意味でいうとまだ寿命には早い。 だから余計に辛い。 これからどうすればいいのだろう。

    親の死の乗り越え方について
    amenomorino
    amenomorino 2016/11/07
    つら過ぎる時は頼れる人がいれば頼って自分にも無理をさせ過ぎないで一緒にいられる時間を大切に。
  • 俺は、みんなの捏造記憶の話を聞きたい - ←ズイショ→

    はい、じゃあ今から面白い話をします。原稿用紙2枚くらいに収まるよう努力するので、とりあえず頼むので読んで下さい。 これは僕が四歳か五歳くらいの頃の話だったと思うんですけど、僕は初孫で小さい頃はそれはもう祖父母にかわいがられてたらしいんですけど、ある時、僕の両親はいなかったのかな、ばあちゃんもいたか記憶が怪しいんですけど。少なくともじいちゃんはいた。じいちゃんと何かしらの動物園か、それに類したイベントに連れてってもらったんですよ。そこで、ゾウに乗れる体験コーナーみたいなのをやっていて、僕はけっこうビビリな子供だったので嫌がったんですけど、おじいちゃんはそういう腰が引けてる僕をからかい半分で連れ出すのが好きな人だったので、結局ゾウに乗ることになって。時代なのかな、今じゃそんなん危なくて絶対無理なんだろうけど、鞍も何もついてない背中に直接またがるのね。櫓の上から。それで、僕が前でおじいちゃんが後

    俺は、みんなの捏造記憶の話を聞きたい - ←ズイショ→
  • 小泉今日子のいる場所。

    糸井 ぼくのほうが小泉さんよりもずっと年上なんですが、 かなり昔に相談したことがあるの、覚えてます? 小泉 覚えてます。 吉ばななさんの 『とかげ』の朗読CDを作ったときですよね。 糸井 そう。 「キョンキョン『とかげ』を読む」 という朗読CDを作ろうと思って、 小泉さんにお願いしたら引き受けてくれて。 その収録のときに時間があったんで、相談をしたんです。 ぼくには娘がいるんだけど、 ちょうどそのころ、「娘とお父さん」のことで 考えることがいっぱいあってね。 で、小泉さんにご自身のお父さんのことを聞いたんですよね。 小泉 はい。そうでした。 糸井 どんなふうに聞いたのかは忘れたけど、 小泉さんは、 「私はお父さんのところに行ってる時間が楽しかった」 と言ってくれて。 ぼくは、それがうれしかったんです。 小泉 私は、父とすごく馬が合うんです。 私が中学生のころに家庭が崩壊して 一家離散のよ

  • 合理的配慮は「ずるい」のか  - うちの子流~発達障害と生きる

    合理的配慮に関する私の記事にこのようなコメントをいただきました。 同じクラスに障害者のお子さんがいます。 特別学級もありますが、 全く学習にはついていけなくても クラスには在籍させたい(お母様のご希望で) と聞きました。 合理的配慮で付き添いの先生も配置されました。 これは当に子供の為なのでしょうか? 法律改正を盾にした親のエゴなのではないでしょうか? 特別学級でその子に合った学習をさせてあげたら良いのにと思う一方、この様な考え自体差別なのかと悩んでいます。 障害で差別される事は悲しい事だと理解はしていますが、 合理的配慮により、遠慮のないやって貰って当たり前的な考えには疑問です。 どう考えたら合理的配慮を心から納得出来るのかと悩んでいます。 障害のない子供達だけのクラスとそうでないクラスでは学習スピードも違うと思います。 なのでそれは将来医者になり障害者を助ける側になる可能性がある子の

    合理的配慮は「ずるい」のか  - うちの子流~発達障害と生きる
  • 「死んで詫びます」は、雨乞い - ←ズイショ→

    上記のエントリではタイトルの通りに「人は絶対に認めないし、自覚もしてないんだろうけど、『私もう死にます』なんて言うのは、結局は脅迫なんだよ脅迫」という話をしている。そうだと思う。傍から見てそういうものは脅迫として機能している。ただ、それはこっちからはそう見える話であって向こうからは違うように見えてるはずだ。 それはたぶん雨乞いなのだろうなと思った。ので、そのことを書く。 けど、別にこれは「あれは脅迫のつもりじゃないんだよ」と擁護したいわけでも「向こうにも向こうなりの事情があるので勘弁してやって」と言いたいわけでもない。ただ、たぶんこんな感じなんじゃねえかなという想像の話である。そして、これを当の人が読んでも脅迫説と同じく「そんなつもりじゃない」と言われそうだなという気もする。 自分の感情に責任を持てない人がいる。それは自分の感情を上手にコントロールできない人である。 自分の感情を上手に

    「死んで詫びます」は、雨乞い - ←ズイショ→
  • TORI MIKI'S BLOG: 小山田いく氏のこと

    僕のマンガ家デビューは1979年、第12回「週刊少年チャンピオン新人まんが賞」の佳作に入ったのがきっかけで、その年の暮れには最初の週刊連載が始まった。 そして小山田いくが同じ賞の佳作に入ったのは、同じ79年の第13回(同賞は1年に2度募集があり、僕が上期、彼が下期にあたる)。翌年から『すくらっぷ・ブック』の連載が始まった。 かように同賞はなかなか受賞作が出ないまま、佳作に入った応募者を次々にデビューさせていたので「秋田書店は賞金を払いたくないだけじゃないか」と陰でささやかれていた。真相はわからない。 それはともかく、同時期の同雑誌デビュー、歳もほぼ同じ(小山田氏のほうが一歳年上)とあっては、いやがおうにも意識せざるをえない存在ではあった。 しかしそれは、ライバル視、というのとはちょっと違っていた。 僕はギャグマンガを志向しており、小山田いくの描くマンガはキャラクターこそ2頭身から3頭身とギ

  • 「広島の中3自殺事件について思うこと」感想文 - ←ズイショ→

    ▼僕は、この文章をイヤだなぁ、と思った。 ▼タイトルで「自殺」という言葉を用いているのに、文を読み始めると「自死」という言葉を持ち出しているあたりに最初は違和感を覚えた。それは後になって出てくる「人を殺す殺人と自分を殺す自殺と根的な違いはない」という筆者の主張をより印象的にアクロバティックに見せたいがための方策であったのだなと読み進めるうちにわかった。 ▼自殺という行為を自殺される側としては受け入れがたいという主張そのものはわからないでもない。死なれてしまうのは悲しい。ならば自殺全般を問えばいいはずだ。死なれてしまうのはいつだって悲しい。にも関わらず筆者はそれを、「長期間、苦しんで苦しんで精神を蝕まれて」選んでしまった自殺と「突発的な」自殺に区分しようとした。そんなこと、他人にできるはずもないのに。 ▼それは寄り添うべき自殺と寄り添う必要のない自殺、ないし許せる自殺と許されない自殺を区

    「広島の中3自殺事件について思うこと」感想文 - ←ズイショ→
  • 『裏切られた台湾』に込められた思い——「湾生」・川平朝清さんに聞く

    今では内外で知られる戦後間もなくの台湾の混乱や「二二八事件」などを記した『裏切られた台湾』の著者ジョージ・カー氏は、かつて台北高等学校の英語教師でもあった。カー氏に薫陶を受けた、湾生・川平朝清さんにあの時代の話を聞いた。 川平 朝清 KABIRA Chōsei 1927年、日統治下の台湾台中に生まれる。1946年、台北高等学校を卒業。在学時に『裏切られた台湾』の訳者、米ワシントン大学終身名誉教授(神経病理学)の蕭成美氏と出会う。戦後は沖縄に引き揚げ、RBC琉球放送の設立に尽力。1953年、米ミシガン州立大に留学し、ジョージ・カー氏と再会。以来、氏の薫陶を受ける。1967年、沖縄放送協会会長に就任。1972年、沖縄の土復帰に伴い、沖縄放送協会が解散。家族と共に東京に移り、NHK経営主幹に就任。1992年より学校法人昭和女子大学英文科教授、副学長、副理事長などを歴任し、現在、同大学名誉理事

    『裏切られた台湾』に込められた思い——「湾生」・川平朝清さんに聞く
  • 弊エントリー “児童福祉法第25条に基づく「株式会社はてな」への通告要請” は一旦公開を停止します。 - 🍉しいたげられたしいたけ

    言及先ブログのコメント欄で、ブログ開設者が「行政に相談する」という意味の書き込みをしていましたので、2月15日未明に公開した弊エントリー “児童福祉法第25条に基づく「株式会社はてな」への通告要請” は、一旦公開を停止します。 言及先ブログ開設者様、「株式会社はてな」担当者様、並びに弊ブログ閲覧者のみなさんには、お騒がせしてすみませんでした。 当該記事をブックマークしてくださった方々、コメントしてくださった方々、スターをつけてくださった方々に感謝します。

    弊エントリー “児童福祉法第25条に基づく「株式会社はてな」への通告要請” は一旦公開を停止します。 - 🍉しいたげられたしいたけ
    amenomorino
    amenomorino 2016/02/16
    気づいたの遅くて間に合わなかった・・・すごく迷ってされたんじゃないかと思いましたので老婆心ながらまだ気掛かりでしょうがひとまず小休止で気休めもしてくださいとお願いしたいです。
  • おかえり: 魂の寄せ場で【2】

    【1】の続き これは、私が『境界の町で』を出版してひと月ほどを経た2014年5月16日に、親交のある物書きの先輩に書いて送ったメールだ。 お変わりないですか?締め切りでお忙しくしていらっしゃることと思います。 すみません、以下、愚痴ですが聞いてもらっていいでしょうか。今日、ひどい目に遭いました。 ・・・さんから、昼に誘われて、出かけたのですが、「雑誌の対談後の飲み会でお前の話題ばかりしていた。・と、あの作品(境界の町で)は失敗作だっていう結論になった。ダメだ。全然おもしろくない。だから、ジャンケンで負けたほうが岡に因果を含めに行こうということになったので呼んだんだ」というところから昼がスタート(当然、アル中の彼はワインをがぶ飲みしながらです)。 ちなみに彼は、最初に原稿を読んだ直後は「◯◯賞行ける」と言っていたのですが、・さんと会ってから意見が変わったようです。 「なんだってあんなに真

  • 書く、意味。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    とあるミュージシャンの話をしていて、あの人が他の人よりもいい歌詞を書くのは、個人的に色々と辛い経験をしたりしていて、言葉にしなくちゃ自身が救われないからなんじゃないか、そういう祈りみたいなものが聴く人の心を動かすんじゃないか、みたいなとんでもなく下世話で勝手な憶測を話したのだが、珍しくは納得していた。 それで思ったのだが、やっぱり書くという行為と祈るという行為は似ている気がしていて、それはどちらもこの現実ではまだ起こっていない、自分が望む世界があって、しかし自分の力だけではどうにもならなくて、そのことを認めざるを得なくて、だけどあきらめたくもなくて、そんな気持ちの中で生まれる行為ではないかと思うからだ。 未来を作るため、なんて言い切れるほど偉そうな行為じゃないと思うのだ、書くということは。 よく考えるとコピーライター時代にほめてもらった仕事のほとんどは、弱いものが主役になっているものば

    書く、意味。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
  • 高校3年生の女の子のこと

    2011年7月のことだ。 私は初めての町で行き先を見失っていた。 よくある田舎住宅団地で、家と家の間には畑があるような、間延びした印象の特徴のない場所だ。家の古び方はどれも同じぐらいなので、30年ぐらい前に地ならしをして一気にたくさん建てたのだろう。 住宅団地の脇を流れる細い川づたいに歩いて、一軒ずつ表札を見ていったが、目当ての家が見つからなかった。地図を見直して、いったん、一番わかりやすい目印の児童公園まで戻った。 ひと気のなくなった町の公園は、背の高い草で覆われていた。草をかき分けてベンチに座り地図をよく確認したが、やはりこの川づたいに行くので間違いはないようだ。となると私が目当ての家を見落としているということになる。 もう一度ここから、見落とした小さい路地や家がないかを確認しながら一軒づつしらみつぶしにしていくのかと思うとげんなりしたが、先のことを考えないように、目の射程距離を落と