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差別と憲法に関するarama000のブックマーク (2)

  • 差別表現の自由はあるか(3)

    前々回は「差別表現」と「表現の自由」の関連を問うために、この問題が国際人権法においてどのように規定されているかを確認し、日政府が国際人権法のフィールドでどのように主張し、国際人権機関からどのような勧告を受けたかを確認した。実は、ヘイト・クライム問題に関する限り、憲法学は日政府とほぼ同じ歩調を取っている。 そこで前回は、憲法学の動向をやや詳しく概観し、検討を始めた。代表的な憲法学教科書の記述を確認するにとどまったが、憲法学がヘイト・スピーチ処罰に否定的であること、その理由が表現の自由の保障にあること、しかし、十分な理由が示されていないことを見ることができた。憲法学教科書では、明白かつ現在の危険の原則やブランデンバーグ判決を引証するが、表現の自由の保障が優越的地位にあることと、ヘイト・スピーチ処罰ができないことの間の論理的説明はなされていない。

    arama000
    arama000 2012/11/09
    憲法学の変遷。
  • 差別者は差別を差別とみなされないための理由を必死で探す - 誰かの妄想・はてなブログ版

    産経新聞が排外主義と在日外国人差別を推奨しているのは良く知られている事実ですが、このような差別主義者に限って自らの差別的言動が差別とみなされないための言い訳を必死で考え出します。 普通の人なら差別だと指摘されれば、まず自身の言動を省みて差別と解される部分がなかったかを考えるわけですが*1、頭に血が上っている人、差別と言われることを知ってて差別している人、自身が批判されること自体考えられない自己過信の人などは、差別だという指摘に対して「これは差別じゃない」という回答が先に形成されて、後付で”差別じゃない”と言い張るための根拠を探し始める傾向があります*2。 この差別正当化の根拠に便利な使われ方をされるのが、「法律」*3です。 1.法律上、同じ権利を持っているから差別じゃないという主張 2.既存の法律が差別じゃないと主張している根拠を借用 「1」は、差別の実態に対応できていない法律文面上の虚像

    差別者は差別を差別とみなされないための理由を必死で探す - 誰かの妄想・はてなブログ版
    arama000
    arama000 2012/02/17
    エントリーで書かれる象徴的なものに、在特会が言う「朝鮮人は道の端っこを歩け」的性根があると思う。
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