(「戦前の日本」武田知弘、P23-24) 貸座敷業はどこでもやっていいというわけではなく、開業できるのは国が許可した場所に限られていた。この合法的な売春地帯は、東京では吉原、大阪では飛田新地などが有名である。 業者は、娼妓たちの名簿を提出し、定期的に性病検査を受けさせる義務を負った。また、公娼になるには、尋常小学校卒業以上の学歴が必要で、親の経済が逼迫していること、親が不動産を持っていないことなどの条件が設けられていた。当時の公娼は、実家の家計を助けるためにやむなく身売りされるケースが多い。前述の条件は、娘を簡単に売らせないために作られたものだったのだろう。 そうして公娼になると、束縛一色の暮らしを余儀なくされた。 公娼は指定された地域以外に住むことはできなかった。また、貸座敷業者の許可なしには外出することもままならなかった。給料の大部分は前借金の返済に充てられるため、経済的な自由もない。