【 本年4月よりスタートしたばかりの科研「挑戦的萌芽研究」のホームページ「源氏写本の触読研究」が、試験版ながらも産声をあげました。 まだ生まれたばかりです。 大切に育てていきたいと思います。】 つづきはこちらから。ブログ・鷺水亭より。 http://genjiito.blog.eonet.jp/default/2015/04/post-b183.html ○科研「挑戦的萌芽研究」のホームページ「源氏写本の触読研究」 http://genjiito.sakura.ne.jp/touchread/
どんな小説にも、どんな偉大な物語にも、調子が上がっていくところと、そうでもないところがあるものです。映画やテレビドラマがそうであるように、文学作品もそういうものです。 調子のよしあしは筋書きや内容のつながりというより、だいたい文章の興奮度や透明度や稠密度でわかります。ははん、このへん来てるなという感じがやってくるんですね。『源氏』の場合は、畳みかけるような暗示感と、肝心の出来事や浮沈する心情を一言やワンフレーズで伏せていくところです。 だいたい『源氏』は総数40万語で仕上がっている長尺な大河ドラマです。当然、緩んだり高まったりもする。それに40万語のうちの半分の20万語は助詞か助動詞です。だから、ちょっとしたことで調子が変わります。 それでも『源氏』全巻のなかで調子が最初に上がっていくのは、巻7「紅葉賀」(もみじのが)から「花宴」(はなのえん)、「葵」へと続くところでしょうね。暗示的文章が
eoblogは 2017年3月31日(金)15:00 をもってサービスを終了いたしました。 長年にわたりご愛顧いただき誠にありがとうございました。
このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。 校注者、校正の畑さんから拝領。ありがとうございました。藤井さんは、加藤昌嘉さんの藤井批判を受けて、 「学者の責務として、できるだけ合理的な解釈案を示し、それに基づいた改訂本文と訳注を提供する」「注釈者によって咀嚼された“読解に足る本文”を提供する」というのが「氏の方法」だと言う。それって、近世や近代の学者たちが本文をいじり回してきた、これまでの国文学と同じじゃないか? 新編全集は加藤氏の言うのに近い方針で作られた本文である。氏の『揺れ動く『源氏物語』』は新編全集を支えてしまうことにならないだろうか。好漢、語るに落ちた本といわれてもしかたがない。 「本文、底本、揺れ動く『源氏物語』、研究者」「物語
今も昔も多くの信仰を集める 日本有数の観音霊場 石山寺は、清流瀬田川のほとり、伽藍山(標高239m)の麓にあり、奈良時代から観音の聖地でありました。縁起によれば、石山寺は天平19年(747)、聖武天皇の勅願で良弁僧正が創建とされています。現在、本堂に安置されている本尊如意輪観音(重文)は、日本唯一の勅封の秘仏と言われ、開扉は33年毎。安産、福徳、縁結びなどに霊験あらたかな仏さまとして信仰を集めています。 紫式部の源氏物語をはじめ 女流文学が花開いた舞台 平安時代には貴族達の間で石山詣が盛んになり、紫式部は当時参籠の祈に、『源氏物語』の着想を得たと言われています。他にも『枕草子』『蜻蛉日記』『更級日記』などの文学作品に登場するなど、石山寺は平安王朝文学の開花の舞台となりました。また文学の寺として絵画・聖教・典籍など数多くの歴史的な寺宝を有します。
このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。 いったん擱筆した論文ではあるものの、長くなったのでふたつに分割、別の雑誌に載せてもらうこととします。分割の過程で気になったのは、『紫式部日記』の御冊子作りの記事が、『源氏物語』ではないとする説。最近では西の研究者から相次いで発信されていますが、学説に地域性があるって、なんか変じゃありません? 局に物語の本ども取りにやりて隠しおきたるを、御前にあるほどに、やをらおはしまいて、あさらせたまひて、みな内侍の督の殿にたてまつりたまひてけり。よろしう書きかへたりしはみなひき失ひて、心もとなき名をぞとりはべりけむかし。 この「物語」を『源氏物語』と特定したのは、池田亀鑑で、『源氏物語大成』には、『源氏物語』諸本
このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。 先日訪ねた若草山山頂は『枕草子』ゆかりの地。ただし、記憶が曖昧だったのは、諸注本文異同がある上、解釈も割れていたからなのでした。 三巻本『枕草子』校訂本文の代表格『新潮古典集成』を掲げます。 陵(みささぎ)は、 小栗栖(をぐるす)の陵(みささぎ)、 柏木の陵(みささぎ)、 雨の陵(みささぎ)。 頭注は「これまた陵墓三幅対の連想。 ○三巻本に「うくるす」とあるのは、「を(乎)」「う(宇)」の字体相似の本文転化と見て、山城国宇治郡の木幡に、醍醐皇后の藤原穏子の宇治陵、村上皇后藤原安子の中宇治陵を始め、冬嗣の赤塚、基経の狐塚、時平の三十番神塚等、藤原氏歴代にゆかりの陵塚が集中しているのを取り上げたと考える
このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。 先日、東アジアの思想、韓国民族文化が御専門の両先生と話していて、韓国の同姓不婚の話になりました。法的には自由ですが、因襲の壁はまだまだ厚いようです。ただし、旧三国(新羅・百済・高句麗)エリアを超えれば、同姓であっても一族とは見なさないとの説もあるとのこと。世界で一番多い姓は、韓半島と中国ともに存在する李氏のようですが、李さん同士もこの例に該当すれば問題ないようです。 このことは、『うつほ物語』「内侍のかみ」巻に、朱雀帝が、女一宮の婿選びに際して話した懸念を、源正頼が妻の大宮に代弁する夫婦の会話に登場します。 (正頼)「さまこそ(十の君・今こそ)こそはしか思ひはべれど、仰せらるることありや。(朱雀帝)
柏木は重く患ったまま、新年を迎えます。悪い噂が立って宮も自分も苦しむより、また源氏に憎まれ続けるよりも、少しは惜しまれ、同情されつつ死んだ方がよいと、生きる気力を失っています。苦しいなかでも女三宮に文を書き、小侍従に託します。柏木が瀕死と聞いても、自身も体調の悪い女三宮は、源氏の手前もあり、もはや関わり合いになりたくないと冷たいものです。それでも責め立てて返事を書かせ、柏木に届けてやります。 柏木の父の太政大臣(源氏の旧友、昔の頭中将)は、さまざまな行者や僧を呼んで祈祷させます。女の霊がついている、などと陰陽師らが言い立てますが、馬鹿げたことです。柏木は祈祷の大声が嫌で病床を抜け出し、「女三宮の霊なら、ぜひ憑いてほしいくらいだ」と、こりもせず小侍従のもとで嘆くのです。 やがて女三宮に男児が生まれます。男は顔が人目に晒されるから、その父が柏木であることが知れてしまうのでは、と源氏は気を揉みま
このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。 授業の配布資料作成。紙媒体ではなく、授業ページのホルダーにアップすれば、各自が印刷する仕組み。学生証に課金されているので、カラーで印刷したければ有料で。節約したい学生は、学生端末室で印刷すれば紙媒体も入手可能。 ありがたい『絵入源氏物語』に『竹取物語関連地図』をひとまとめ。これを眺めていたら、当然、『竹取物語』の都は、登場人物のモデルが活躍した、大宝元年(701)当時の藤原京(持統天皇8年(694年)遷都)なのか、帝のモデルとされる文武・仁明天皇の時代の平安京なのか、と言う問題。三谷榮一『竹取物語評解 増訂版』(有精堂・1988年、初版1942年)では、藤原京を起点に「小倉山」も奈良を想定された地図
人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。 昨日の続きで、中古文学会の感想。 今日は二日目の感想を書きます。 この日も天気は相変わらず。 カバンの持ち手がボロボロになってしまうというトラブル発生。 雑貨屋さんで買った安価なものでしたが、一泊から二泊くらいの旅行にはちょうどいい大きさのカバンで、まだ本体は無事だったのでショックです。 二日目は、午前2本、午後4本の計6本の研究発表。 発表2本ごとに休憩が入ります。 これまでは発表2本が終わってから質疑応答をするかたちでしたが、今回から発表1本ごとに質疑応答する方法に。 1本目は 長谷川範彰「「我が恋は」ではじまる和歌について」 「我が恋は」からはじまる和歌をとりあげ、そのなかでとくに藤原俊忠「我が恋はあまの苅藻に乱れつつかわく時なき浪の下草」の評価の変遷に着目し、日常詠から
人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。 6月7日、8日は中古文学会に行ってきました。 立教大学新座キャンパス、遠い! 特に志木駅からが、徒歩15分と書いてあったけれど、30分は見といたほうがいい感じ。 何も重いもの持たずにさくさく歩けば15分で行けるのかもしれないけれど、荷物抱えて、雨の日だったので傘も持って、だと、よいしょよいしょとしか歩けないです。 忘れないうちに、簡単に感想書いときます。 とりあえず1日目。 1日目はミニシンポジウムが二本。 これまでもシンポジウムが開催されることはありましたが、今回のようなスタイルははじめてとのことです。 確かに、これまでは中古関係の人はシンポとかパネルとか苦手なのかな、という印象でしたが、今回はよく準備されていて面白くうかがうことができました。 1本目は「定家本・青表紙本『源
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