【 本年4月よりスタートしたばかりの科研「挑戦的萌芽研究」のホームページ「源氏写本の触読研究」が、試験版ながらも産声をあげました。 まだ生まれたばかりです。 大切に育てていきたいと思います。】 つづきはこちらから。ブログ・鷺水亭より。 http://genjiito.blog.eonet.jp/default/2015/04/post-b183.html ○科研「挑戦的萌芽研究」のホームページ「源氏写本の触読研究」 http://genjiito.sakura.ne.jp/touchread/
おれはその時その青黒く淀んだ室の中の堅い灰色の自分の席にそわそわ立ったり座ったりしてゐた。二人の男がその室の中に居た。一人はたしかに獣医の有本でも一人はさまざまのやつらのもやもやした区分キメラであった。
昨日の修士演習で、外国人参加者のために変体仮名と字母、そして仮名遣いの話をしたが、定家仮名遣いでは「男「は「おとこ」と表記する(歴史的仮名遣いでは「をとこ」)。ところが藤原定家筆『土佐日記』(尊経閣文庫所蔵)の冒頭は「乎とこ…」ではじまるわけで、ここで定家は「乎」を低アクセントの「vo」で使用しているというのが、日本語音韻学者である同居人の説なのだ。つまり定家筆『土佐日記』の冒頭は、定家の意識では「おとこ…」と翻字すべきで、「をとこ…」としてはならぬということになる。「お」は「於」字母の仮名しかなかったのを、紀貫之自筆『土佐日記』を披見して「乎」もこれに加えることにしたという、まことにドラマチックは話なのである。私は日本語学者としての同居人を、深く尊敬している。本当に結婚してよかった。家に日本語学者が1人居ると、まことに便利この上ない。 本日は2人とも授業が無く、自宅でぶらぶら、女子大の講
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「無理題」に遊ぶ 授業をやっててここはおかしいな、あるいは大学入試古文問題を見て、これは変だなといったことを「無理題」と名付け、それを探ってやろうと思いました。 「岩波文庫」の表記については、昨日書きました。今日は、同じ『山月記』を収 録している「新潮文庫」について書きます。 新潮文庫 『李陵・山月記』 中島敦 平成四十四年九月二十日発行。 まず、驚くでしょう。「平成四十四年」の発行なんて。紙幣の福耳を手に入れた ような思いでしょうか。勿論、そのミスでこの文庫本が高い値段になるはずはあ りませんが。 昨日と同じ文章を比較します。 「岩波文庫」 叢の中からは、しばらく返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微(かす) かな声が時々洩れるばかりである。 「新潮文庫」 叢の中からは、暫(しばら)く返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微(か す)かな声が時々洩(も)れるばかりである。 この二つを比
黒田夏子さんの芥川賞受賞作『abさんご』に関しては、75歳という黒田さんが史上最高齢での受賞だとして話題になっています。ですが、私にはこの作品は、作家の方向性を示すという意味では十分に練られたものである一方で、今後の発展性ということでは、まだまだ可能性が感じられ、その点でも芥川賞には相応しいと思いました。 あまり「ネタバレ」はしたくないのですが、時間と空間の表現を極端に抽象化することで主人公の孤独感が表現されている点と、その抽象的な世界を浮遊するような感覚が、結末近くにある別離のシーンでクリアーに焦点を結ぶところは、なかなかに感動的でした。 ストーリーに関してはこれ以上の言及は避けますが、アメリカで日本語を教えている私には、この作品が日本語の表記法という意味で、たいへんに興味深く思えるのです。この作品の表記法には実にユニークなアイデアが埋め込まれており、それがパワフルな表現手法になっている
『山月記』で知られる作家中島敦(1909~42)が最後に書いた小説「李陵(りりょう)」は、不自然な表記など不備が指摘されてきた。中島の没後70年の昨年、表記や語調、内容を整えた「定本」が刊行された。いわばリマスタリング版。題名も、本人のメモに残された「李陵・司馬遷」とした。 「李陵」は、匈奴と戦い捕らえられた中国・漢の武将李陵と、李陵をかばったために宮刑をうけた司馬遷の苦悩を描いた名作。 中島敦は42年12月に亡くなった。「李陵・司馬遷」は10月ごろにほぼ完成したとみられる。400字詰め原稿用紙77枚の草稿には、おびただしい加筆訂正があり、言葉が併記された所も50カ所ほどある。浄書は5枚しかなく、草稿にも浄書にも題名はない。死後、中島夫人から託された先輩作家深田久弥が「李陵」と名付けて世に出した。 今回編集したのは、『中島敦とその時代』などの著書がある山下真史中央大教授。「数十回は読んだが
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