と、ぼくは思うんだけれど、どうよ? いきなりこんなことを書いてもわからないか。 小説でも漫画でも、映画でもいい、何かしらの物語を読んだり、見たりしているとき、そこに作者の考える「正解」を見つけることがある。 「正解」とは「このように行動すれば良いのだ」という、その作家なりの結論のことである。ぼくの場合、物語にそのような「正解」が出てくると、白けてしまうことが多い。現実にはそうそう「正解」は見つからないと思うからだ。 たとえば、槇村さとるである。往年の少女漫画家時代はともかくとして、最近の槇村が描く作品には、いつも「正解」があるように思える。 以前にも書いた記憶があるが、槇村さとるの作品を読むとき、ぼくはいつもそこに「正しさ」の圧力のようなものを感じる。このことに関しては、ぼく自身の言葉で語るよりも、「紙屋研究所」の的確な批判を引いたほうが早いだろう。 正直、槇村さとるは、嫌いな漫画家の一人