タグ

ブックマーク / d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI (7)

  • プロレスノンフィクションの傑作「子殺し」 - 深町秋生の序二段日記

    またひさびさにプロレスの傑作に出会えた。GKこと元「週刊ゴング」編集長、金沢克彦のノンフィクション「子殺し」である。 いいかげんプロレスもネタが尽きたかと思えば、原田久仁信による実録マンガ(「カ…カテエ」がちょっとした流行語に)が人気を獲得し、先日の深夜番組「アメトーーク」でプロレスが話題になる(テレ朝ならではの新日貴重映像が使えるのが強み)など、プロレス・ネバー・ダイといった感じだろうか。 最近のプロレス単行のなかで、とびきりおもしろかったのは元週プロ記者の小島和宏による「ぼくの週プロ青春記」だった。90年代前半のプロレスバブルの時代(「藤原組」が東京ドームで興業をするような)。みちプロやFMWといったインディーズを盛り上げようと懸命になるものの、インディーズの王様大仁田厚と上司であるターザン山編集長の、常軌を逸した個性の狭間で潰れそうになりながら、懸命にプロレスを愛し、過労死

    プロレスノンフィクションの傑作「子殺し」 - 深町秋生の序二段日記
  • 小説のルール - 深町秋生の序二段日記

    ある短編小説の新人賞の下読みをした。 50読んだのだけれど、総じて文章のリズムはうまい。けれど小説をちょっと誤解したまま書いた作品が少なくなかった。 小説は、書き手の妄想や欲望を自由に描ける個のメディアであり(共作の人もいるけれど)、自由であればあるほどすばらしいとは思うけれど、基的な原則はやっぱりある。一見、椅子や机が飛び交うプロレスがアナーキーかつフリーダムに見えても、万国共通でヘッドロックは必ず左脇でかけるというルール(追記。メキシコは逆)があるように、ある程度の原則を踏まえていないと小説と呼ぶにはちょっと厳しい出来になってしまうのである。 最近のテレビドラマや映画の影響もあるのかもしれないが、キャラの心情がいやにストレートすぎたりする。たとえばある日映画で土砂降りの雨のなかでキャラクターが佇んでいるというシーンがあった。つまり大量の雨を降らせることでキャラの悲しみを描いたつも

    小説のルール - 深町秋生の序二段日記
  • マイケル・ジャクソン。黒人エンターテイナー特盛物語 - 深町秋生の序二段日記

    MJが死んだときはびっくりした。そういうものだ。 まああれだけのことをやって、50歳まで生きられたこと自体、奇跡のようなものだったのだろうか。彼の姿を見るたびに感じるある種のタブー感というか、アンチエイジングという言葉では片づかない居心地の悪さがつねにつきまとっていた。「少年でありたい」という前のめりなスタイルも、なんだか神に対するどでかい挑戦という感じにさえ見えた。 もはや同じ人類とは思えず、霊長類ヒト科というよりも霊長類マイケル科という新しい生物のようにさえ思えたのだけれど、彼にまつわる悲劇のストーリー自体は、それほど珍しくないように思えた。じつに黒人エンターテイナーらしい物語だったなあと。 黒人がアメリカでスターになるには、言うまでもなくハードな道を進まざるを得なくなる。多くのエンターテイナーが波乱万丈すぎる人生をすごしてきた。それこそちょっと前まではあからさまな人種差別の問題がから

    マイケル・ジャクソン。黒人エンターテイナー特盛物語 - 深町秋生の序二段日記
  • 深町秋生の序二段日記

    卑劣な軍事政権の犬ども死ね!! バリバリ、ドーン!! バラバラ! ゴキ! グチャ! ブオーン!! ドカーン! という「ドキ! 切株だらけの殺戮大会」ですばらしかった。「ランボー 最後の戦場」の話。「ザ・暴力」という巨大なアイスクリームに、ほんのちょっと箸休めのウエハース程度にシンプルな物語がのっかっているだけで、とにかく最初から最後までゴアゴア描写の電車道である。 シンプルとはいえとにかく内臓が漏れ、血が大量にバシャバシャ流れるアルトラ暴力世界と善良なボランティアらの価値観を織り交ぜることで実存的な問いを観客に発し、戦争文学ともいうべき高尚ささえ感じさせてくれた。スタさんの老獪さを感じさせる一となった。ミャンマー軍の非道な虐殺で民衆の手足はちぎれ、面白半分に蜂の巣にされ、子供でさえもグサっと刺し殺されていたが、逆にそれをやっつけるランボーにしても軍隊を同様にぐちゃぐちゃに吹き飛ばしたり、

    深町秋生の序二段日記
  • 深町秋生の序二段日記

    安藤氏の著作を読むたびに激しい嫉妬に駆られる。消された真実に肉迫する狂熱の騎士の物語というべきか。 盲目的な偏見や卑しい捏造の嵐を突破し、偽者の禁忌に勝手にひれ伏す臆病者や愚か者をなぎ払う。 強大な敵に打ちのめされ、傷つきながらもその果てに辿りつく真実はどれも衝撃的で美しい。胸が熱くなる。そしてやはり嫉妬に駆られる。 安藤健二氏の新作「封印されたミッキーマウス」の帯にコメントを書かせていただいた。おそるべきデビュー作「封印作品の謎」以来、ずっとファンだったので願ったりかなったりである。 ずいぶんと大仰な文句だと自分でも思うのだが、それでも間違っているとは思わない。つまらない噂や偏見、ヒステリックに騒ぐ愚か者によって、いとも簡単に表現作品がこの世から消されてしまうという恐ろしい真実に迫る安藤氏のは「下手なミステリよりも刺激的で昂奮させられる」とミステリ評論家などの間でも人気を博しているのだ

    深町秋生の序二段日記
  • 深町秋生の序二段日記

    Perfumeのライブレポを軽く。 2時間のドライブを経て新潟へついた。ホテルにチェックインして駅前をぶらついたが、街のしけ具合がかなりやばい。まあだいたいどこの地方都市も駅前というのはドーナツ化現象を起こして衰退してはいるのだが、かりにも百万都市といわれる街で人の気配が薄いというのは相当だめだろうと思った。 駅前には巨大ショップで知られるジュンク堂書店があるのだが、どこかの図書館のような静けさ。品揃えはやはりジュンクであって立派なのだが、客がすくない。なんでも潰れた商業ビルに、なんとか1階と地階に書店を入れて格好をつけた様子。その上はみんなシャッターが閉まっていた。なんか共産圏の国かどこかを歩いているような気分になってしまった。同じ政令指定都市の仙台と比べてもかなりやばいのではないかと思った。 天気は曇り。街は衰退。しかもえらく寒い。宿泊したサンルートも心なしか古い。というわけでなんとな

    深町秋生の序二段日記
    banraidou
    banraidou 2008/05/11
    新潟駅周辺は、もともと繁華街じゃないので。
  • 先日の大反響について - 深町秋生の新人日記

    随分と大反響だった。まさかここまでとはと驚いている。 コメント欄も大賑わいだ。しかし相当荒れている。すごいね。 あの「受け入れて」というPVのテーマは言うまでもなく差別だ。差別問題にストレートに挑戦する作品というのは珍しく、そのチャレンジ精神には感心したものの、描き方が稚拙なので、とても受け入れられないと評した。それは今も変わらない。 差別とは、言うまでも皮膚や言語や宗教や性や国籍が異なることで起こる。さらに住む場所や方言や体重や趣味仕事の優劣やファッション、ちょっとした違いをわざわざ見出して行ってしまうからやっかいであり、なかなか逃れられない人間の業みたいなものだ。 聞けばあの曲は性同一性障害を持った友人の告白から生まれたのだそうな。それならますますわからなくなってくる。つまりあの作品は「さまざまな価値観の相違があるだろうけれど受け入れて」という内容もあるのだろう。 しかしどういうわけ

    先日の大反響について - 深町秋生の新人日記
    banraidou
    banraidou 2008/02/28
  • 1