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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (9)

  • なぜはてなはぼくに話しを聞きにこないのか? - ハックルベリーに会いに行く

    母の教え梅田望夫さんのインタビュー記事を読んだ。日のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia Newsこれを読んで思ったのは、「なぜはてなはぼくに話しを聞きにこないのか?」ということだ。 なぜはてなはぼくに話しを聞きにこないのか? それがぼくには分からない。当に、普通に話しを聞きにきても良さそうなものだと思う。むしろ、話を聞きにくるのが自然だと思う。それが、こうまで話しを聞きにこないと、ぼくははてなのことを疑ってしまう。ぼくははてなを、「当に真面目にビジネスをする気があるのか?」と疑ってしまう。「企業として、顧客のニーズに応えようという気があるのか?」と疑ってしまう。「組織として、社会に貢献しようという気があるのか?」と疑ってしまう。もし、今はてなが株を公開しても、ぼくは買おうとは思わない。確実に値上がりが見込めるような状況でも、やっぱり要らない。

    banraidou
    banraidou 2009/06/02
    関わりたくないんだろうなぁ。
  • 本を読んで分かった任天堂の「今そこにある危機」 - ハックルベリーに会いに行く

    「任天堂 “驚き”を生む方程式」を読んだ。 「任天堂 “驚き”を生む方程式」を読んで気づかされたことこれを読んでまず分かったのは、ぼくが「任天堂世代のど真ん中」だったということだ。「任天堂の子供」と言ってもいいかも知れない。山下達郎の歌に「アトムの子」というのがあって、それは山下達郎(1953年生まれ)の世代が「鉄腕アトムの子供である」ということを歌った歌なのだけれど、ぼく(1968年生まれ)の世代は、任天堂の一連のエポックメイキングなおもちゃたちをリアルタイムで味わってきた、まさしく「任天堂の子」なのである。 このの巻末に記されている「任天堂の歴史」を見ると、それがよく分かる。まず、物心ついた時には、任天堂製のトランプや花札で遊んでいた。家の近所のちょっと年上の子の家には、「ウルトラハンド」や「光線銃」といった任天堂社製のエレクトロニクス玩具があった。「ゲーム&ウオッチ」と出会ったのは

    banraidou
    banraidou 2009/05/21
    PS3の売り上げがブルーレイだけでは説明できないくらい好調なのだけれど、このエントリだとそこを見なかったことにしているね。
  • ライトノベルに携わる人々は今一度「風と共に去りぬ」を読むといい - ハックルベリーに会いに行く

    ふとした縁があって、「ゼロの使い魔」という小説を読んだ。 「ゼロの使い魔」はライトノベルだ。ぼくはライトノベルのことについてそれほど詳しくないのだが、この「ゼロの使い魔」はすごく正統的なライトノベルだと思った。非常にオーセンティックな、ライトノベルの鑑のような作品だと思った。その通り、この作品はとても人気があるようで、物語はシリーズ化され、2004年の第1巻刊行以来、すでに13巻が出されている。また、アニメやコミック、ゲームになるなど、他メディアへも大きな広がりを見せている。ぼくが読んだのは、そのムーブメントの端緒となった、2004年に刊行された第1巻だ。これを読んで、ぼくは色々な感想を抱いた。また、この作品を通して、「ライトノベル」というジャンルそのものにも、ある感慨を抱いた。そこでここでは、そんな「ゼロの使い魔」を読んで思ったことや、それを通して抱いたライトノベルというジャンルについて

    banraidou
    banraidou 2009/05/18
    「僕の考えた「本当の小説の面白さ」ってこういうのなんですよ」という、ただそれだけの話。
  • 「百年の孤独」の書評 - ハックルベリーに会いに行く

    面白い書評映画のレビューを紹介している記事を見た。らばQ:「説得力ありすぎ?」アマゾンのレビュー、その凄まじい文面に大反響A Successful Failure - 『火垂るの墓』に対する最も参考になる米Amazonレビュー 面白い批評を読むと、自分でも批評を書いてみたくなるから不思議である。というわけで、ストレートに自分の一番好きな小説の一つである「百年の孤独」について書いてみた。 日人がロシア文学を読んでいてもっと煩雑に感じるのおそらく名前の問題だろう。なんとかスカヤやなんとかビッチなんとかスキーになんとかノフ。とにかく似たような名前が頻出して、誰が誰だか分からなくなる。いやがらせじゃないかと思うくらいに、似たような名前が紛らわしく使われている。物語の冒頭でそういう登場人物たちが山のように出てくる。中には長々と説明した割には以降何百ページかに渡ってちっとも出てこないキャラクターも

    banraidou
    banraidou 2009/01/13
    マジックリアリズムの下りはさすがにネタだよねぇ…?
  • SFの歴史 - ハックルベリーに会いに行く

    よく知らないけど、SF歴史っていうのは、それが名作であればあるほど初出時に「あんなのSFじゃない!」って叩かれるらしいね。それもガチガチのSFファンから。だけど結局、そうした作品がSFの可能性を押し広げてきた。そして結果的に、SFの発展に寄与してきた。そうなると、最初に文句を言ってたファンはどうするか? それをしぶしぶ認める……とかいうことではなく、これはもう、手のひらを返したように激賞するらしいね。逆にそれを理解しないものを、バカにするようになるらしい。そして必ず、こう付け加えるのだそうだ。     ____   /__.))ノヽ   .|ミ.l _  ._ i.)    (^'ミ/.´・ .〈・ リ   あいつはわしが育てた  .しi   r、_) |      |  `ニニ' /      ノ `ー―i だから、そう考えるとぼくの書いたのものも、そんなつもりは全然なかったけど、けっ

  • このエントリーが100ブクマ行ったらSF小説を公開します - ハックルベリーに会いに行く

    以前、「それ1冊読んでおけばSF小説というジャンルそのものを語れるたった1つの作品」というエントリーを書いたら、ブコメでid:objectOさんに「ディックの短編読んだだけで語れているかどうか判定するから、まずは語ってみてください。」とあおられました。それ以来、ディックだけでSF小説をどうやって語ればいいか考えていたのですが、考えてたらなんかSF小説のアイデアを思いついちゃって、それを書いてみました。 タイトルは「宇宙戦艦アキバ」です。内容はというと、ライトノベルふうな世界観を、フィリップ・K・ディック調に展開させた――という感じです。ちょっとオタクをdisってる内容になってます。あとエロゲの要素も少々入ってます。筒井康隆の影響もある感じですね。長さは原稿用紙40枚ほどです。出来は……面白いかどうか、自分では全く分かりません。小説というのはなかなか難しいですね。自分ではちょっと固くてぎこち

    banraidou
    banraidou 2008/07/03
    id:theworldさんに100スターつけようとしたら、うっかりつけすぎて200いってしまった件について/しかしディックとか筒井康隆とか、自分でハードル上げてるなぁw
  • 女子アナは置屋の芸姑と言った女子アナがいた - ハックルベリーに会いに行く

    昔聞いた話なのだけれど、その頃、自分を売り出すことにかなり意識の高い、戦略的な女子アナがいた。その時はまだ若かったのだけれど、スマートさ、クレバーさ、したたかさをすでにして備えた、かなり強い女子アナだった。ぼくはその女子アナ(仮にAとする)に興味を抱いていた。一緒に仕事をしたことはなく、テレビで見るだけだったのだけれど、画面を通しても明らかに異彩を放っていることが分かって、強く惹かれるものがあった。それで、Aと一緒に仕事をしたこともある旧知のテレビディレクターの何人かに「一体どんな人物なのか?」と聞いてみたことがある。するとそのディレクターたちも、Aに対してはぼくと同種の興味を抱いていたらしく、色々見聞きしたり知っていたりすることがあって、それをぼくに教えてくれた。それは、当時のぼくにとってはかなり「面白い話」だった。そこで聞いたAの話は、かなりインパクトのあるもので、ぼくは強いインスパイ

  • それ1冊読んでおけばSF小説というジャンルそのものを語れるたった1つの作品 - ハックルベリーに会いに行く

    この世界には、それ1冊読んでおけばSF小説というジャンルそのものを語れる作品が―― あるかどうかは分かりません。というのも、残念ながらぼくはSF小説を読んだことがないからです!(これ当) 前のエントリーは、どうやら「SF小説」という部分でみなさんに興味を持ってもらったみたいなのですが、だとしたらちょっと悪いことをしたかも知れません。というのも、ぼくがどんなSF小説を念頭においてこれを書いたのか、気にされている方が多いみたいなんで…… ぼくとしては、たまたまその言説を聞いたのがSF小説を語っている場面においてだったので、それをタイトルにしたまでなんです。いえ、でもこれは、たまたまではなかったのかも知れません。もともとSF小説には、この手の「読むべきか読まざるべきか論争」というのがあって、一方には、「1000冊読んでればSF語ってもいいよ」という勢力がいれば、もう一方には、「読んデレウザい」

    banraidou
    banraidou 2008/05/27
    釣り宣言の後にかいても詮無いことだけれど、ディックの短編集一冊のみでSFというジャンル全体について語ろうってのは、それこそドン・キホーテばりの蛮勇だと思う。もちろん、ドンキホーテは未読。
  • SF小説を語るのに全てのSF小説を読む必要はあるか? - ハックルベリーに会いに行く

    ずっと以前、「何かを語るなら、まずは知識がないといけない。少なくとも、そのジャンルを全部読み尽くすくらいでないと……」という言説を聞いたことがある。それは確か、「SF小説を語るなら、古今東西全てのSF小説を読んでからでないと」といった文脈で語られていたように思う。 まだ少年だったぼくにとって、これはなかなか説得力のある言説だった。また、博識な人に強く憧れ、世界の全てを知りたいと思っていたから、ある意味魅力的な挑発でもあった。そのため、これを真に受けて、ありとあらゆるものを読んだり見たりした時期があった。 特に中学3年生の時は、マンガが好きだったから、出版された全ての男性向けマンガ雑誌を読んでいた(少年向けから大人向けまで)。当時の書店は立ち読みができたし、また出版点数も少なかったからそれが可能だった。 しかし、一年間その生活を続けてみると、さすがにバカらしくなった。時間がかかったというのも

    banraidou
    banraidou 2008/05/26
    語るために読書するわけじゃなくて、何冊も読んでいるうちに語りたくなるって方が多いような気が。鶏が先か卵が先か。
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