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ブックマーク / trivial.hatenadiary.jp (21)

  • 輝け! 第1回ライトノベル積読杯 - 一本足の蛸

    企画説明 企画は、「はてなキーワード機能とは全く関係なく、ライトノベル論壇に入っているかどうか微妙な管理人が積ん読状態のライトノベルについて語る」ものです。 企画名の逐語解説 輝け! 英語だと「Shine!」るこの言葉を水に見せると綺麗な結晶ができます。ただし、英語のわからない水はローマ字読みしてしまうので、ぐずぐずに崩れた結晶になります。 第1回 最初だから第1回です。簡単ですね。もちろん、第1回があるからといって第2回があるとは限りません。タイトルに「1」がついていても、2巻が出ずに打ち切りになってしまうラノベがあるのと同じことです。 ライトノベル 当はラノベレーベルから出ている小説だけを指すのですが、今回は1タイトルだけ非ラノベレーベルが混じっています。 積読 ふだんは「積ん読」と書くことにしているのですが、この企画名に限り「積読」にしました。ライトノベル積読会の影響です。 杯

    輝け! 第1回ライトノベル積読杯 - 一本足の蛸
  • 祝祭としてのラノサイ杯 - 一本足の蛸

    これまで2回ほど「消費者運動としてのラノサイ杯」という言葉を用いた*1が、どうも堅い言い方なので「祝祭としてのラノサイ杯」と言い換えておくことにしようと思う。厳密な定義はないが、「社会調査としてのラノサイ杯」*2と対比することを意図していることから、だいたいのニュアンスはつかめるものと思う。 で、いろいろ考えてみたのだけど、やはりラノサイ杯は祝祭であるべきだし、祝祭以外のなにものか、たとえば良質なライトノベルを選別して序列化する認定制度であるかのような誤解を極力排するようにしなければならないんじゃないか、と思うようになった。「あるべき」とか「しなければならない」という言い方は押しつけがましくて抵抗があるかもしれないが、単なる内輪のお遊びではなく、外部に開かれてしまった*3以上、もう無邪気ではいられないだろう。それでも異論のある人は適宜緩めの表現に読み替えてもらいたい。 ほとんどの人が認める

    祝祭としてのラノサイ杯 - 一本足の蛸
  • 人事院は独立行政委員会ですが、何か? - 一本足の蛸

    「首相主宰の会議に、役人が出て来ないなんてあるのか」 30日午前、甘利行革相は閣議後の記者会見で、不満を爆発させた。同日に予定されていた国家公務員制度改革推進部(部長・麻生首相)に、谷総裁が出席を拒否したためだ。来ならば、この会合で、2012年までに取り組む公務員改革の工程表を決定する予定だった。 「首相主催の会議に役人が出てこないことがあるのか」。甘利明行政改革担当相は30日の記者会見で、谷総裁が同日の国家公務員制度改革推進部(部長・麻生太郎首相)の会合に欠席する意向を伝えてきたことに怒りをあらわにした。 人事院(じんじいん。英訳名:National Personnel Authority)は、日の行政機関のひとつ。国家公務員法に基づいて設置されている中央人事行政機関で、公務員人事管理の中立公正性を確保し、労働基権制約の代償機能を果たすため、内閣の所轄の下、公務員の人事管理

    人事院は独立行政委員会ですが、何か? - 一本足の蛸
  • 一迅社文庫創刊第1弾全7冊の感想 - 一本足の蛸

    今月20日に創刊した一迅社文庫の第1回配分7冊をすべて読み終えたので、読んだ順に簡単に感想を書いておくことにする。 黒水村 黒水村 (一迅社文庫) 作者: 黒史郎,ニリツ出版社/メーカー: 一迅社発売日: 2008/05/20メディア: 文庫 クリック: 18回この商品を含むブログ (30件) を見るライトノベルレーベルからホラーが出るのは珍しい。レーベルカラーを打ち出す創刊ラインナップともなるとなおさらだ。ホラーは苦手分野なのでふだんはほとんど読まないのだが、そういうわけでちょっと興味を惹かれて『黒水村』を『死図眼のイタカ』と『ある夏のお見合いと、あるいは空を泳ぐアネモイと。』と併せて買った。 3冊のうち『死図眼のイタカ』はいちばん最後の楽しみにとっておいて、『黒水村』と『ある夏のお見合いと、あるいは空を泳ぐアネモイと。』のどちらを先に読もうかと考えたとき、『黒水村』と『死図眼のイタカ

    一迅社文庫創刊第1弾全7冊の感想 - 一本足の蛸
  • 誰が見ようが赤は赤、色に違いはありはせぬ - 一本足の蛸

    次の二つの文を読んで、100文字以内で論評しなさい。 あなたが見ている赤と私が見ている赤が同じだという保証はどこにもない。 あなたが見ている四角と私が見ている四角が同じだという保証はどこにもない。

    誰が見ようが赤は赤、色に違いはありはせぬ - 一本足の蛸
    banraidou
    banraidou 2007/12/13
    しかし他者が自分と同じものを同じように認識しているという仮定をよりどころとする認知体系を人類は進化させてきた。その適応的な意義というものにも目を向けていくべきであろう……ってのはどう?
  • そろそろ支持者がほぼ皆無の持論を乱暴にブチあげとこうか。 - 一本足の蛸

    「じゃあ格って何よ」という議論が手付かずです。 「格」? 虚辞でしょ。 前の記事を読んだときから思っていたのだが、一連の議論で他の人々が誰も「格」というタームを重視していないのに、どうしてややこしい問題を持ち込んで議論を混乱させるのか、その意図がわからない。 一部の人は「格」という言葉そのものに強い思い入れがあって、「何が格なのか/でないのか」という問題に拘る傾向があることは承知しているが、およそこの問題ほど実りがないものはない*1。あれほど「格! 格!」と言い続けた大乱歩ですら、『幻影城』の冒頭で探偵小説の定義を行う際には、「格探偵小説」という言葉を一度も用いなかった*2ことを思い出す*3べきだ。 そもそもミステリ界において「格」などという言葉は「格派vs.社会派」という対立構造がなくなった昭和の終わり頃*4にはほぼ歴史的使命*5を終えている*6。それ以降は、みんな好

    そろそろ支持者がほぼ皆無の持論を乱暴にブチあげとこうか。 - 一本足の蛸
    banraidou
    banraidou 2007/10/30
    ミステリも大変だねー、などと自分のところの焼け跡で暢気につぶやくSFファンの俺。つーか、「この議論限定の『本格』の意味」、本格の操作的定義でもしてみたらいいんじゃなかろうか。
  • 定義と判断基準 - 一本足の蛸

    ところで、ここで秋山の個人的なライトノベルの定義を述べておきたいと思います。 一言で済みます、著者がどう思っているか、です。具体的にはライトノベルレーベルで出すことを、著者は自作をライトノベルとして書いた、という風に判断しています。したがって秋山個人の定義によってふるいにかけると有川浩『図書館戦争』はもちろん西尾維新『刀語』もライトノベルには含まれません。 引用文中「著者がどう思っているか」という箇所は、原文ではスタイルシートで太字にしている。しかし、前後の文脈から察するに、この箇所を太字で表すという見た目の上での調整に意味があるのではなくて、たぶん秋山氏はこの箇所を強調しようと思っていたのだろう。そこで、引用に際しては原文を見かけの上で忠実に再現することにこだわらず、当該箇所をSTRONGタグで強調することにした。異論のある人はこの文章のソースを適宜テキストエディタ等で操作し、ファイル名

    定義と判断基準 - 一本足の蛸
  • 世界七十五日前創造仮説 - 一本足の蛸

    時間がループする物語はよく見かけるが、たいていループする単位は一日だ。 一週間単位でループする世界とか、一年単位でループする世界というのも理念的には考えられるはずだが、ストーリーが間延びしてしまうのだろう。逆に一時間単位とか一分単位だとあわただしいし。やはり一日がいちばん頃合いだ。 でも、いつも同じことばかりやっていても面白くないから、一度くらいは「1926年12月25日から1989年1月7日までの間でループする世界。昭和史の狭間で苦悩する主人公。果たして彼女は第二次世界大戦をい止めることができるのかっ!」というような小説*1を読んでみたいものだ。 *1:別にマンガでも映画でもいいけど。

    世界七十五日前創造仮説 - 一本足の蛸
    banraidou
    banraidou 2007/09/06
    つーか、「ひぐらしのなく頃に」が正にそれでは? でもまあ、小説じゃないっつったらそうですね。
  • 「ライトノベルの定義」の目的 - 一本足の蛸

    >「〜の定義」を問題にするのなら、まず何の目的のための定義なのかをはっきりさせた方がよいと思う。定義した後で何をどうしたいのか、その目的によって定義の仕方も変わってくるし、それで一応不都合はないだろうと思う。 そもそも「何のために定義するのか」ってのが全然見えてこないわけですよ。「○○はライトノベルか否か」なんて、そんなに重要な問題なのか。自分なんかは、ライトノベルの定義について考えるときは常に「ライトノベルという現象を、時代の中に正しく位置づける」ことを意識しながら考えているつもりなのだけど。 再掲*1 これは前にも言ったことがあると思うのだが、定義論争が紛糾する理由の一端は「定義」が定義されていないことにある。こんな初歩的なところで足下がぐらついていては、ライトノベルの定義などできるはずがない(なお、誤解のないように言い添えておくと、「ライトノベルの定義について実りある議論を行うために

    「ライトノベルの定義」の目的 - 一本足の蛸
  • ラノベ界のウィトゲンシュタイン - 一本足の蛸

    ウパ日記 - ライトノベルの定義を読んで、「おおっ、これはウィトゲンシュタインだ!」と思った。より正確にいえば、『名指しと必然性―様相の形而上学と心身問題』においてクリプキがウィトゲンシュタインに帰した理論*1に非常によく似ている。いま手許にがないので、どこが似ていてどこが違っているのか具体的に説明はできないのだが、興味がある人はぜひ『名指しと必然性』を参照してもらいたい。 さて、ウーパー氏の見解で興味深いのは次の点だ。 ライトノベルポイント(LP)の付値の対象になるのがレーベル・作家・イラストレーターで、追加効果としてコミック化・アニメ化・ブームなどが挙げられているが、当該作品の内容そのものは付値対象になっていない。 LPが高ければライトノベルで低ければライトノベルではないが、ライトノベルであるかどうかを厳密に線引きするポイント数はない。 付値を行うのは各読者であって、人によって付値の

    ラノベ界のウィトゲンシュタイン - 一本足の蛸
  • ラベルはlabel、レーベルもlabel - 一本足の蛸

    ここを読む限り、ラベルは物理的なもしくは形而下的なもの、レーベルは心理的なもしくは形而上的なもののようですね。これを踏まえると、少なくとも出版社側はライトノベルを「電撃文庫や角川スニーカー文庫といったライトノベルレーベルから刊行されたもの、およびアニメ絵などで表紙をラベリングしたもの」と定義していそうですね。 へぇ、「ラベル」と「レーベル」が元は同じ言葉だとは知らなかった。 ところで、全然関係ないといえば関係ないが、関係あるといえば関係あるかもしれない話。 あるライトノベル作家が書いた中世ヨーロッパ風異世界ファンタジー*1のあるシーンで酒の名称として「ぶどう酒」と「ビール」が出てくるのに違和感を抱いた読者が、その作家のサイン会で「このシーンで『ワイン』ではなく『ぶどう酒』と書いているのは外来語を避けるためだと思うのですが、『麦酒』ではなく『ビール』とそのままにしているのはなぜですか?」と尋

    ラベルはlabel、レーベルもlabel - 一本足の蛸
  • なぜ「時かけ」はアニメになったのか - 一本足の蛸

    昨夜(7/21)は細田守監督「時をかける少女」(2006)をけっこう真剣に見た。 いい映画だとは思ったけど、「アニメにする必要があるのか?」「SFにする必要があるのか?」とはちょっとだけ思った。ま、おっさんの感想なのでお若い方は怒らないでね。 そして殊能将之の指摘通り、『時をかける少女』についてはそんな理由が特に思い当たらない。もちろん変わった映像とか、ヒロインのあのコミカルな動きはアニメ特有だろうけど、それは別に実写だって不可能ということはないし、アニメという手法を用いることの理由も思い付かない。なのに、そういう必然性が無いことを不審に思うことすら無かった。 ハテ、なんでだろ? 多分それは、アニメが「現実」を描く技術をとことん進化させたからだと思う。「現実」を描く手段として実写とアニメが等価値になるくらいに。 現実的な光景をとてつもない密度で描き、現実のように笑って悩んで恋するキャラクタ

    なぜ「時かけ」はアニメになったのか - 一本足の蛸
    banraidou
    banraidou 2007/08/04
    検証したわけじゃないけれど、「SFである必要があるのか?」が「じゃあSFじゃなくても別にかまわないよ」となり、ジャンルが閉塞した過去があったような気がしている。
  • 異世界と外来語 - 一本足の蛸

    Something Orange -  ファンタジィに外来語を出すことはありか? 『精霊の守り人』は見ていないので、このアニメにおいて外来語の使用の是非について論じることはできないのだが、一般論としてはやはり異世界ファンタジーでは外来語を使うのは変だと思う。というか、意識しているにせよいないにせよ、異世界ファンタジーに外来語はそぐわないものだという共通了解があるからこそ、あえてそれを使って異化効果を出すという技が成立するのだろう。 だとすれば、そもそも日語で台詞していることじたい不自然だ。それは視聴者のことを考えて日語に翻訳されているだけであり、バルサたちは当は聞き慣れぬ異世界の言語をしゃべっているのだ、と考えることも出来るだろう。 しかし、そうだとすれば、その会話に外来語が混ざってはいけない理由があるだろうか。 そもそも日語ではない言葉を翻訳するとき、古来から日にある言葉でなけ

    異世界と外来語 - 一本足の蛸
  • 「制度言語」 - 一本足の蛸

    ライトノベルの文体についての雑感を書いたときにはあまり気にしていなかったのだが、その後、GOD AND GOLEM, Inc. -annex A- - ポスト〈セカイ系〉としての『ギートステイト』と、ライトノベル作家の文体についての疑問(改訂版)に出てきた「制度言語」という言葉が気になった。よく考えてみれば、この言葉を今まで一度も見聞きした記憶がない。 この言葉はGOD AND GOLEM, Inc. -annex A- - ラノベ文体評について納得の註釈でも用いられているのだが、どちらの箇所でも言葉自体についての説明はない。ということは、筆者は「制度言語」という言葉が周知のものであると信じているか、または説明の必要もないほど自明なものだと思っているのか、あるいはその両方なのだろう。 まあ、字面から意味が掴めないことはないのだが、予断は禁物だ。たとえば「防衛医療」という言葉を見て「病気にな

    「制度言語」 - 一本足の蛸
  • Re: Re: そろそろディスコミュニケーションツールがほしい - 一本足の蛸

    ブログを書いたあとで自己嫌悪に陥った。ブログは書きたいけど他の人には見られたくない。 そんな時には自分のブログの記事タイトルの横にある[Add Dokuro]をその時の気分だけクリックします。すると、クリックした数だけドクロマークが表示されます。ドクロマークが多いほど、読者との距離を離します。 ドクロマークがついた記事は、一般の読者には見えません(読者のしきい値の初期値は1です)。一人ぼっちになりたいブログを見たい人は、しきい値を増やしてそれらを見ることが可能です。 ドクロマークというのは面白い発想ですが、マークが増えるにしたがってどんどん見えなくなっていくほうが面白いと思います。 たとえば、ドクロマーク1つで文中の文字が1字欠落する。2つだと2字、3つだと6字、4つだと24字というふうに、(ドクロマーク数)!字ずつ消えていく。消え方はランダムで、リロードすれば別の文字が消えるので、最初の

    Re: Re: そろそろディスコミュニケーションツールがほしい - 一本足の蛸
  • 読書は信仰ではない - 一本足の蛸

    あるを読んで深く感動し熱烈な讃辞を述べている人が、同時に全然別の傾向のを同じくらい絶讃していたとしても、別にその人は不誠実でもなければダブルスタンダードに陥っているわけではない。なぜなら、の面白さは他のの面白さを排除するものではないからだ。熱狂的なファンのことをよく「信者」と呼ぶが、いま述べた点においてこのたとえには限界があると言わざるをえない。

    読書は信仰ではない - 一本足の蛸
  • 中高年のなかにはオヤヂもいればオバハンもいる - 一本足の蛸

    わたしが知らないスゴは、きっとあなたが読んでいる: 「最近の若者はを読まない」当の理由 「最近の若者はを読まない」という俗説への、統計データをもとにした反論記事で、その限りにおいては優れたものだと思う。 ただ、 読書離れは、中高年ほど進行している。オヤヂこそ、を読め。 これはちょっといただけない。 中高年の読書離れというのは「昔の中高年に比べて今の中高年はあまりを読まなくなっている」という解釈と「今の中高年は若かった頃に比べてあまりを読まなくなっている」という解釈の二通りが考えられるが、いずれにせよ、書籍読書率の推移データと年代別書籍読書率データの分析からは出てこない。 余計なこと書かなきゃいいのに、と思った。 追記 よく考えてみれば、書籍読書率の推移データと年代別書籍読書率データの分析からは「最近の若者はを読まない」への反論も出てこないことに気づいた。当に反論したいのな

    中高年のなかにはオヤヂもいればオバハンもいる - 一本足の蛸
  • 「は衰退しました」は衰退しました - 一本足の蛸

    人類は衰退しました (ガガガ文庫) 作者: 田中ロミオ,山崎透出版社/メーカー: 小学館発売日: 2007/05/24メディア: 文庫購入: 37人 クリック: 621回この商品を含むブログ (569件) を見る各方面で大絶讃されているので読んでみた。 面白かった。 でも、「面白い短篇は面白い長篇に勝る」という持論*1に基づき、ひとつだけケチをつけておこう。 長すぎる。 ロバート・シェクリイや草上仁なら同じアイディアを使っても3分の1の枚数でまとめただろう。 追記 「草上仁」がキーワードになっていないとは……。 *1:ついさっき『人類は衰退しました』を読み終えた瞬間に思いついた。

    「は衰退しました」は衰退しました - 一本足の蛸
    banraidou
    banraidou 2007/06/04
    草上仁がそんなにアンダーレイテッドだったなんて。
  • 記事の見出しに「支倉凍砂」と書くとアクセス数がのびるらしい - 一本足の蛸

    平和の温故知新@はてな - あ、あれー?(汗 最近、アクセス数が不調なので、早速試してみることにした。さて、結果は如何? どきどき、わくわく。 でも、よく考えてみれば*1見出しに「支倉凍砂」と書いて一時的にアクセス数が増えたとしても、記事そのものが評価されたということになるわけではない。当にアクセスしてくれた人に評価してもらおうと思ったら、何か面白い話題を提供しないといけない。 どのような話題が面白いのかは人それぞれだろうが、「支倉凍砂」につられてアクセスした人々の共通の関心事といえば、なんといっても支倉凍砂にまつわる話題だろう。でも、『狼と香辛料』シリーズ各巻の感想はもう書いた*2し、自称「支倉凍砂」の話も前に書いたので、今書ける話題は特にない。 うん、何もない。全く何もない。ほ、当だよ。某情報筋から「これは支倉凍砂人もまだ知らないはずの情報だけど……」と前置きしたうえで教えてもら

    記事の見出しに「支倉凍砂」と書くとアクセス数がのびるらしい - 一本足の蛸
    banraidou
    banraidou 2007/05/14
    笑った。
  • 涼宮ハルヒをミステリ史に位置づける前に気をつけるべきこと - 一本足の蛸

    週刊書評 『涼宮ハルヒの憤慨』/涼宮ハルヒをミステリ史に位置づける(インターネットアーカイブのログ) これは驚くべき論考だ。 涼宮ハルヒとミステリという取り合わせが意外だというわけではない。谷川流がかなり重度のミステリマニアらしいということは、作品のあちこちに仕込まれたマニアックなネタから容易に推察できることだ。意外なのは、日ミステリ史についての独創的な見解が示されていることだ。 〈人間原理〉に基づいた、主観的な願望に応じて歪む世界を舞台にしている点で松清張は小栗の後継者である。そしてこの作風の第三の重要な作家として、清涼院流水があげられる。小栗虫太郎・松清張・清涼院流水を〈人間原理〉派として一くくりにすることができるだろう。小栗虫太郎と松清張と清涼院流水とは! この3人の作品を少しでも読んだことがある人なら、この驚きを共有してもらえることだろう。逆に、全然読んだことがない人にはち

    涼宮ハルヒをミステリ史に位置づける前に気をつけるべきこと - 一本足の蛸